こ  の  頃
小田垣雅也

 

 四年修了で旧制の東京高校に入った河野が、あるときわたしに、「作文の宿題がでた」と話した。その題が『この頃』であった。さすがに高校になると(高校に入るというのが、わたしたち旧制中学生の目標であったが)、作文の題の出し方にしても違うナ、それは哲学的だナ、とそのとき思った。つまり、『遠足について』とか『学芸会について』というような、具体的なものではなかったからである。

 家の近くに市立図書館の分館がある。専門書はほとんどないが、それと、話題になっていない本はあまりないが、(したがってわたしの本のごときは、ほとんどない)新刊本とか雑誌はめぼしいものは大体揃っている。わたしはそこへ行って時々本を借りてくる。主として随筆の類か、それに類した軽い読み物である。阿川弘之、阿川佐和子、三浦朱門、宮脇俊三のようなものだ。それも、小説は読むことが面倒になったので、借り出さない。専門の学術書はもちろんだ。心理と事件の綾を、いちいち辿っていくことが面倒になったのである。これは当方の老化によるものである。
 弘之は佐和子の父親だが、佐和子と弘之を読み比べてみようという下心もあった。そのつもりで読んだが、スタイルが違う。このちがいは、やはり文才の問題、文学にたいする興味の違いであろう。弘之の方がいろいろ博覧多識であるのはいいとして(作家がものを書く場合、調べて書くのが普通である)、佐和子のほうがいろいろに素人っぽい。飽きたので、大分とばした。
 三浦朱門は、曾野綾子の相棒かと思っていたが、どうしてどうして、相棒には違いないが、素質として綾子に負けてはいない。やはり、それとして別の文才がある。老いの話をわたしは感心して読んだ。『人生の終わり方』(二〇〇五年)とか『不老の精神』(二〇〇九年)とかいう類の本である。これらは、テーマにもかかわらず、一つの読み物になっている。

 イレール・ベロック(Hilaire Belloc, 1870~1953)は「信仰はヨーロッパだ。ヨーロッパは信仰だ」と書いていたことがある。これはわたしが、ある本の翻訳をしていたとき出会ったのだが、この言葉に対するわたしの最初の反応は否定的であった。しかし後になって、美とは、ある排他的なものではないかと思い直した。美はそう言い切ってもよいもの、つまり排他的なものではないか。西洋の教会の中のキリスト像と、佛教の像を較べてみて、その美的優劣を比べてみても始まるまい。しかしこれは、双方に排他的ではないということではない。それぞれに、それ独自の美的感動をもっているのである。
 花吹雪は美しい。それは本居宣長の「敷島の大和心をひと問わば、朝日ににおう山桜花」であって、これを西洋の騎士道と較べられる話ではない。花吹雪の中に立っているとき、わたしたちは微に入り細に穿った西洋の寺院のことは考えないだろう。西洋の教会堂は花吹雪にとって異分子なのである。美しさの「型」が違うのだ。仏像の静謐な落ち着きと、キリスト像の血なまぐさいありがたさは、やはり美意識が根本的にちがうのである。
 美意識の違いは、わたしたちが西洋で暮らしてみるとすぐに分かる。一度わたしが留学していたアメリカの大学で、巨木に直接、街灯を打ち込んであるのを見て、順序はそれが都合がいいのは分かっているが、何となく残虐な気持ちをもった。今を流行の言葉で言えば、西洋人は東洋人に較べて「肉食」なのである。美や信は、一つではない。ベルナノスがそのことを言ったのも、そういう違いに気づいたのではないか。ヨーロッパが西洋の信仰を代表しているということも、そういう点を見落とすと、おかしなことになる。

 しかし中世は、何処の小邑に行っても、中心に教会堂がある。寺院などは、あの微に入り細を穿った工作などは、それがキリスト教信仰によって創られているにしても、そしてキリスト教が全宗教の中心ではないことがよくわかっているにしても、ベロックの言い方がよくわかる。信仰は排他的なものなのである。信仰とはそういうものではないのか。それは自己中心的である。と同時に、自己中心的ではない。その個の中に全体が暗示されているのだと言い直してみても、「全体」はそもそもそういうあり方をしているのではないのか。つまり、個と全体の二重性である。それは村の鎮守の神様にしても、山奥のお寺にしても、同じである。信仰は場所論的には排他的だ。そしてそれらが、全体としての宗教を構成している。
 教会も、お宮も、お寺も滅びる。この間テレビでやっていたが、一億二千万年前、恐竜が死滅したのも、アメリカに巨大隕石が衝突して(メキシコ湾のあたり)地球がそれによって冬になり、それで恐竜が死滅したという話を前にして(それは事実だろうが)、人間の文化などは何ほどの差があるか。文化などは、こういう話に較べると儚い。人間の関係性は、そういう話に耐えなければならないのだ。
 その上で、むかし森有正のヨーロッパ、とくにパリ論を読んだことがある。それはパリの個人主義が、いかに徹底したものであるか、ということを論じたパリ一辺倒のものであった。そして東洋的・日本的などを云々しているのは「まだ駄目なのだ」「東洋などは、まだ駄目だ」という論旨を読んだことがある。そしてわたしは当時思えらく、日本にも「いかるがの里」のような、信仰はあるではないか、と。(森有正は、それで東大の教授を辞めて、フランスに永住したのだが、その後どうなったか。)
 それはベロックの「ヨーロッパは信仰だ。信仰はヨーロッパだ」ということと同じで、東洋と西洋の文化の違いを無視したわけではないだろう。ヨーロッパの人々に較べて、個人主義、個人主義的生活法からみれば、アジアやアフリカの地域の人々は、「個人」ということの限界を知っていない人々が多い。わたしは昔、教室の同僚とアフリカ美術について話し合ったことがある。これは良い悪いの問題ではない。わたしはアフリカ美術について否定、同僚は肯定的であった。その両者は、美の意識が違うのであろう。

 わたしの毎日は信的な生活だ。しかしそれは、信即不信の上での信である。絶対無の信仰だ。それは神の意味することでもある。これはむかし本にも書いたことがあるが、最近気に入った言葉として、次のような言葉がある。それはこの文章の前の方に書いたように、「90%の疑問と、10%の希望」(G.ベルナノス)という言葉である。疑問も希望も、両方とも「未完結」である。だから信は、完結したものではない。主観―客観構図では、対象はみな完結している。それが、科学的・教育的な言語、それは「後―言葉」であるというのに対して、「前―言葉」といわれる理由だろう。信は、概念としては未完結なのである。これは神秘のことだと思う。

 これは二重性の考え方であり、そのようにわたしは主張してきたが、そのことは、真(信)や美は複数あっていいことでもある。信や美は複数あってもいい。イレール・ベロックの言葉によれば、それが「ヨーロッパは信仰だ。信仰はヨーロッパだ」で意味されていることだろうし、ヨーロッパでどんな辺鄙な小邑に行っても、その中心に教会があることも説明している。日本のどの田舎に行っても氏神様がいるように、である。これは、美は排他的であって「信」や「美」は複数あるということと同じである。
 それは本質的には、生―死の二重性の意図は、同じ美意識といってもその地方によって違うということだ。東洋と西洋、アメリカと南米は違うということだ。それが二重性ではないのか。そのことをベロックは言っていたのではないだろうか。

 わたしはヨーロッパが好きだ。テレビの紹介番組で(BS放送で)、ヨーロッパのことをよくやっている。『イタリアの小さな村の物語』とか『ヨーロッパの水の歴史』とか、いろいろな『汽車番組』の類である。そこでは、イタリアの石づくり路地にしても、歴史がある。東洋とはちがったものだ。南洋には路地そのものがない。西洋では個人がハッキリしている。歴史がある。歴史なら日本にもあるが、それに較べて佛教美術のほうがよいなどと言っているうちは、まだその人のヨーロッパ理解は駄目なのだ。森有正がパリ好きのように、である。そこでは個人がちゃんとしていて、アジア人やアフリカ人のように生きているのではない。個人が自然の一部ではない。関係概念とは、時間的であると同時に(主としてキリスト教の内部の問題として。キリスト教は歴史の宗教だと言われている)、場所的にも理解すべきだろう。それが個即全体の信だと思う。

 アジアは個人主義的には駄目なのである。日本主義などということを主張しているのは(むかしの軍隊の軍歌のように)、ヨーロッパ(の必然性)を理解していない、ということである。  

 

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