(掛井五郎)

腕 の な い 人 物 彫 刻

小田垣雅也

  

 一九九〇年に出したわたしの最初の神学的随筆集『神学散歩』の表紙と扉には、掛井五郎さんの彫刻『人間の問題 研究V 四ツ足』を使わせていただいた。人間、それもデフォルメされた人間が、四足になって歩いている像である。これは、この本を編集した友人の宮島新也牧師が掛井さんに頼んで使わせてもらったのだそうだが、元来、神学とは人間学だとわたしは思っているので(そう言ったフォイエルバッハとは違った意味で)、わたしの最初の神学的随筆集の表紙が、この『人間の問題』という彫刻であることがわたしは気に入っている。その後、一九九九年の秋に、掛井さんの大規模な個展が鶯谷の朝倉彫塑館であり、そこに表紙の『四ツ足』の実物が展示されていた。実物は想像していたよりもずっと大きく、ほぼ人間の等身大のものであった。等身大の人間が四ツ足で歩いている。しかしそれにしても、四ツ足の、それも不揃いな足で、象のようにのんびり歩いている人間とはどういう人間理解なのかと、わたしはその時思った。

二〇〇〇年の新制作展に、掛井さんは『過去』と『ヤコブの夢』を出展されている。『過去』は後ろに反った姿勢の女体だが、一見して目につく特徴は、腕が両腕とも、肩のところからないことである。それが『過去』という題名であるのは、過去というものが人間にとって手も足もでない現実だということなのかな、とその時わたしは思った。そう考えることは理屈に過ぎるが―――。しかし人間は手も足もでない現実に直面している面があり、その彫像はそういう人間の真相に迫っているように思われた。また『ヤコブの夢』のヤコブは、たぶん「主の兄弟ヤコブ」と呼ばれているヤコブのことだろうが、このヤコブは、生前イエスを信じられなかった(ヨハネによる福音書七章五節)。しかしイエス死後の使徒時代には、原始教団の有力な指導者になっている(使徒言行録一二章一七節ほか)。要するにヤコブは、イエスの生前ではイエスを信じられず、イエスの死後になってイエスを信じられるような、信仰と不信仰の間の、中途半端な状態にある。そのヤコブが、直立した梯子の途中まで昇りながら、そこで進退極まって困惑している。半泣きで上を睨んでいる腕白少年のようなヤコブの顔がユーモラスである。しかし人間の信仰とはこういうものではないか、とわたしはその時思った。ヤコブは両腕を広げているが、その腕は、腕には違いないが、形状から見て、腕というというよりも十字架の横木である。先日も『掛井五郎展』(二〇〇三年)が横浜高島屋の画廊で開かれ、それを観てきたが、そこには『四ツ足』も『ヤコブの夢』も展示されており、わたしはそれらに再会することができた。

掛井さんの人物像の著しい特徴は、腕のない像が多いことではあるまいか。わたしは掛井さんの彫刻のアルバムは一冊しか持っていないが(『北に東に――掛井五郎展』、朝倉彫塑館、一九九九年)、それをいま見直してみても、腕のない人物像が多い。たとえば『広場』(1994)という五体からなる彫像のうち、四体には腕がない。その代わり、足が四本ある。また『影』(1994)という同じく五体からなる像にはどれも腕がない。『命の木』(1996)という題の、直立した母親の頭の上に子供が立っている親子の、つまり人間の、切実さをユーモラスに漂わせた像でも、母子とも腕がない。また『一時天に静けさがあった』という大きな男性像には両腕があるが、それは伸ばした両腕を体に密着させているもので、腕としての動きがない。または動きがないことが、その腕の動きであるような像だ。今回の横浜高島屋での展覧会のいわば主要作品である『受胎告知』は左腕がなく、右腕は肘で畳まれて、自分の右肩を抱いている。

掛井さんは、ジャコメッティの影響を受けているとわたしは思い、掛井さんにそう言ったことがあるが、これらの人物像などには特にジャコメッティの影響が見える。しかしジャコメッティの針金のような人物像には腕がある。むしろそれがジャコメッティの像に動きを与えているような趣きがある。ジャコメッティについて、サルトルは「ジャコメッティの問題は、どうして人間を石で、化石することなしに作るかということだ」と言っているが、この言い方の中に、ジャコメッティーの人物像がなぜ針金細工のように細いものものになるのかの秘密があるようだ。生きている人間のリアリティーは、石のように一定の空間を占めた対象物件ではない。それならばその生きているリアリティーを再現しようとするジャコメッティーの人間像が、その制作の過程でそのリアリティーに迫れば迫るほど、対象物件性を失って、細く細くなっていくことは大いに理解できる。むしろ人間のリアリティーというものが一定の空間的場所を占めたものではない以上、その再現は、それが成功したときは消え去るべきはずのものであろう。実際ジャコメッティー自身が自分の彫刻について、「自分の成功は、常に同じ程度の失敗によって裏打ちされている」と言っている。しかしこのことは、人間が人間として、たとえ「なんじ」としてであっても、独立した個としてのみ理解されているところでは、避けられない事態ではあるまいか。その場合、個としてのみ理解された人間は、消滅するか、または妥協して、対象的形態性を残したリアリティーという根本的な矛盾を含んだものになるほかはない。それはジャコメッティーが「自分の成功は、常に同じ程度の失敗によって裏打ちされている」と言っているとおりである。

掛井さんの人間理解はジャコメッティのそれとは違うようだ。少なくともジャコメッティー的「なんじ」としての、個としての人間理解のみではない。掛井さんの人間理解は、個としての人間の確認というよりも、個としてのみ人間を理解することへの批判、とくにその典型である近代自我としての人間理解への批判がある。その意味では、「野生の思考」に近い。それが腕の必然性がなくなることに連なっているのかもしれない。人間は四本足から立ち上がり、二本の足で歩くようになり、両手が自由になって、道具を使えるようになった。そしてその道具を使って自分の周りに自分用の世界を作り、その世界を支配し、その中心になった。しかしその世界は、人間が自我中心的視点によって、本当の自然、自分自身がすでにその中にいる自然から切り取った、仮構の世界なのである。人間は自然の中心ではないのだ。そのような自我は、本当の自然を見失っているばかりか、それにともなって自然の一部としての自分自身をも見失っている。

掛井さんの腕のない人物像とか、四ツ足の「人間の研究」は、芸術家一流の勘で、つまりこの文章のような理屈によってではなく、そのような近代批判を表現しているのではないか。人間は自然の中心ではなく、自然の中でのみ人間なのだということを、である。自我成立のために必要な腕などはないほうが、はるかに人間的なのだ。これは人間の自然への帰還ということであり、天然自然な人間の模索である。四ツ足の人間が漂わせているおおらかさや、腕のない人物像に感ずる必然性ないし自然さは、そのことなのであろう。腕のない人間の方が自然に見えてくる。ついでに言えば、ミロのヴィーナスにもし腕があったら、と思うと、わたしはぞっとする。失われている腕を再現しようとする試みは何回もあったが、余計なことだ。それはかのヴィ―ナスの威厳を壊してしまうだろう。

言い方はおかしいが、掛井さんの彫刻は未完成だと思う。というよりも完成の途上にあることが完成であるようなところがある。実際、掛井さんは以前、本当の芸術家は一流と三流の間、つまり二流なのだ、ということを言っていたことがある(拙著「青春は美し」『それは極めて良かった』〈二〇〇〇年〉にそのことを書いたことがある)。これは、三流はもちろん駄目だが、しかし一流品として「完成」してしまっても駄目で、本当の芸術は未完の途上性なのだということを言っているのだろう、とわたしはそのとき勝手に解釈した。『ヤコブの夢』のように、である。または腕のない人物像のように、である。腕のない人物像は未完である。しかし完成とは結局、自分の視点による完成である。完成とはもともとそういうものだ。ある特定の視点がなければ、そもそも完成という概念が生まれない。だから完成体とは自我の主張の他ならないのである。しかし完成体では、作家の自我のみが前面にでてきて、人間そのものへの同意はなくなるだろう。人間への同意がないものは、芸術とは言えまい。自然には完成などはない。だから自然には一流も三流もない。

人間は根源的に関係存在である。その意味で中途半端で未完である。そしていつも未完の、中途半端でありながら、それこそが人間の本来的で自然なあり方なのだという状況はユーモラスだ。未完が完結なのだという事態は可笑しい。それは完成体のような明快さ、率直さではない。しかしそれが人間の本性なのだとわたしは思う。掛井さんの彫刻を一口で表現すれば、ユーモアであろう。埴輪のような大らかな、または未開の野生の思考(野性ではない――念のため。未開などという言葉も使いたくないが)、アフリカの彫刻に見られるようなユーモア、命への美醜、善悪を超えた同意に通じているようなところが掛井彫刻にはある。『おかしな三人』(1990)『嘲笑』(1995)『でっぱ』(1995)『テーブル』(1998)その他々々を見ていると、人間そのものへの同意はユーモアを生むと、わたしはつくづく思う。そしてそれに対して、心の深いどこかで、親愛の情を感じている。自分は基本的なところで何か疲れている、それを掛井彫刻は癒す、と思う。これは完成体としての人間には望めないことだ。

 

若いころの掛井さんは、活力に満ちた、うっかりすると噛みつかれそうな顔をしていた。わたしも青山学院に勤めており、時々構内で出会ったのである。しかしその後二〇年以上たって再び会ったとき、若い頃の精悍さは後退して、ある種の安心感があった。そして人柄全体にユーモアが漂っていた。人から聞いたところによると、掛井さんはその間、目を患われていたよし。彫刻家が目を患うというのは深刻だが、しかしユーモアというのは、元来そのような事態を乗りこえたところにのみ、ありうる事態だと思う。深刻さとか悲劇的とかを通過することが、ユーモアを生む。そしてそのことを、人間はできるはずだ。

腕のない人物像は、そのことを告げているようにも見えてくる。(04101)

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