そ の 日 一 日 で

小田垣雅也

 

 「マタイによる福音書」六章三四節の「だから明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」はよく知られている。よく知られている理由は、これが現代の生き方に、むしろ反した生活律だからではあるまいか。この言い方は無計画、無方針の生活に通じる要素がある。現代は予想と計画をたて、その計画に沿って現在を生きるというのが、少なくとも現代人の素養である。

 現代のわたしたちを含めて、啓蒙時代以降近代の歴史哲学は発展史観であった。昨日よりは今日、今日よりは明日に、より良い生活があり、文化は発展するとし、啓蒙時代人は一八世紀の啓蒙時代が歴史上最高の時代であると考えたのであった。現在が過去よりは発達した時代だということは一面の真理を持っている。わたしたちの周りでも、たとえば医療技術の発展は目覚しいものがある。わたしは膀胱鏡の検査を三ヶ月毎に受けているが、最近の膀胱鏡検査では、膀胱鏡の改善によって、数ヶ月前までは施術後かなりあった苦痛が、全くといってよいほどなくなった。これは大きな進歩だと言ってよいと思う。しかしこのことを裏返して言えば、この発展史観では、現状には常に不満があるということでもある。それゆえの創意工夫である。

 近代的学問の方法は、要素還元主義であると言える。昨日よりは今日のほうが、その要素還元は精密になり、ある現象の原因に近くなる。そしてその原因を突き止めることが、その現象を理解したということだと思われている。しかしこの方法だけでは、何か重大なものを見落とす結果にならないか。これはどの学問でも言えることだと思うが、一九世紀以来、現在でも、新約聖書学の基本的意図であるイエス伝学を例にとって説明してみよう。新約聖書の福音書はイエスの伝記という形式をとっているが、これは幾重もの資料がいろいろな動機で重なり合って成立しているもので、単純な伝記ではない。だからその重なり合った資料を「要素還元」して、最古の資料層に至るのが新約聖書神学の基本的方法になっている。これは微細を究めた作業なので、そのための訓練を受けた新約聖書学者たちのみがなしうる学問であり、その訓練を受けた新約学者たちが、現代の祭司のようになっている。それはまあいいとして、その結果現れたイエス像は、貧しく、抑圧された人たちを、「死にいたるまで」擁護した人道主義者であり、それこそがイエスの実像であるということになっている。しかし新約聖書が伝えるイエス・キリスト像は、それだけなのだろうか。わたしはイエスが死を賭してまで、貧しい人々の味方をした人道主義者であったのはその通りだろうと思うが、しかしイエスは単に貧しい人々の味方をした一人の人道主義者であったにすぎなかったのだろうか。キリスト教という宗教が告げる真理はそれだけなのか。それではキリストの意味は何なのか。現代のイエス伝学では、「イエス・キリスト」といわれる意味の、何か重大なものが見落とされていないだろうか。

 イエス伝学をはじめ近代的学問を、わたしは否定するつもりはないし、イエスが余人の追随を許さないほどの人道主義者であったことはその通りと思うが、しかしそのような、新約神学の要素還元主義的分析には盛りきれない大きな肯定が――否定ではなくて――、聖書の背後にはあるのではないかと思う。これは以前にも書いたことがあるが、ヨーロッパの数々の大寺院を見ていると、これらの大寺院は、貧しい人々の味方であった人道主義者、ナザレのイエスには馴染まないとつくづく思う。しかしそれはその通りでありながら、これらの大寺院が表現しているものの中にも、聖書の意味は表現されているのではないかとも思うのだ。これらの大寺院の意味の否定は、人間の文化一般の否定にならないか、と思う。現代アメリカの、教会史の碩学J・ペリカンは、歴史は断絶を繰り返しながら、しかしその断絶を通して継続しているものがある、と言っている。イエスの時代と中世、中世と近代、近代と現代はそれぞれ断絶している。貧しい者の味方であったイエスと、金銀の大寺院に祭られているキリストが断絶しているように、である。しかしその断絶を通して一つの全体性が継続しているのではないか。そもそも全体性とは、それぞれの部分の特殊性の中に、それとに二重性的に暗示されているようなあり方をしているのではないのだろうか。

 啓蒙主義的歴史観とは反対に、ロマンティシズムの歴史観は、歴史を一本の発展史とは考えない。それぞれの時代がそれぞれの意味をもち、その特有のあり方によって歴史の、つまり人間の、全体性を示していると考える。古代は現代と較べて幼稚な時代と考えるのではなくて、古代は古代のあり方で全体性を暗示していると考えるのである。この、部分の尊重、各部分が全体性に通じているという消息が、「明日のことは明日自らが思い悩む」という言い方で表現されているのではないか。実際、全体性という対象認識を超えた現実を考える場合、各時代の特性や、その断絶と相違、古代は現代と較べて科学が発達していなかったなどという事実は、何ほどのことでもない。その全体性への憧れが歴史のロマンティシズムだ。しかしそうしてのみ、歴史の、したがって文化の全体性は触知できる。

しかしそのように歴史をロマンティシズム的に考えないと、わたしたちの人生は何かギスギスした、余裕のないものになる。わたしはいま七四才になるが、この年令になると、自分の人生の終末ということをつくづく考える。そして「待ったなし」という感じになり、若いころのように、自分の生を楽しめなくなった。若いころは夏の暑熱も、秋の爽涼も、その背後にはいつも夢と憧れがあったのだが――。かの自然派エッセイスト串田孫一氏も、「年をとっても、何かいいことがないかと思うのだが、なかなかそれがない」という意味のことを、いつか新聞紙上で言っていた。しかし老いた人物が、若いころの日々の感動をとり戻そうとしても、それは不可能だ。若い日の感動をとり戻そうと努力することは、「その日の苦労は、その日一日だけで十分だ」と言って、一日一日を尊重することでもないだろう。老いた日々には、それ独自の生きかたが、やはりあるのではないか。

 

井上洋治神父の『アッバ讃美』という詩集を読んでいたら(アッバとはアラム語で「お父さん」という意味)、次のような「――弱い私だからこそ――」という詩があった。「イエスさま/あなただけいてくだされば/それでじゅうぶん/あとはなんにもいりません   心からそうお祈りできたらと/思いながら   それができずに/寝たっきりになることを/目が全く見えなくなることを/なにか恐れているわたし   でも/アッバ/そうなったときには/弱い私だからこそ/おみ風さまは/必ず しっかりと/抱きとめてくださるのですよね」。

ここには、アッバに対する全面的な信頼をもちながら、それにもかかわらず自分の人生の終末を恐れ(井上神父は、いまでも目が悪い)、言い換えれば、アッバに全面的に自分を委ねることができず、それでもなお信じて、この詩を書いている自分の現状が歌われている。しかしその信仰は、この詩の最後がアッバに対する「抱きとめてくださるのですよね」という、いわば念押しで終っているように、なお不信をも含んでいるのである。その切実さを、この詩は歌っているのであろう。「一日の苦労は、その日一日だけで十分である」とは、決して、単層の信頼ではない。しかしそれが人間というものであろう。だから信仰もそういうものだと思う。そういう苦しさ、空しさを含んでいるからこそ、「明日のことは明日自らが思い悩む」とも言えるのではなかろうか。

 

ピアニストのEさんが、右手の薬指、小指に麻痺がでるようになった。練習のし過ぎで、直るのに三年はかかるそうだ。Eさんはドイツ留学中であったが、そのために最終試験であるオーケストラとの共演を延期して帰国した。わたしはそれについて、必ずよくなるとか、経験に無駄なものはないとかという種類の、安易な励ましはしたくない。しても無駄だろう。しかしそれにもかかわらず、いろいろな苦しみや問題のあるこの現実の中にこそ、全体性はやどっているということは、やはり言わねばならぬと思う。「その日の苦労は、その日だけで十分である」という言い方が、それは無計画ということではなく、やはり真理をもっていることを、である。(04813)

 

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