僧 の 顔

小田垣雅也

 

 『建長寺創建七五〇年展』というのが鎌倉国宝館であり、それを見て廻っていたとき、オヤと思ったことがある。そこに奉祝出展されていた安楽寺の惟仙和尚の木彫坐像の顔が、一口で言うと田舎の農民の顔だったからである。惟仙和尚は二回も宋に渡り、学識の誉れ高い名僧であったと説明文にある。この木彫像は惟仙の死後五二年ほどたって作られたものらしいが、きわめて写実的で、生前もこういう顔をしていたのだろうと思われる。それは頬骨が高く、目は細く、いくらか猫背で、少なくともわたしの目にとまるくらい、農民然たる風貌であった。眼光炯炯たる、気迫に満ちた宗教家の顔立ちからは遠かった。そう思って見回してみると、展示されている常楽寺の大覚禅師も、建長寺の枢翁妙環師の坐像も人間的で、枢翁妙覚禅師などは、さぞかし怒ってばかりいる、おっかない師匠だったろうな、と思われる。そしてわたしはそれを眺めながら、何かを納得した気分になった。

 同様な感想はその半年ほど前の、『禅の源流展』でも感じた。その展覧会には円覚寺にある無学祖元坐像をはじめ、宋から来日した禅僧、蘭渓道隆像など、数々の木彫の名僧像が展示されていたが、そのどれもが、ごく普通の顔で、少なくとも貴族面、武士面、または宗教家面ではない。喜怒哀楽の刻まれた普通の人間の顔である。迂闊な話だが、わたしはそのとき、いわゆる仏像と、名僧像の違いに初めて気がついた。たとえば仏像の代表のような奈良の薬師寺の薬師瑠璃光如来像は、慈悲と静かな威厳を表わした、理想化されたお顔をしているが、それはやはり人間の顔ではない。法隆寺の百済観音にしてもそうである。道端のお地蔵さんの顔もそうだ。東大寺や鎌倉の大仏の顔は、感銘を受けるには大きすぎるようだ。絵画に描かれた名僧像は、どれも絹布が黒ずんでしまっていて、わたしのような素人には鑑賞できない。しかしそれにしても、名僧とはさぞかし、それなりの見事な顔をしているのだろうと思っていたので、それらの名僧像がいかにも人間的なのは印象的であった。

 そして分かったことは、これらの名僧たちも、やはり人間なのだということである。最澄、空海は互いに反目し、それぞれ桓武天皇、嵯峨天皇の寵僧になり、法然は後白河法皇のお召しを喜び、日蓮も鎌倉幕府の権力者に近づこうとした。名利や愛欲を唾棄した道元すら、鎌倉を訪れ、そのとき北条時頼が宋から渡来した蘭渓道隆などばかり重んじるのを見て屈辱を感じ、「猶、弧輪の太虚に処るが如し」(自分はなお、大空にかかった孤独な輪のようなものだ)という詩を書いたと言われている。(梅原猛「坐禅の日々で生まれる世界との一体感」『佛教を歩く・道元』、朝日新聞社、二〇〇三年一一月二日号、二六頁)。そのような、反目したり嫉妬したりする感覚はわれわれ凡夫と同じだと思われた。

 しかしこのことを、わたしは否定的な意味で言っているわけではないのである。名僧が怒ったり、笑ったり、嫉妬したりすることが予想されている普通の顔をしていることに、わたしはむしろ安堵している。しかしこのことは、人間とは所詮そんなものさ、という安易な感想でもないのである。わたしは何のプロであれ、プロの専門家の苦みばしった顔というのが好きである。その人が漂わせている雰囲気に、わたしは敏感な方だと思う。学者は日本でも外国でも学者らしい雰囲気をもっており、たとえばアメリカと日本の学者の顔の違いは、同じ国の別の職業の人との違いよりずっと小さいと、むかし留学中に思ったことがある。職業人というのは、それ独自の雰囲気を持つようにならなければ本物ではないと思っている。名だたる高僧は、それらしい迫力に満ちた顔をしていて欲しい。しかしそれだけですむことだろうか、とわたしは今回、高僧の像を観ながら考えた。

 

 イエスは、祈るとき会堂や大通りの角でくどくど祈るのは、偽善者のやることだと言って、そのことを戒めている(マタイ伝六章五節以下)。偽善はとくに宗教にとっては斥けられるべきだ。これはそのような、ごく当たり前な教えだと思うが、少し拡大して考えると、本当の真実というものは、特別な風姿や態度をもったものではないこと、特別の風姿や態度をもったものは、まだ本物ではない、ということを表現しているようにも思える。苦みばしった職人の顔はいいし、一つの学問や技術を修練し、その蘊奥を究めた人の精悍な顔も見事だ。わたしはそれらの風貌を、偽善者の祈りと同一視するわけではない。風貌に現れるほどの修練は見事である。

 しかし学問や技術は、やはり優劣の区別の上にたったものであろう。劣を捨てて優をとる。そこに見事な芸が成り立ち、学問の真理はその扉を開く。その作業をつづけている人は精悍な表情になる。わたしはだれた顔は嫌いだ。しかし本当の知とは、本来、区別・優劣をすらをも超えたものに基礎をもったものではないのかと思うのだ。とくに宗教的知はそうだと思う。優劣や正誤の区別は大事だが、しかしそれにとらわれているのは、やはり本当の知の基礎ではないだろう。本当の知とは、区別の上に成り立つ知識に意味を与えるような、区別をこえたもの、つまり分別知を超えたものではないか、と思う。優劣という場合、優は劣ではないという意味で、劣に依存している。劣に依存した優は、本当の優ではない。正誤でもそうだ。だから優でも劣でも、正でも誤でもないもの、宗教的に言えば、信でも不信でも、覚でも迷いでもない、それらを超えたもの、それが本当の知だろうと思う。

 そのような境地に立ったとき、インテリ面や宗教家面は、少なくとも色褪せるはずだろうと、わたしはそのとき思ったのである。それが名僧の顔が田舎親父の、極く普通の顔であった理由ではなかろうか。大体、人間は悟り切る、などということはない。悟りきって仏の顔になることはない。むしろ悟り切って仏になることなどは人間にはないということを知ることが、悟りではないのか。そう思ってこれらの名僧像を見直してみると、そのことがよく分かるような気がしてくる。彼らも人間なのだ(つまり仏ではないのだ)と言ったことの意味は、そういうことである。しかしその時その和尚さんたちは、田舎親父であり、怒りっぽい師匠であり、嫉妬や反目を持ちながら、しかしそれらの一時的現象、つまり人間であることに、とらわれない人間になっているのではないかとわたしはその時思った。そうでなければ、師匠としての人間の温かみもないことになる。それが、いわばプロの宗教家としての顔を通り越した、田舎親父の顔をもった師匠なのではないか。

 密教系の荒行や、荒行を通しての即身成仏にはわたしは賛成できない。不動明王や蔵王権現などの怒りに裁かれるのは、わたしは御免だ。荒行によって成仏し、その怒りをはね返せるとは、わたしには思えない。あれか―これか、悟りか迷いかの区別知、分別知ではなくて、嫉妬や反目や名利追及もある人間でありながら、しかもその人間である分限をも弁えた世界をも知っている師匠がいい。その意味で二重性の現実をもっている宗教家がいいと思う。そもそも、それが名僧というものではないか。以前何かの展覧会で、ミケランジェロの自彫像を観たことがある。ミケランジェロの自彫像というのだから、本人そっくりなのだろうと思う。そしてその顔は、少なくともわたしがミケランジェロという大天才に期待するような威厳に満ちた顔ではなくて、いわば普通の顔をしていた。天才とは普通の顔をもっているのだ。面貌としても、人のあり方としても、だ。

 これは別のところにも書いたが(「或る入信」『一緒なのに一人』)作家の安岡章太郎が遠藤周作に代父をたのんでカトリックの洗礼を受けた。代父というのは、洗礼を受ける者のいろいろな世話をする教会員である。しかし両人は軽蔑しあっていたという。それにもかかわらず、遠藤に代父を頼み、洗礼を受けた状況は、曖昧で滑稽であったが、そのとき安岡は、アパートの畳敷きの井上洋治神父の教会でパンと葡萄酒を頂くと、何だか自分が戦国時代の高山右近になたような気がしたのだそうである。そして「カトリックを信じたというより」、遠藤とか井上とかの「人の縁を信じたのかもしれません」と言う。神や仏との縁などを、わたしたち凡夫がどうしてもてようか。実際、安岡は遠藤に、「オレは神というものがわからないのだが、それでも信者になっていいのかね」と聞いている。持てるのは人との縁である。神の国は、目も醒めるような来臨ではなくて、普通の顔をした、普通のひとである和尚さんや牧師との縁で、曖昧まま、目覚めるものであるかもしれぬと思う。(03X08)

 

 

目も醒めるような

技芸には自然さが大事と思う。・・・・

だからダメだと言っているわけではない。むしろ逆である。

 

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