フェスティブ・シーズン

小田垣雅也

 

 若いころ留学していたアメリカでは、この季節、つまり一二月に入ってからクリスマスまでを、フェスティブ・シーズンとか、グレート・フェスティブ・シーズンと呼んでいた。日本で正月が特別な祝日であるように、キリスト教国ではクリスマスを祝うこの期間が、その準備期間としてあるのである。一月一日元旦は休みだが、普通の休みの日と同じで、その日は親父たちが、クリスマスの飾りつけを取りはずす日であった。最初わたしは、一月一日は、そのための休日なのかと疑った。これはヨーロッパの他のキリスト教国でもそういうことらしい。二日から通常の授業がはじまった。
 数日前テレビを見ていたら、クリスマスの現今の風習、つまり「聖よし、この夜・・・」を歌い、クリスマス・ツリーを各家に飾るのは、一八世紀のドイツであったそうである。「聖よし、この夜・・・」のメロディーもドイツ起源だったそうだ。その後、ヨーロッパ各地にこの風習がつたわり、第一次世界大戦のときは、四〇メートルしか離れていないドイツ軍とイギリス軍の塹壕の間で、両軍の兵士がこの歌を歌い、ついには両軍の兵士が塹壕を出て握手しあったよし。この話は前にも聞いたことがあるので、たぶん本当の話だろう。クリスマスにはそういう、人々を平和にあこがれさせる功徳があるらしい。その後アメリカにもこの両方の風習が伝わった。わたしが知っているのはアメリカの風習だが、アメリカでは車に乗って電飾の飾りつけを見に行ったりする。それを片づけるのが、一月一日の親父の仕事である。

 もっとも、よく知られているように、現行のクリスマスが、イエスが実際に生まれた日であると考えるのは全く史実ではない。一二月二五日がクリスマスと定められたのは、ローマの司教リーベリウスのとき、三五四年で、それ以前はイエスの誕生日は五月二〇日とも一月六日とも推測されていた。ある暇人の研究によると、イエスの誕生日については三九O何通りかの仮説があって、一年中をクリスマスにしても、まだ余りが出るという話である。
 一二月二五日は、元来ペルシア起源の太陽神ミトラの冬至の祭りであり、周囲のお祭りさわぎに対抗して、キリスト教徒たちも、この日にイエスの誕生を祝うようになったとされている。またイエスの誕生年も、いまでは何故か分からない理由によってズレていて、実際は西暦〇年が西暦四年であることも知られている。
 エルサレムの南郊のベツレヘムには、イエスが生まれた場所の跡に建てられたという聖誕教会というのがあり、石作りの立派なかいば桶などもあるが、これも史実ではない。イエスがメシアの家系から出、ベツレヘムで生まれるという預言があったから(マタイ伝、二の五〜六)、そこから逆に作られた説であろう。実際に現地に行ってみると、「よくぞ臆面もなく・・・」という感じがする。このように、クリスマスを一二月二五日とするのは、何の根拠もない。むしろこの時期、年末の意味をかみ締めておくべきだろう。

 しかし、一月一日を元旦として祝うという風習も、日本だけの風習だと思う。日本では一月一日から三ヶ日がお休みだ。それこそグレート・フェスティブ・シーズンだ。元旦というだけで、それは祝うに値する。これは日本人のサッパリした心情であるに違いない。革命記念日や、戦勝記念日、独立記念日などの類ではない。しかし西洋人の心情は、それを祝うに足るだけの内容を持っていなければ、ただ一年の最初の日という理由だけでは、祝うに値しないのかもしれない。
 ギリシア語で「終わり」はテロス(コリントIの一〇の一一、コリントUの三の一三など、他多数)だが、引用したコリントIの一〇の一一節には「時の終わりに直面しているわたしたち」とあるし、テロスの派生語であるテレイオスには「完成する者」「成熟する者」などの意味がある。またアルケーは「はじめに言があった」の「初め」だが、これは神による物事の初めであることはよく知られている。(「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり神の霊が水の面を動いていた」創世記一章の二)。言い換えれば、「終始」という言葉をわたしたちが使う以前に、その表面的意味をこえて、ギリシアやユダヤの人々は、これらのニュアンスを感じ取っていたのではないか。そしてそれは当然なことであろう。

 逆の意味で日本語もそうだ。始まりは始まりであり、終わりは終わりである。それ以上でも以下でもない。歳末は歳末であって、それ以上の意味をもっていなかった。それは庶民が、借金取りに慌てて駆け回る日であり、そのあわただしい気分は、いまでも残っている。少なくともギリシアの人々がテロスという場合の「終末論的含み」はもっていなかった。もともと終末論、エスカトンという言葉の宗教的意味は、日本語にはないのではないか。だからわたしは、大学の卒業論文を『現代神学における終末論の検討――ブルトマンを中心にしたその考察』にした。終末論の事情を調べようとしたのだ。終末論という言葉は、ユダヤ教・キリスト教独特の荘重さをもっている。
 ギリシア語(ないしヨーロッパ語)ではこれは特別な言葉で、もともと「終末」という言葉は、歴史を創造以来終末に向かって、一本の線のように考えるユダヤ教・キリスト教にのみある。佛教や東洋思想にはない。前者は「終末」であって、佛教や東洋思想は初めも終わりもないという意味で、それは「無」であった。ある言葉がもっている意味は、その歴史観と切っても切れない。

 以前、Mさんという老婦人から手紙をもらったことがある。これは書いたことがあるが(「終わりということ」『一緒なのにひとり』二〇〇四年)、Mさんは、わたしが最も尊敬する老婦人(亡くなった年九六歳)であった。わたしはそのころ二〇年ちかく、富士見ヶ丘にあったそのMさんのお宅で、月に一度、読書会をしていた。その手紙が来たのは、わたしがその読書会をしており、それが具体的にはそのMさんから頼まれて続けていたという事情がある。その手紙はMさんが亡くなる三ヶ月前のことであった。
その手紙で、「初めがあれば、終わりもなければなりません」と言っている。そして、「時に従って生きましょう」と書いてあった。その裏には、時間の流れを一本の線と考える「本当の終わりの終わり」的な、「終末論」的な信仰があるようにわたしは感じた。わたしたちの「絶対無」は必ず観念になるから、その観念になることを断ち切ることが、勝義の意味での終末論ではないか、とわたしはその時、考えたのである。Mさんは昔からのキリスト教徒である。
 その上で自分を、死すべき人間として、つまり「終末」に直面した者として、微塵の乱れも、狼狽もなく、受け入れている。「見かけはどうであれ、自覚はどうあろうと、事実はやむを得ず、時の流れに線を引かなければなりません」と書いてあった。そこにはわたしを諭すような気分も含まれており、真の意味で終わりの自覚、終末論的自覚のことだ。そして人間は必ず死ぬのだという自覚が、自分がいま生きていることの確実さを裏打ちしている。本当のキリスト教信仰とはこういうものだろう。それはMさんにして初めてありうるような、「自然な」態度であった。

 現代のわたしたちは、人間としての分限を忘れていると思う。言い換えれば、有限な存在者としての「自然さ」を忘れている。そして啓蒙主義の学問や科学、いわゆる主観―客観的対象智のみを問題として、つまり佛教でいう「悪智」をのみ問題にして、人間の有限性を話題にすることを避け、科学的真理は普遍的に通用するのだと思い込んでいる。
 しかし普遍的に通用する真理などは、相対的人間の営みにはない。そのような科学や学問の分限を忘れることによって、人間そのものを行方不明にし、生きていることの意味を見失っている。そしてパーフェクトで、完全であることばかりを求めていらだっている。Mさんの手紙は、そのことを思い出させた。終末論のリアリティーを思い出させたのである。
 そのことは、人間が死を忘れ、終わりの意味を見失い、信仰を失った結果であろう。「時の流れに従って、始めが無ければ終わりもなければなりません」と言いうる、人間としての勇気を持てないでいるからである。

 すでに触れたことだが、「終わり」は「初め」に隣接している。そのことを、老子は鮮明に表現した。「初めに初めあり。初めに初めならざる初めあり」云々は、たしか老子の言葉である。それは歴史を一本の線のように考える創造論と終末論との間として考えるのであって、東洋思想と同じではない。しかし聖書には、倫理的志向に反対して、聖書では、神は善人にも悪人にも雨を降らせ、太陽を昇らせる神であると説かれているのである。これは論理的起承転結の問題を超越しているのが信仰だと言っていることと同じであろう。佛教の絶対無の思想も同じである。その例は無限にあるが、達磨大師の言葉「前を謀らず、後ろを慮らず」も、対象論的悪智をのりこえて、その外に出ている言葉だろう。つまり論理性の絶えたところに関わるのが信仰であるということだ。
一休は「正月は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という狂歌を詠んだそうだ。つまり、宗教は「宗」にかかわってこそ、「宗の教え」でありうる。宗教についての「教え」ではない。それは人間あの論理ではないし、感情でもない。それを越えたものが「宗」であるということだろう。それは言い換えれば絶対無である。真相は、人間の認識である対象論的悪智を乗り越えるということでことが、宗教的言葉の難しさではないか。しかし「初め」は「終わり」に隣接しているのだ。だからこそ、「年の瀬」も「年の初め」も楽しいのである。

 わたしは年令を重ねたせいか、近頃、理屈を並べることが億劫になった。クリスマスについても、いろいろな理屈を並べるのが億劫だ。しかし以上のことを知った上で、クリスマスを祝うこと、そのことも、また楽しいではないか、と思うようになっている。クリスマスの日付けに関して、疑いをもち、それを無理して飲み込んでいるというのが、わたしたちの実情ではあるまいか。

 以上、今年のフェスティブ・シーズンについての所感である。 

 

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