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みずき教会について |
みずき教会は、教会という言葉を便宜上使うが、われわれの教会は「教える」「会」などではない。
そういう意味では、牧師を中心にした普通の「教会」とは違う。あえて言えば、社会的な思惑や計算抜きの、ナイーブな個人的想いを共有するゲマインデ(キリスト教共同体)とでも言えようか。
もともと「教会」という言葉は日本独特の事大主義的訳語で、みずき教会では、主宰者は、聖書や神学にいくらか知識があるから、毎回話しているだけ。主体は集まっている人々である。
教会の主宰者が「使徒的伝承」を保持しているなどとは考えない。実際、新約聖書での「教会」は「エクレシア」であり、これは「呼び出された人々」の意。チャーチ(英語)やキルへ(ドイツ語)の語源も、「主の家」ほどの意味で、牧師が、神のことを「教える会」などではない。もしそうなら、主宰者は一言も喋れなくなるだろう。
集会は原則として毎月一回、第二日曜日で、八月はあまり暑いので、休む。一二月のクリスマスは日曜日にこられない人のこともあって、適当な土曜日、夕方にしている。
社会的にも、心理的にも、来会の促しは一切しないので、集まる人は毎回一〇人前後。これまでキリスト教家庭集会としてのみずき教会に来て、一定の期間通っていた人は、延べにして四 〇〜五〇人にはなるかもしれぬ。それもこれもみずき教会が「教会」などではなく、キリスト教を知ろうとする心を共有した人びとの共同体だったからか。
来なくなった人々にも、われわれのやり方を見ていただいたわけだし、たぶん共鳴してくれたのだろうから、それはそれで大いに結構と思っている。
ホームページを設けるにあたっても、大教会になろうとの計算をしたわけではない。伝道者意識もなし。「イエスのひそみにならって、ご一緒にいかがですか」と言うだけです。
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@ copywright 2004- by K. I Last updated: August 1, 2004
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