ヴ ェ ネ チ ア の ガ ラ ス 職 人
小田垣雅也

 

 ヴェネチアはガラス細工で有名である。道理で、そのガラス細工の現場を見物するように、散歩の道順に繰り入れられてあった。それはヴェネチアの水の道路を橋で渡った、橋のたもとの右側にあったが、古いイタリアの村の表情などを、イタリアの紹介番組で見ていたりすると(たとえば『イタリアの小さな村』など。これはシリーズになっているが、重複したものが多い)、つくづくイタリア文化を支えているものは、職人の自分の職業にたいする誇りのようなものだ、ということが了解されてくる。

 著作と教授で生活する知識人の階級が初めて現れたのは一二世紀である。『アベラールとエロイーズ』(畠中尚志訳、岩波文庫)がその端緒だが、このアベラールは一〇七二年から一一四二年まで生きている。西洋史上では、アベラールが最初の知識人であったとされている。職人はアベラールよりもずっと前から自分の職業を、親方から習っていた。
 一二世紀は「一二世紀のルネッサンス」という言葉があるように、各地に大学が造られた。法学で有名なボローニャ、神学のパリ、医学のサレルノ、その他オックスフォード、ケンブリッジ等々である。一二世紀になって初めて、「知識人」が職業として成り立つようになったわけだ。大学(universitas)という言葉も、元来、ギルドないし、協同組合のことで、学生たちもゴリアルド族といわれ、定住の地も聖職の身分も持たない「放浪学生」であった。大学つまり教師と学生との発生は、もともと共同体であったのである。北欧では、その共同体は教師が中心であったが、南欧では学生たちが中心で、ギルドを作って教師を雇った。彼らは自由に評判の教師のもとでその講義を聴くといった知的冒険家たちであり、自由奔放な価値意識をもっていた。こういう形でこそ、教権、帝権に対するもう一つの権威としての大学もありえたのである。(ジャック・ルゴフ、柏木・三上訳『中世の知識人』、岩波新書、一〇〇頁)。ゴリアルド族はそれとして、地位も生活もかけているのだから、尊敬に値するが。

 美細を極めたガラス細工などの工程を見ていると、真っ赤に溶けたガラスを、中空の棒の先につけ、そのうえに何回か「砂のようなもの」をつけ、ときに息を吹き込んだりし、ぐるぐる回して、美麗で精緻を極めた花瓶や壜を作り上げていく。それは知識人が職業として成立する以前に、彼らは徒弟制度を基礎にした、職人であった。わたしはつくづく、職人の意味を考えた。わたしたちの常識で言えば、教授や学生は知識階級とよばれ、職人と較べて、職業として上位に属する。これは現代、職人を含めて誰でもそうではあるまいか。しかし、それが本当の順序か。
 テレビの中で職人の親方が、「自分との戦いだよ」「一目惚れだよ」「十歳のとき以来これをやっている」等々と言っていた。わたしの最も尊敬する宮大工西岡常一氏によると(それに較べると大学教授などは比較にならない)、大工の見習いの間は、初めは刃物を研ぎあげることから始めるそうだ。道具を見ればその人の持っている技が解るよし。お宮やお寺を作るという華やかな造形のかげに、毎日道具を磨いているという「自分との戦い」を認めなければ、大工は成り立たないのであろう。それが「自分との戦い」である。

 それについて、わたしには昔の思い出がある。わたしの子供のころ、家は日本間ばかりだったから、よく畳職人が入っていた。わたしはしゃがんでそれを見ていたが、畳屋の使う包丁みたいなものが、よく切れる。畳表もよく切れる。どうなっているのかと思って、それを手にとってみたのである。するとその畳職人は、いきなりわたしの頬っぺたをぶん殴った。わたしは驚いて、そのときのショックはまだ頬に残っている。その職人にとって、「最初は道具研ぎばかりだ」という前の話と同じで、「道具はいのち」だったのであろう。あるいは前の晩、よく研いでおいたのかもしれない。そうでもなければ、得意先で、半ば本能的にその家の息子を殴ることなどはなかったろう。
後年、西岡常一の話を読んで、そのことが良くわかった。分かるのに遅かりし、だが。だからそのことに、つまり先ず刃物を研ぐという苦労に、耐えることが必要である。最近は、グラインダーという電気仕掛けの砥石も出て来たという話だが。これは大工という職に、または畳屋という職に、親方が言うように、「ひと目惚れ」することが大事だ。それに、「十歳以来ずっとこの職業をやっている」ことが必要であろう。職人のなす業は、それがどんな職人であれ、見事で、なすべき業が「あるべきところ」にあるようだ。職人は何処の国でも同じだ。いわゆるインテリよりも伝統がある。ヴェネチアのガラス職人の、無造作につけたその「砂のようなもの」も、その裏にどれほどの技が篭められていることか。

 むかし書いたことがあるが、ヴェネチアの女刺繍子が、「刺繍は頭で考えて手で作るのではなくて、手で考えて手で刺繍するのよ」と言っており、また西岡常一棟領も同じことを言っている。「頭で考えて手で作る」のは「知識人」の労働観であろう。知識とは比較化であり、対象化である。職人は「手で考えて手で作る」のだ。職人と知識人の違いはその辺にあるだろう。知識階級は、自分のしたことに関して、後悔ばかりしている。それが知識というものだろう。知識は日進月歩である。その進歩した立場から、古い立場を見直す。それがなければ、知識というものは成り立たない。たびたび使った言葉によれば、知識が三人称であるのに対して、技は一人称である。しかしどちらが本当の知恵か。

 だからイタリア人は、自分のことが一番良いと思っている。これはテレビだからそう言っているのではなくて、本当にそう思っているらしい。その人が何の職業に携わっているにしても、だ。ここにある職業観は、世間のそれとは別の意識である。実を言うと、それが、わたしには最初は鼻についた。田舎の農夫が「自分の人生が一番よい」などと言ったら、わたしたちはそれを「ひとりよがり」と思うだろう。広い世界も知らないで、と。わたしたち日本の「知識階級」の態度はそうである。しかし知識とはそういうものだ。わたしも若い頃留学し、世界を三辺廻ったということが自慢(?)であった。
しかし「自分の人生が一番よい」とイタリア人の農夫は言う。そのことと、「手で考えて手でつくる」こととの間には、なにか繋がりがないだろうか。あると思う。少なくともここには、「自分が別の人生を送っていたら」という「比較」はない。それは神に与えられた生である。それに疑問をいだいても始まらない。そして比較は比較を産む。それ以前の「あれは過ちだった」的な、知識階級的な風習は、職人という人種にはない。それが「自分の生活が一番良い」という根拠であろう。それは潔い。信仰も、そこまで行けば、本ものだ。
 この場合、彼らは自分の信仰のことなどを、「比較」したりはしないのである。また、「神とは誰か」などと、問いはしない。自分の信仰のことを「疑い九〇%と、希望一〇%」などと(ベルナノス)反省したりはしないのである。それは「知識階級」の人々の悩みである。ベルナノスは、前世紀末葉の小説家である。
 それをこそしないで、まして「イタリアの職人」のような信仰第一な態度もなしに、疑問は棚上げしてしまうこの社会の「知識階級」の人々の信仰心は、むかしから気になっていた。たぶんそれは、知識と信仰の相違を知らないことに起因するのかもしれない。知識と信仰は、前者が第三人称で、後者が第一人称であると言う前に、知識と信仰のことをよく考えてみれば分かることであるかもしれぬ。これはたぶん、知識階級と職人の違いであるのかもしれない。

 

 
 

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