考 え て み る と

小田垣雅也

 

 世のなかにはいろいろな学問があります。わたしの専攻は神学で、中でも組織神学とか宗教哲学が専門ということになっています。しかし、わたしが神学を考える場合、学問の対象は、あえて言えば自分です。新約学者の専門が新約聖書であり、旧約学者の専門が旧約聖書であるような研究の対象を、わたしはもっていません。いつもわたしは自分の感情や思考を、いろいろなテーマで分析してみようと思っているだけなのです。これはどの学問でも、最終的には同じかもしれませんが。だからわたしは自分のことを、デンカー(思想家)ではなくてディヒター(詩人)と呼んでもらいたいと――大げさな言い方ですが――、むかし学生たちに言ったことがあります。詩は、自分の感動こそが詩作の源泉だろうからです。先日も、ある出版社の人と話をしていて、同じようなことを話題にしたら、その人は興味深かそうにきいていました。あとで、そのことが「とても印象深かった」、という葉書がきました。

 

 このことは、現在のわたしの思考の対象が自分の「老い」だ、ということでもあります。老いた自分です。若かった頃は、わたしは自分の年齢を意識したことはありませんでしたが・・・。わたしは当年七十六才になりますが、身体能力も精神能力も衰退して、つくづく老いとは自分自身の問題、それも切迫した現実の問題だとの感を深くしているところです。これまでに、わたしは、「わたし」以外のこと、地位とか、お金のことなどを考えたことがありませんでした。妻は「それはあなたがたまたま、お金に困ったことがなかったからでしょう」と言いました。興味の対象が自分以外になにかの趣味としてあれば、いわばそれにすがって、日々を過ごすこともできたでしょうのに。それで、自分の老いを改めて考えてみようと思いまして、吉本隆明の『老いの超え方』(朝日新聞社、二〇〇六年)という本を買ってきて読んでみました ( 吉本は当年八十二歳 ) 。そして、いろいろなことを考えました。この本は朝日新聞の記者との対談から成り立っていますが、それだけにかえって吉本の人柄がでていて、二七五頁の大冊ですが、面白く読みました。

 開巻一頁目に、吉本に対して「手とはなにか」という質問が向けられます。それに吉本は「考える道具だと思います」と答えています。この答えには、開巻早々、意表を突かれた感じでした。手は、普通はいろいろな物理的仕事をする身体の道具で、考える道具ではありません。考える道具は頭です。しかし吉本は、その観念論的順序を逆転させまして、手を考える道具だと言うのです。何か寓意でもあるのかと思いましたが、そうでもないようです。この疑問は、数頁さきで解けました。そこにはこうあります。「僕らは・・・書きながらしかものは考えられないものだと、そういうふうにしてしまっていますから、僕らはもちろん、しゃべるよりも書くのがいいし、言葉があるよりはないほうが価値が、体の中に充満するような感じになります。・・・これは学者さんとは違うところで、学者さんは頭で考えて、頭で進めていきますが、僕らは書かなくては思い起こせないということもありますし、書くから解決が出てきたということもあります。」

 これはわたしにはよく分かるのです。ものを書く場合、わたしは話のやまを三つ位あらかじめ用意し、散歩の途中や、風呂の中で思いついたことをメモし(風呂に入っていると、気分が開放されるのか、いろいろなことを思いつく)、時には多くのメモをとり、それを見ながら――もちろん手で――書くのですが(パソコンを叩くが)、手で書いているうちに話が整理されて独立し、それ独自の流路を形成して流れだす、ということが毎回のことだからです。

 せっかく頭で考え、用意した話のやまやメモは、無駄になることのほうが多いのです。いままで書いたものは、みなそうでした。頭で考えた話の筋やメモがまったく無用であるとは言いませんが、このような本の書き方は「手でものを考えている」ということだと言えるでしょう。これは唯物論とか観念論の問題ではなくて、現実の問題としてそうなのです。それが「手でものを考える」ということだということかもしれません。いま書いているこの文章にしても、どういう経過をとり、どういう結末になるかは、ぼんやりとしか分かっていません。だから説教の準備にはいつも緊張します。この場合、観念論というのは論理的思い込みのことで、だから現実からは遊離しています。一種のイデオロギーだと言えるかも知れません。

 

 吉本の本そのものは、対談という形式によるのかもしれませんが、論理としては、かなり雑駁で、素直ではないところがあり、ときには支離滅裂です。右翼・左翼は別として、たとえば「イエスの方舟」の千石教祖のことが、肯定的に語られていたりしています。しかし面白く、巻を措くことができなかったのですが、その理由は、吉本が自分の老いとか死、また人生や社会に対して、観念としてではなく、全身で、体当たり的に発言しているからであろうと思います。これは「学者さん」の著述とは違うのです。いわば「手で考えている」のです。その意味で、観念ではなくて現実が語られているから面白いのでしょう。右に述べた支離滅裂云々の話は、語られているものが、観念や学問ではなく、現実だ、ということでもあるでしょう。つまり真実なのです。

 たとえば、吉本は、近頃は寝るときはおムツが手放せないそうですが、それが擦れて痛く、軟膏を塗るわけですが、塗ってくれる人が女だと困るだとか、それに類したことをずけずけと書いています。本当はそんなことは、自分に対する見栄があって、あまり本には書かないものではないでしょうか。その他、世間の幸福な老人論に反して、老人は淋しいものだということ、老人の人生論的寂しさが、繰り返し話され、だから長いタイム・スパンの事柄を考えるのではなく、今日とか明日のさいわいを感じていればよいのだ、などと書かれています。老人がそういうものであるなら、われわれも、毎日が楽しくないからといっても、諦めがつくというものです。幸福な老人論は、かえって認識を混乱させるのです。しかしこれらの発言が老人の諦めや愚痴ではなく、ある種の力に満ちているのは(これはこの本全体について言えることですが)、それが現実的で、「手で」考えた事柄だからだろうと思います。「イエスの方舟」の教祖、千石某は、信者のお弟子さんが死ぬとき「おっちゃん、一緒に死んでくれ」と言われたところ、「いいよ」と即答したよし。そこには生死を超えた本当の宗教家の真実がある、などと吉本は言っています。それがバカバカしいだけに聞こえないのは、吉本のこの言葉が「手で」考えたことだからだろうと思います。

 しかし、吉本のこの本は、よいことばかりではありません。老人は頭で考えたことと、それを身体で実行することの間に時間がかかる。だから老人は「超人間」でなければならぬ、というようなことが繰り返されていますが、この「超人間」とはどういうものか、最後まで分かりませんでした。また「臓器移植に反対でも、自分の子供が心臓を取り替えれば死ななくてすむという場合はどうするか」、という問いに対して、吉本は、臓器移植は手術そのものの問題ではなくて、その手術後、どうしてその人が移植された臓器になじむかのケアの問題だ、それが現代医療では落ちていると言いながら、「自分の心臓なんかを移植したら、かえって早く死んでしまうでしょう」と茶化したあと、「それはそれでよろしいのではないでしょうか」などと言っています。つまり答えをごまかしています。吉本隆明の現実的思考にとっても、臓器移植の問題は答えに窮するものであるらしい。人生にはそういうこともあるのです。

 

 わたし自身の問題はといえば、吉本と比べて(この高名な批評家とわたしを比べるわけではありませんが)現実的ではなくて観念的だ、ということがあると思います。わたしの学問(?)の対象は自分だと言いましたが、そのもっとも現実的であるべき自分を、観念的に扱っているのです。つまり自分を「手で考えて」いないのです。

 わたしは自分が観念的で見栄っ張りだと思っています。しかしこれは、世間に対して見栄っぱりだ、ということではありません。世間に対しては、わたしはむしろ見栄っぱりではない方でしょう。わたしの見栄は、世間に対する見栄ではなくて、自分に対する見栄であると言えるかもしれません。理想像を求め、観念的でありすぎ、自分に見栄を張りすぎて焦っているのです。すでにお話したことがあるように、わたしはこの二年ほど、「うつ」に苦しみ、精神科の医者へ通っていますが、要するにそれは、「うつ」になど苦しまない清明な自分を求め、それを理想とし、それがそうではないので苦しんでいるというところが、たしかにあるのです。いわば観念的なのです。そもそもそれが、「うつ」というものの基底にあるものではないか。現代は「うつ」が流行で、新聞やテレビなども「うつ」の連載をしているものが多いですが、先日の朝日新聞の記事に次のようなものがありました。ある人がひどい「うつ」に罹り、「うつ」専門の病院へ入院しても、なかなかよくならずに焦っていたところ、ある日、次のように気がついたというのです。「無理に結果をださなくてもいい。ありのままの自分を受け入れよう。今でも理由はよくわかりませんが、突然そう思うようになったのです」と(朝日新聞、〇六年八月一二日朝刊)。

 この「ありのままを受け入れる」ということは、「そうあるべし」という自分に対する見栄、つまり観念的自分から解放されるということです。考えてみると、この「ありのままの自分の受け入れ」、その意味で現実的であることは、信仰とか、悟りの核心ですし、森田療法も同じことを言っています。宗教の問題としては、わたしはそれをよく知っているのですが、「うつ」からの脱出も、同じ事情であるらしい。この「うつ」に苦しみ、焦っているのは、「うつ」から脱出した清明な自分を求めている、自分にたいする見栄なのです。見栄は捨てるべし。現実は認めるべし。人間の生は、観念通りにはゆかないものでしょう。それは最後まで、「手で考えて」、次第に作っていくべきものでしょう。たとえそれが、理想のあり方とは遠くとも、です。まことに親鸞が言ったように、「地獄は一定棲家ぞかし」であってもです。しかしそう言ったときの親鸞の表情は、苦難半分、しかし安堵も半分あったろう、とわたしは思います。

 わたしは仕事の量を減らし、頼まれた原稿や講演の類は断ることが多くなりました。これからは、続けられる間だけ、仕事はこのみずき教会の説教の準備だけにしようと思っています。それが「手で」考える、ということでもあろうか、と思うのです。そのようなとき、わたしはいつも、聖書の次の言葉を思い出します。「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ六の三四)。 (06813)

 

 

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