閉  鎖  環  境
小田垣雅也

 

 朝日新聞によると(〇七年六月一九日夕刊)、南極の昭和基地の前進基地「ドーム富士」ができる前、当時研修医であったTM氏(村井正氏)が、そのための内陸探査に参加したという。そしてその前進基地予定地に三人だけで一ヶ月半残された。閉鎖環境が人間に与える影響を知らないわけではなかったが、それでも、一緒にいた同僚の一人をどうにも許せなくなったりした。その場合、相手の「箸の上げ下ろしまで憎らしい」。自分にさぼりたい気持ちがあると、相手のそぶりにも、それが透けて見えてくるようになる。そして相手とすぐ言い合いになったという。 
 その後、一九九五年にドーム富士ができ、NA氏(東信彦氏)をはじめ九人が、その基地で一年間越冬するが、それは閉鎖環境がいかに隊員の神経を異常にしているかを物語っているという。物言いはきつくなり、部屋にこもる隊員、酔ってあばれる隊員もでて、A氏自身も腹痛で倒れて三日間寝込んだそうである。そして「一年後の九人は白髪が増え、やせ衰えていた。体重が二〇キロ減った隊員もいた」という。
 GO氏(大野義一郎氏)は、昭和基地の隊員たちが、自分で生活のリズムを作ろうとしていることに気づいたそうだ。風呂に入る時刻、食卓での自分の位置などを固定して、その位置をまもれば安心しているように見受けられたよし。数年前の新聞しかないのに、食後は必ず新聞を開く隊員もいたという。これらの事実を見て、医師である大野は「自分が落ち着ける習慣を、無意識にみつけているようだ」と思ったという。それで〇三年にドーム富士で越冬したIO氏(大日向一夫)は「朝食を一緒にとる」ことをルール化したという。

 この単純な科学的観察は、人間が閉鎖環境にいると生活が歪むこと、健全な毎日を送るためには、周囲の社会との交流が、たとえそれがさりげないものであっても、人間にはいかに大切であるかを物語っている。人間はそれと自覚しなくとも、本質的に関係存在なのである。関係存在としてのみ健全に生きることができる。たぶん、人間の最大の問題は、いかにしてそれぞれの閉鎖環境を破り、孤独さに対処するかということかもしれぬ。周囲との関係がなく、人間が孤独になると、その人の在りようは乱雑になる。わたしは家の掃除をあまりしないが、掃除をすると、心の中まで整頓された気分になるのである。
 何年か前に芥川賞をもらった赤瀬川原平さんが「タマとヒマ」という短文を書いているのを見かけた。同氏は一時、パチンコにはまり、年中パチンコをしていたそうなのである。ところがあるパチンコ店に小学生時代の友達を見つけ、その友達が、赤瀬川のタマがなくなると、友達のよしみで裏からジャラジャラとタマを補給してくれたのだそうだ。最初はそれが大変ありがたかったが、しばらくすると、タマがいつでも出てくる常態にあきてしまい、パチンコ店から脚が遠のいたよし。そして赤瀬川は考える。パチンコの玉は出たり出なかったりするその緊張があるから面白いので、勝ちが決まっている勝負は面白くない。これは一種の閉鎖環境であろう。人間もそれと同じで、忙しく働いているときは時間の不足に嘆きそれで生き生きと働いている。仕事から解放されたらどんなにいいだろうと思う。しかしいざ定年になり、ヒマができすぎると、退屈になって、生活が面白くなくなり、時間をもてあます、というのである。ヒマをどう処理するかそれが最大の老人問題だという。
 わたしも、昔はそのようであった。時間の無さに、時間さえあればもっとまともな本が書けたり講義の準備をすることができるのに、としばしば思った。とくに執筆中、それを中断して炊事をしなければならないときなどである。しかし、それが人間の性(さが)の状態なので、人間は仕事の中で、具体性の中で、つまり関係存在の中でこそ人間なので、わたしが定年後、本を沢山書いたということも、それはヒマであることから逃げていた気配があるのである。逃げていたというよりも、それが人間の状態ではないのか。
 そしてわたしにはこのことがよく分かるのである。わたしは毎週、月、火、水、そして金曜日は実質的に一人で暮らしているが、その間の孤独さはひどい。異常といってもよい。夕方になると妻が、夜になると娘が帰宅するので、それは単に寂しいだけで、哲学的孤独さというものではない、と言われそうだが・・・・。近頃は、昔はしばしば行っていた諸種の展覧会へも、体力の問題があって、行かなくなった。
 井上洋治神父が、年をとるということは、神様からお借りしていたものを、一つずつお返しすることだと、しばしば口にされるが、そのことの意味も、しみじみとわかる気がするのである。そのような感想は、閉鎖環境にたいする一種の身の処しかただろう。それに、わたしには自分の生活を固定する性癖があるのである。毎日、食事をとり、新聞を読み、散歩をし、という時間と場所が、すべて決まっている。妻や娘は、見ているとそんなこともなさそうなのだ。このこともわたしの孤独感を深める。
 聖書にもこうある。「イエスは言われた。『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これが一番大切な第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』。これら二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」(マタイ伝二二章三七〜四〇)。このイエスの言葉は、特に後半、人間にとって隣人を大事にし、社会環境の中にいることがいかに大切かを物語っている。人間は孤立してはいけないのである。隣人に関わることは、神を愛することなのである。

 しかし、老人の孤独さというものは、なまやさしいものではない。死が目前で、気力も衰え、身体の能力も失われてくると、周りに家族という、最も親しい者がいても、その孤独さは耐えがたいものになる。自分が失われつつあるのである。それらはまさに自分自身の問題だ。曽野綾子氏のアフォリズム集を読んでいたら、頷ける警句が沢山あった(「老い」『孤独でも生きられる』イースト・プレス、二〇〇五年)。たとえば「老年は孤独と対峙しないといけない。孤独を見つめるということが最大の事業ですね。それをやらないと、多分人生が完成しないんですよ」(一五一)と言う。老人が孤独と対峙することが、人生「最大の事業」だというのである。それに比べれば、人生内部の具体的な「事業」などは、ことさらに事業などとは言えない。
 S医師とM医師という一流の外科医と妻の関係で親しいが、その二人が別々の機会に言っていたことがある。それは、年齢が五〇代後半になると、手術(大体難手術)に対する気力が湧いてこなくなるということであった。つい一〇年前までは、どんな難手術を前にしても気分が奮い立ったものなのに、近頃はそれがなくなったという。外科医としてメスが握る気力がなくなること、それは外科医としてのこれまでの自分の修練の否定であり、たぶんS氏もM氏も、それぞれの言葉の裏に、自分の存在論的孤独さを、それとなく感じていることだろうと思う。老いとはそういうものだ。
 わたしが去年、ある思想書(『コミュニケーションと宗教』)を出版したとき、いつものように、それを井上洋治神父に贈呈したところ、同師から礼状が来て(井上神父はわたしより、一歳年上)それに「しかし、大したものですね」という一句があった。そしてわたしには、その文言を書く井上の気持ちがよく分かったのである。それは自分の「老い」の孤独さ、存在論的無気力感、その閉塞感、自分の身体的能力を「一つづつ神様にお返ししていく」という老いの自覚の表白であろう。その閉塞感をわたしたちは打ち破りたいが、それはたぶん無理だと思う。それが老いの閉塞感というものだからだ。それが「しかし、大したものですね」という言い方にこめられている。だからわたしも、近頃、自分の老いをテーマにしたこんな説教ばかりしている。もっと力が湧くような話をしなくて、申し訳なし。

 だから曽野綾子氏は、次のような文章も書いている。「人は一度に死ぬのではない。機能が少しずつ死んでいくのである。それは健康との決別でもある」(一四七頁)。また、「年を取るということは、切り捨てる技術を学ぶことでもあろう。そしてそのことを深く悲しみ、辛く思うことであろう。ただ、切り捨てることの辛さを学ぶと、切り捨てられても怒らなくなる」(一四六頁)。これは、わたしにも頷けることだ。
 この老いという閉鎖環境、そこにある存在論的孤独さから、脱出する道はあるだろうか。自然(じねん)に通じる道はあるか・・・。たぶん、ない。自分そのものが失われて、なお、道はありうるか。しかし「たぶん、ない」ということを、了解していることはできるであろう。それがわたしたちに許された、唯一の誇りであるかもしれぬではないか。

 話は変わるが、『平家物語』によると、一の谷と屋島の合戦で源氏に敗れた平家が、壇ノ浦の海戦で源氏に最終的に敗れる。そのとき、平知盛は「見るべきほどのことは見つ」と言って、船の碇を抱いて海に身を投じたという。この有名な言葉の意味は、上田閑照氏によると「見るべきほどのことはすべて見た、もうこれで死んでもよいと自分ではっきり決着をつけたということでしょう」と言っている(上田閑照『生きるということ』一九九一年、一三頁)。しかしこれはすこし違うのではないか。
 二度にわたる平家の敗戦で、知盛は多くの兵士の、たぶん断末魔の死を、多く見たであろう。しかしそれが「見るべきほどのことはすべて見た」ということであろうか。その場合、知盛の自我は、たとえ多くの兵士の死を悲しみ、また激高しようと、元のままである。自我が元のままである場合、「もっと見たいものはある」。それが人間だ。人間は個体であって全体ではないからだ。
 そうではなくて、「見るべきほどのものは見つ」と言う言葉が感動的であるのは、または少なくとも感動の芽を含んでいるのは、それが一期一会としての人生の真相を、言い当てているところがあるからではあるまいか。一期一会につては別に考えたいが、実際、自我中心の閉鎖環境を破るのは一期一会の現実に徹することかもしれない。自我による経験や見識に、ではない。一期一会のときに、人間は「見るべきほどのものは見つ」と言えるのでないか。一つの個体として、まだ見ていないもの、したがって見るべきものはまだ沢山ある。しかし「見るべきほどのものは見た」のである。個の中に全体を見る。一期一会の出会いとはそういうものだ。瞬間の中に全体がある。この瞬間は、わが生涯に一度しかないのである。それは自然(じねん)な世界への通路でもある。それは全体を含んでいる。その通路を通してのみ、自我世界は自我中心主義を離れ、自然の環境へ繋がっているのではなかろうか。それが悟りとか信仰ということではないか、とも思う。『平家物語』の仏教思想も、実はそのことを言っているのではなかろうか。そうしてのみ、老いの存在論的孤独さも、閉鎖性も、環境克服される可能性があるだろう。

 数年前(二〇〇三年)、わたしは『憧憬の神学』という本を書いたことがある。訂正するところは何もないが、しかし、憧憬は閉鎖環境を打ち破った、一期一会の生き方の中にあるのではないか、と思う。さもなければ、憧憬は、獲得すべき対象として、徒らに老いを意識し、あせった、自我世界に閉鎖された、不健全なものになると思う。憧憬とはそんなものではない。(07629)

 

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