生きることとクリスマス

広谷和文

(聖公会神学院校長)

 

 小田垣先生から、今年のみずき教会のクリスマスに、お話をするように言われ、あまり考えずにお引き受けしました。準備を始めて、これはしまったと思いました。と言いますのは、そうしますと、今年は残念なことに先生の珠玉のようなクリスマス説教を聴けなくなってしまうからです。しかし、お引き受けした以上、私の責任ですので、先生の説教にも触れながらお話をさせていただきたいと思います、
 前置きが長くなりましたが、先年、小田垣先生の『コミュニケーションと宗教』の中で「人間であることの意味を、現実の問題として、獲得し、納得することはできない。しかしその未完結性・無意味さの中に、人間の、少なくともこのわたしの、存在もある」という言葉を読み、私は何か一撃を食らったような思いがしました。と言いますのは、私はキリスト教に関わりをもって以来、生きる意味というようなことばかり考えてきたからです。パウル・ティリッヒという神学者は、神は「存在の意味」であると言いました。またその研究者の一人はティリッヒの神学を「意味の神学」と呼んでいます。私も、ティリッヒからいろいろな影響を受けましたし、今も1960年代までの神学者で一番面白いのはティリッヒであると思っています。実はティリッヒのことを最初に教えてくださったのは小田垣先生で、先生がティリッヒの話しをする時は、何か大事な宝物をそっと見せてくれるような表情をされていたのを思い出します。横道にそれましたが、私がティリッヒを読み続けたのは、「生きる意味」を考えるという自分の関心と重なるところが大きかったからにほかなりません。
 そのようなこともあって、最初にあげた先生の文章に一撃を食らうような思いがしたのでした。そして、驚いた後、そのことに率直に同感することができたのは、私自身、意味を考えるというようなことにいくらか疲れていたからだと思います。同じことは先生の著作のあちこちで読むことができますが、一つだけあげれば『一緒なのに一人』の中に「人生の意味や目的、倫理などにとらわれている生活は、もういい」という言葉がありました。それはそのまま先生の「自然な生き方」ということにつながっているのだと思います。このような言葉を通して、生きる意味を考えるという、それ自体は大変意味のある、しかし感覚としてはかなり息苦しい生活から解き放たれたのはわたしにとって、とてもうれしいことでした。
 先日、作家五木寛之の『21世紀 仏教への旅 朝鮮半島編』という本を読みました。この『仏教への旅』は、この朝鮮半島編のほかに、インド編上下、中国編、ブータン編、日本・アメリカ編の全6巻からなっていて、それぞれ面白く読めるのですが、「朝鮮半島編」が他の巻と大きく異なっているのは、この巻に五木の自伝的要素が色濃く描かれているということです。生後まもなく韓国に渡り、15歳までその国で過ごした五木寛之にとって、それは当然のこととも言えましょう。
 この本は、4章からなっていますが、その3章で五木は平壌で敗戦を迎えた以後の運命を思い返しながら、このように書いています。「生きる目的とか、生きる意味がなくともよい。ただ、生きていくこと。今日一日を生きて、明日一日を生きる。生きることに専念して、とにかく生きる。みっともなくても生きる。苦しくても生きる。自分で命を投げ出して、枯れたりせずに生きる。こうした考えを私はいま、〈只管人生〉と呼んでいる」。
 このような言葉から、私は最初に引用させていただいた小田垣先生の文章を読んだときの強烈な印象を思い出しました。
 〈只管人生〉とは、曹洞宗の開祖道元の「ただひたすら座る」という意味の〈只管打座〉に〈人生〉をあてはめたものだそうですが、このような五木の言葉が、日本が植民地として支配していた土地で敗戦国の国民になるという運命を辿る中で生まれたということに留意する必要があるでしょう。それは、比喩ではなく正真正銘の地獄であったと思います。そして、私が深く納得するのは、この地獄が通り過ぎてきた地獄であるばかりではなく、今も存在している地獄であると五木が見ているということです。もう一個所引用します。
 「私たちはいまもたしかに地獄に生きている、と私は思う。私たちは地獄に落ちるのではない。人はすべて、地獄に生まれてくるのである。鳥がうたい花が咲く夢のパラダイスに鳴り物入りで祝福されて誕生するのではない。しかし、その地獄の中で、私たちはときとして思いがけない小さなよろこびや友情、見知らぬ人の善意や、奇蹟のような愛に出会うことがある。勇気が身体にあふれ、希望や夢に世界が輝いてみえるときもある。人として生まれてよかった、と、こころから感謝するような瞬間さえある。みなとともに笑い転げるときもある」。
 このような私たちが地獄の中でときとして出会う小さな喜びや友情、見知らぬ人の善意や奇跡のような愛という五木寛之の言葉に接し、私はふとクリスマスとは、ちょうどそのような時なのではないだろうか、と思いました。もちろん、それはクリスマスだけではないでしょうが、私がそのように感じたのは、小田垣先生のクリスマス説教を読んだことと無関係ではありません。これは自分が過去に聖書の註解書をたくさん並べて作った説教への反省も込めて言うのですが、毎年いろいろな月報やキリスト教の新聞で読む多くのクリスマス説教にがっかりさせられるのは、そこにある決まったパターンがあるからです。そのパターンというのは、例えば、ヨセフとマリアの苦悩とか、栄光に満ちた神の子がどんなに寒く、暗く、汚いところで生まれたとか、その知らせを聞いたのがみんな貧しく信仰深い人々であったとか、はたまた、東の国の博士がもってきたプレゼントの一つ、没薬によってイエスの十字架の死がすでに示されている?といったような内容です。こういったことの過剰な強調に辟易させられるのは、私だけでしょうか。
 小田垣先生は、2005年のクリスマス説教で「わたしは近頃、たぶん年令のせいもあって、事柄を難しく考えることが億劫になってきた。今年もクリスマスを迎えるが、幼児イエスは人間の原点だ、自分を無にして、乳飲み子イエスに倣うのがクリスマスの意義だと言って力むかわりに、もっと素直にクリスマスを祝えればよいではないか、と思うようになった」と語っています。これは決して年令のせいではないでしょう。もっとお若いころの『神学散歩』―先日ある方からいただいたお手紙に『神学散歩』は名著であると記されていました―のなかに、すでにそのような趣のクリスマス説教を見ることができます。そこに先生は、このように書かれました。「クリスマスが一年のこの季節にあって、人々が教義や哲学でけがされない親しさで睦みあい、旧交を温め、また自分の奥深い心のひだに、ふと再会できるとしたら、それは楽しいことではないか」。このような言葉から、私は長い間忘れていたクリスマスの素朴な喜びを見出す思いがしました。それが、クリスマスの意味をしかめっつらしく考えるより、はるかに喜ばしいものであることは言うまでもありません。
 まもなく今年も暮れようとしています。今年も残念ながら悲惨なニュース、暗い話題が続いた1年でした。しかし、このような時代にもクリスマスがやってくる、そのことに救われる思いがします。すやすやと眠る乳飲み子イエスの姿に接して、私たちも人間らしい暖かな思い、優しい心を取り戻し、交わりと親しみのなかで、今年のクリスマスを祝いたいものだと思います。

 

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