一 期 一 会 の 風

小田垣雅也

 

 

 一期(ご)一会(え)という場合の一期とは、もともと宗教用語で、比叡山では一二年間、高野山では六年間、山にこもって修行することを一期とした。また一会とは、法話を中心にした集まりのことである。茶人山上宗二の語として有名になった「一期一会」は、そのような宗教用語を超えて、もともと茶席のそれぞれが一生に一度の会合であるということの主張である。一つ々々の瞬間は再び繰り返されることはないということ、その時その時を、かけがえのないものとして生きることを説く言葉として、ひろく用いられている。
 しかしこれは当然のことであろう。人間は個であって全体ではないし、生きているのは永遠にくらべれば一瞬であろう。個には全体は見えないし、瞬間も永遠を測ることはできない。だからわたしたちは個や瞬間を大事に生きるほかはない。しかしこのことは、逆に言えば、人間が全体や永遠という、自分にとって最も基盤となるものを垣間見るのは、個や一瞬のなか以外にはないということだ。個や瞬間があるから全体や永遠もある。逆も真である。個や一瞬と二重性的に、全体や永遠を理解するのである。この二重性を離れて全体や永遠を対象として見る場合、それは自分の視点からの見た永遠や全体の観念であって、永遠や全体そのものではない。
 すでに書いたことがあるが、平知盛は「見るべきほどのものは見つ」と言って壇ノ浦に投身したが、それはしばしばそう解釈されるように、「見たいものはこれまでにすべ見た」という思い切りではないだろう。人間の生は時間的にも場所的にも限られている。どんなに位人身を極めてもだ。それを「見たいものはこれまでにすべて見た」と言い切る場合、そこにある人間の生への一種の勘違いと、その勘違いを無視する思考の中断が気になる。

 万古不易に変らないもの、または変らないと人間が思いこんでいるものは観念なのである。観念は自己が永遠に有効であることを前提している。共産主義はそれを社会哲学の分野で主張し、そして失敗した。観念は必ず人間そのものを離れる。人間は個であり、生きているもの、たえず動いているものだからだ。知盛が「見るべきほどのものは見つ」と言ったときも、それは知盛の一期一会の言葉であり、観念的な、科学的な言葉、つまり「見たいものはこれまでにすべて見た」という直截な言葉ではなかったのではなかろうか。知盛は自分の人生の最後におよんで、自分の一つ一つの経験の中に、永遠や全体の意味を見たと思ったのではないか。それが「見るべきほどのものは見つ」という言葉に秘められている意味ではなかったのだろうか。

 別の話になるが、わたしがよく散歩する道の途中に、ある俳優の家があった。その俳優が死んで何年かたって、その家が取り壊され、その次にそこを通ったときは更地になっていた。わたしは、このかなり有名であった俳優のありかたの、ある種の空しさを、その更地を見ながら感じた。名声も、その死とともに過ぎ去る。瞬間は瞬間であって永遠ではないのである。個も個であって全体ではない。個や瞬間は消え去る。それは更地になる。だから永遠や全体が見えるとしたら、それは、瞬間や個の中に、その瞬間や個に意味を与える地平として、それと二重性的に感得するほかはないだろう。俳優の名声がしばしば虚名であるといわれるのも、更地の空しさは言うに及ばず、このような事情がその背後にあるのではないか。芸は残るといわれるが、それはまた別の話だ。

 聖書にはこう書いてある。「『あなたがたは新たに生まれなければならない』とあなたに言ったことに驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」(ヨハネ伝三章七~八節)。この場合、よく知られているように、「新たに」(アノセン)は「再び」と訳してもよい原語であり、また「風」と訳されている原語と、「霊」と訳されている原語は同じ「プニューマ」である。だからこの聖書の箇所は次のようにも訳せる。「『あなたがたは生まれ変わらなければならない』とあなたに言ったことに驚いてはならない。霊は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれたものも皆その通りである」。
 「生まれ変わる」ということは、「生まれ変わる」と自分が決意しても、その決意をする自分は元のままである。だからこそ、そもそも決意するということもありうる。決意とは(決断と区別して)そういうものだろう。これは何回くり返しても同じである。それ自分が「新しく」なってはいない。新しくなるとは、元来主体的なことである。主体的に理解される場合にのみ、自分は本当に新しくなる。つまり新しくなるということは、自分が新しくなることと切り離せない。それは語の勝義の意味で、「生まれ変わる」ことである。聖書の現行訳を批判するわけではないが、「新たに生まれる」とは、その意を汲んだ訳とは思えない。
また「風」(霊)が、「その音を聞いても、どこから来てどこへ行くかを知らない」ということも、風の場合は、それは気象学上当たり前であって取り立てて言うほどのことではない。しかし「霊」の場合はどうか。もともと「風」と「霊」は、古代ユダヤ教の世界では同じものと考えられていた。神がアダムの鼻から息を吹き込んだのはネフェシ、つまり風である。「人生わずか五〇年」というが(これは知盛ではなくて、織田信長がそれに合わせて舞いを舞った言葉だと聞くが、何かからの引用であろう)、一瞬の生は、永遠が何処にあるのかは分からないものだ。それが一瞬の意味でもある。永遠は、時間の場からは定義不可能である。また知盛にしろ信長にしろ、たとえ彼らが有力な武将であっても、それは一個の人間であり、命の全体は「どこにあるのか知らない」。それが風ではなくて(聖書では風と訳されているが)、霊の実相であろう。つまりこの聖書の引用文で言われていることも、全体と永遠を前にした、個にして時間的存在者である人間の一期一会の次第ではないかと、わたしは思う。元来永遠や全体は観念論的定義不可能なものである。

 北海道を旅行してきた。釧路に友人がおり、旅行といっても、その友人の車に乗って、諸所を見て廻っただけだが(したがって歩いた歩数は少ない)、それでも次の北海道の東部を廻った。釧路から出発して、厚岸、琵琶瀬、霧多布岬、畦地岬、風蓮湖、納沙布岬、原野と牧草地帯を北上して標津(サーモン・パーク)、屈斜路湖、川湯、釧路湿原を経て、釧路に帰る三泊四日の旅であった。北海道特有のロマンティシズムは、結局、原始の自然と人工が、交じりあって歴史を作るのでなしに、自然と文化が交じりあわずにに混在しているところにあるのかな、と思った。その場合、人工のはかなさがクローズ・アップされる。アメリカでも昔、そう感じたことがある。たぶん、そういう、自然の必然性を前にしての人間の文化のはかなさがロマンティシズムの一つの特徴であろう。釧路湿原では、小さな縞リスが、レストランの(つまり人工の)近くまで来ていた。
 次のような詩を、霧多布岬で作った。

   霧多布の風

  霧多布の岬は
  秋風が爽々と吹き
  それは空の涯
  海の遠くから吹いていた

  小高い丘の上に白い灯台があり
  岬はその下のほうにあるのだが
  わたしは自分の脚力を考えて
  そこまでは行かなかった

  何か大事なものをやり残してしまった
  切なさのようなものが
  一期の風の中にはある

 同行した広谷君が
わたしの「現代神学私史」を読んで
次のような俳句を作った
  「産土の 茜の川を 鮭上る」

  霧多布の岬には
  一期一会の風が吹き
  草がみな一様になびいていた

 人間はいつも何か大事なものをやり残しているのである。皆そうなのだ。それは人間の生が一瞬の、個だからだ。永遠や全体を、人間が見通したり、結論づけたりすることはできない。「美は移り行きだ」と言ったのはキルケゴールだが、移り行くことが美的感動、生きていることの証拠であろう。生は、完結することはない。西田幾多郎も、事柄の実相に触れるには、学者よりも芸術家の方が適していると言っていた。

 わたしたちは旅にでるとき、無意識のうちに、同じ場所を再訪することを前提している。しかし北海道の旅には、それがなかった。わたしの年齢のこともあるだろう。それが一期一会の感を深くしたのかもしれないと、わたしはそのとき思った。(07X20)

 

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