「 手で考える 」

小田垣雅也

 

 たびたび書いたことがありますが、「善悪を知る」とは、神のように「すべてを知る」ということです。つまり、神から独立した人間の成立です。もともとアダム(創世記二の五)とは、土からできた人間ということです(エヴァは「命」の意。同、三の二〇)。そのことを念頭において、「手で考える」ということを、考えてみたいとおもいます。

 たぶん一九三〇年頃、当時パリに住んでいた高田博厚のところへ、ある早朝、フランス文学者の片山敏彦が、『ジャン・クリストフ』の著者である文豪ロマン・ロランからの手紙を持って駆け込んできたという。そこにはこうあったそうです。「タカタに伝えてほしい。彼にわたしの像を作る気はないか?私はこの十五年間誰にも自分の像を作ることを断ってきたが、彼には作ってほしい。彼は内部を引き出す」と。浅見洋氏によると、高田は「これ以後、『ロマン・ロラン』『ロラン夫人』『マルセル・マルチネ』『アラン』『ガンジー』など、精力的に像を作り始める」と言います(浅見洋『思想のレクイエム』、春風社、二〇〇六年、二九三頁)。またロマン・ロランは次のようにも言ったそうです。「高田は精神を形づくる本当の芸術家です。彼は指で思索する」(同書、二八三頁)。
 わたしはこれまで、「指で思索する」ということについて、何回か言及したことがあります。そのたびに、何か分からない部分があることを自覚していました。指や手はものを作る機関であって、考えたり思索したりするところは、指や手ではなくて、頭ではないかと思ったからです。すでに書いたことがありますが(「考えてみると」拙著『友あり』所収)、吉本隆明氏が『老いの超え方』(二〇〇六年)という本の開巻一頁目で「手とは何か」と問われて、「手は考える道具だと思います」と言っているときも、それはメモを手で書くことか、と最初思いました。しかしそのメモに基づいてものを書いていくとき、実際に手で書くことによって、書こうとしていることがらの流路が開けてくることはよくあります。手で書いたメモはむだになることの方が多いのです。それが手で書くということだろう、などという解釈をくだしていました。それならわたしにもよくあることだからです。
 そのほかにも、ヴェネチアの刺繍の女職人が、「刺繍は頭で考えて、手で作るのではなくて、手で考えるのよ」と言っているのを読んだときも、また法隆寺の宮大工西岡常一氏が、つねづね「大工の技は、頭でいくら覚えてもだめで、手で覚えなければあきません」といっているのを読んだときも、同じような、当たらずといえども遠からず的な、解釈をしていました。しかし本当のマエストロというのは、手で考え、指で思索し、相手の精神を形作る人のことであり、手であれこれ工夫し、考えているうちに、思考がはっきりし、現実が形をなしてくるような人ではないかと思うようになりました。
 つまり、手で考えるということは、現実世界への通路ではないか、と思うのです。頭は自我を中心にして、自分の回りに、周囲の世界を形成します。禁断の木の実を食べたアダムのように、です。人間は立って、両手が自由になった時点で、自分の周りに世界を形成しました。いわゆる広い意味での自我の確立、主観―客観構図の成立です。その中心には自我がいます。自然なるものも、その自我中心的構図によって自然の現実から切り取られた自然(の一部)になります。それが自然科学の自然と、本当の自然(じねん)との違いでしょう。
 これまでたびたび言ってきたことがあるように、自然科学的・客観的世界なるものは、あくまでも、自我の、つまり主観に対応した客観世界でして、客観とは、客観が客観として、どこかの中空に浮かんでいるわけではありません。そのような客観を、主観たる自我がこちらから見ているわけではないのです。だからそういうことを前提している主観―客観構図は、自我を中心にした、閉じられた世界です。その閉じられた世界で、自然を切り取るのが自然科学での自然です。だから頭で「理性的に」ものごとを判断し、それが現実世界だと思うようになると、そこでは他の客観的世界と、その中心にいる他の自我との間に、自分の自我は衝突することになります。わたしたちの毎日の生活は、このような自閉症同士の衝突の繰り返しではないでしょうか。わたしたちは神をも、客観的次元で分かろうとしてはいないでしょうか。
 そしてロランが言っていることも、そのような彫刻家の「自我」が刻む像は、その彫刻家の視線で、つまりその彫刻家の主観―客観構図の中心にいるその彫刻家の自我によって、偏差を受けた像であり、それはロランの現実、ロランの内面に即した、それを引き出したものではない、と言っているのではないでしょうか。ロランが十五年間、自分の像を作ることを許さなかったのは、そこにできあがった像と、現実の自分との間のギャップに、気づいていたからでしょう。それはその彫刻家の視線を通して歪められた、ロラン像なのです。そのことに文学者としてのロランは敏感でした。
 手で思索するということは、そのような自我中心主義的自然観から離れるということではないか。具体的に言えば、わずかな粘土を足したり、削ったりしているだけでしょうが、それによってタカタがつかんでいる現実、つまりロランその人に、タカタは近づいていくのだと思います。それが指で思索するということです。そのことをロラン見抜いています。それはタカタが自分の主観―客観構図を突破して、現実のロランに近づきつつあるということです。それはタカタの自我が前面にでたものではありません。自閉症的なタカタ世界ではないのです。それは宗教的言語と遠く通底しています。わたしなどは自分を省みて、自分が自分の自閉症的世界に閉じこもっていることを反省することしきりです。

 むろん、客観的なロランなどはどこにもいません。客観は、すでに述べたように、どこかの中空に浮かんでいるものではないのですから―――。こうも言えるかもしれません。一人称としてのロランその人は、それが像として定着されたときに、つまり三人称になったときに、生きているロランの現実、一人称のロランは、失われるということです。ジャコメッティのように、それを自覚しているのがそもそも彫刻家というものかもしれません。聖書にも、信仰(復活)の現実として、こう書いてあるります。「イエスは祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」(ルカ二四の三〇〜三一)。だからロランの一人称の現実が表現されうるとしたら、それはタカタとの対話という間接性によって、表現されるほかはないでしょう。しかしそうしてのみ、ロランの現実は、いわば対象として表現されうるのです。これはもともと芸術的感動の宿命というものです。芸術派「分かる」ものではありません。対話するものです。

 もっとも、芸術家の中には、対象との対話などということを気にせずに、自分の芸に走ってしまう人々もいます。いわゆる写実派の人々の芸術がそうでしょう。わたしの家の近くには井の頭公園があり、そこに北村西望彫刻館があります。わたしはよくそこへ行って時間をつぶすのですが、西望彫刻の特徴は、その雄渾さであろうと思っています。長崎の平和記念像も、原寸大に復刻されたものが展示されています。
 北村西望にとられるわけではありませんが、西望彫刻の特徴はその雄渾さであると思います。雄渾さとは、対象としてのモデルといかに対話するかなどという事情はとびこして、その意味では、自己が対象の把握そのものになって、対象の現実を把握するその勇気のことではないかと思います。そこに雄渾さも生まれます。そして、これもこの場合として、手で語っていることかもしれぬと思うのです。いわば全身が指になっているのです。むしろ、対象と対話する以前に、指の方が自然に動いてしまう。自由自在に、です。しかしこの場合、タカタの彫刻について考えたような対話の手続きが、大きく省略されていることは否みようがありません。否む理由もありません。全身で対話しているのですから。それがもともと雄渾さということかもしれません。いわゆる写実派の迫真性です。雄渾さとは、後天的対話のような事態には気に留めぬことであるかもしれません。雄渾な対話というものはありません。

 先日、三鷹市立美術ギャラリーでやっていたモーリス・ユトリロ(一八八三〜一九五五)展を観てきました。日本初出品の三十四点を含む八〇点ほどの展覧会です。ユトリロ展にはこれまで何回か行ったことがあります。今回はいわゆる若いころの「白の時代」(一九一〇〜一九一四)の作品を中心にして「モンマルトルの詩情」と副題がつけられています。わたしはモンマルトルの白い壁の家を描くユトリロの絵を眺めながら、「ユトリロも結局、指で思索しているのかもしれないな」と、それとなく考えていました。
 よく知られているように、ユトリロは母シュザンヌ・ヴァラドンの私生児です。父親は誰だか分からない。ヴァラドンも画家です。そしてヴァラドンも、その母マドレーヌの私生児でした。ユトリロは母ヴァラドンの結婚により、祖母マドレーヌのもとで育てられましたが、その寂しさから、若いころから酒に手をだすようになりました。そしてそれによるアルコール中毒から、その治療として、医者に薦められて絵筆が与えられたのだそうです。それはユトリロが二〇才のときであるという。ユトリロによって描かれているモンマルトルの絵は端正で、乱れたところは何もないが、ユトリロの「白の時代」がある種の憂愁によって彩られていることは、このような背景を見ると、深く納得できます。
 展覧会場に掲示されていた説明文によると(買ったアルバムには、その文章は出ていないようですが)、当時、ユトリロも周囲の人々も、ユトリロの絵の価値が分からず、要するに「白の時代」、ユトリロはモンマルトルの絵を描き、それを安く売り、それで得た金でワインを買い、それを飲んで絵を描き、絵を描くとそれを売ってワインを買うという「描いては飲み、飲んでは描く」ことを繰り返していたと言われています。それによってユトリロ芸術はなりたっているのだという。いわゆる芸術至上主義のような、理念が先ずあって、それによって絵を描いたのではありません。絵を描く主体としての自我がまずあるわけではないのです。ワインを買うという「必要に迫られて」描いたのがユトリロの絵です。自ら進んで描いたわけではない。そしてそのことは、すくなくともその「心性」において、「手でかく」こと、理屈が先にあるのではないことと、一脈通じているところがあるかもしれないな、とわたしはそのとき思ったのです。少なくとも美的理念や抽象的感動が先にあったわけではないのです。

 芸術は理論が先にあるのではなくて、理由はなんであれ、指がさきにある。その意味でそれは「指で思索する」のです。それがマエストロです。理論が先にあると、その理論の主体は、必ず他の主体と衝突します。芸術において、理論闘争ほど、空しいものはありません。実際、ユトリロが属していたとされるエコール・ド・パリは、一つの流派とはいえ、一定の様式や主義によるものではなくて、画家たちの自己に即した直感にこそその源泉があるような一群への呼称であるとされています。主義は、何主義であっても、人間と周囲の自然との関係を切断します。ユトリロのしみじみとした、淋しげなモンマルトルの風景も、ユトリロが結局は「手で思索していた成果かも知れないな」と思えてくるのです。(07616)

 

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