花 吹 雪 の 中

小田垣雅也

 

 花吹雪の中を歩いていたら、近くの高校の女学生が、下校の途中ででもあったのだろうか、三人、前の方を歩いていた。そして急にその三人が、散っている桜の花弁を追い始めた。それは少女たちに追われることが、自然であるような風情を持っていた。花吹雪と若い三人の娘たち。それは美しい光景であった。
 わたしが小学校に入ったときも、友達もいないし、校庭の向こう側に走っていこうとしたが、そのときのいくらか緊張した気持ちをわたしは忘れないでいる。フト見るとわたしの、白い襟のかかった通学服(紺色)の肩に、桜の花弁が一つ載っていた。校庭のその一角には桜が咲いていた。その三、四日前(か後)、下校のとき母親がいないので泣き顔になったが、すぐに母親の笑顔が現れた。その背後に八重桜が一面に咲いていた。その印影を、わたしは思い出すことができる。
 むかしから言われていることだが、美はその背後に「亡び」を含んでいる。美は儚い。花吹雪そのものがそうだ。花吹雪は散るからこそ美しい。それを劇的に表現しているから、花吹雪は美しいのである。

 上野千鶴子氏の本を三冊ほど読んだが(『おひとりさまの老後』平成一九年、『男おとりさま道』平成二一年、『ひとりの午後に』平成二二年)、「ひとり女」の見地から、いろいろに理論武装してあるが、要するに「甘いね」というのが読後感であった。一重的なのである。一重的なものは、前提が崩れるとすぐに崩壊する。彼女は東大の教授で専攻は社会学だが、甘いと思ったのは、「ひとり」というのは、それを語る者の「全否定」が含まれている、ということである。そこには、そのような社会学的なことを書いている上野自身の否定が含まれている。それはその「全否定」が含まれているという意味で、惨めで人生にとって苦しく、生きていることは無意味なことだ。そこには著者自身の「死」またはその前段階としての「老いの無意味さ」が含まれている。自分が無意味さの前に立ったらどうするか。それでこそ「おひとりさま」を云々する資格がありえよう。
 それこそ神も仏もなしに、である。それは『ひとりの午後に』の目次の最後に出てくるような「ひとり」ということである。それをどう書いているかというのが、わたしの上野の随筆(学術書ではなくて)に対する興味であった。上野自身はそのことに、殊に前記二冊では触れていない。最後の本は随筆集だから、そのことを期待して(?)わたしは読んだのだが、なにも回答は無かった。いろいろ言っているが、その答えはない。わたしは、随筆に滲み出る味わいの人生観の方が本物だと思う。それでこそ随筆の名に値しよう。これは学問の限界か。ただ最後の最後にこうある。引用してみよう。
 「そんなことを言うのも元気なうちなだけよ、という声がどこからか聞こえる。衰えたり、気が弱ったり、病気になったりしたら、ぴいぴい泣いて、『お願いだからわたしに会いに来て』と友人たちに懇願するのだろうか。/――――それもまたよしとしよう」、「わたしは研究者だから、『考えたことは売りますが、感じたことは売りません』とこれまで言ってきた。『ひとりの午後』にも、ささやかなよろこびやしあわせはある。断念も抑制もある。それは日射しが翳るまで生きてきた者に与えられるご褒美のような人生の味わいだ。」(本書二二八頁、「あとがき」二三三頁)。この場合の「ご褒美」とは、要するに自慢のことではないのか。それが全編にあふれている。それ以外は、本書全般にわたって、自慢ばかりしていて、実存が掘り出されていることはなく、「甘いね」ということである。そのことを、つまり「全否定」の後の言葉を、わたしは上野の随筆に求めていた。それでこそ『独りの午後に』という言葉も生きてくる。これは宗教的「信」とか「悟り」の世界とは遠いね、とわたしは思った。

 宗教的言語とは、禅の公案がその典型であるように、論理的言語の限界を知っている言語である。つまり、「自分自身に関する言語」だ。それは言語で直接的に意味していること、その限界を超えて、その先の世界を暗示している。それはそれこそが自分自身であって、人生の「ご褒美」ではない。本当は、随筆でこそ、その奥の次元を暗示すべきものだろう。公案も、キリスト教の信も、実存もそうだ。それは直接的な意味、つまり主観―客観的認識的言語の届く範囲を超えているのである。これは「概念」と「実存」の違いで、それが宗教的言語である。
 たとえば人間はダーザイン(現存在、Dasein)としてのザイエンデ(存在者、Seiende)であるとされている。わたしには今にしてそれが分かったが、これは人間は「自分の存在を自覚している一個の存在者」という意味である。その奥を暗示している言語である――それはハイデッガーにとって、存在それ自身であると言われているが。実存や、信や、現存在は、そのことに触れているのである。
このことは、信は実存的真理であって、信や、公案の対象、つまり「悟り」は、ついに完結した「概念」で把握することはできないことを意味している。宗教的言語は、ついに、完結した概念を収容することはできないのである。だからそれは、神や仏や全体は、わたしとの「関係存在」としてのみ理解できるということでもある。人間の主観の翳を引かない、その意味で、ある事象を「言い切る」ことができるのは、宗教的言語ではなくて、科学的言語である。確実なものは、つまり神や仏は、主観―客観的言語にはないのだ。それを神秘というのならば、神秘ほど確実な知はない。それは聖書に書いてあるから、と言って、判断停止などはしない。それが「死」とか「別れのとき」という意味だろう。それはまた概念から「分かれるとき」でもある。
 その意味で「聖書」大なることの「別れのとき」である。聖書そのものが「分かれのとき」を暗示しているのではないか。だから上野の「本」は最後だけで(228頁)、つまり「それもまたよしとしよう」と言うだけで救われている。

 他人の思考は「他人の思考」というだけで駄目なのだと思う。遠藤周作は殆ど読んだが(『神とわたし』山折哲雄編、朝日文庫、二〇一〇年)、たびたび挙げる「信仰とは九〇パーセントの疑いと一〇パーセントの希望」という言葉も、これはG・ベルナノスの言葉だが(1888~1948)、もともとは遠藤の上記の文庫版から拾ったものである。そして『神とわたし』の最後に、信仰は(神の)「働きである」などと書いてある。そのように云う意味は分かるが(つまり、「神は対象ではない」ということであろう)、この場合も二重性的に理解しないと、この「働き」も、働きの主体とその対象ということに二分化してしまう。その点がハッキリしないので、奥歯にものが挟まったように感ずる。つまり甘いのである。遠藤の信仰といえども、それは神を前提にした、「遠藤がそう思っているだけ」という、甘さを抜け切っていない。
 もう一つ、三浦朱門の『人生の終わり方』(海龍社、二〇〇五年)という本を読んだ(終わりだの、存在だの、神だのを扱った本ばかり読んでいて、恐縮だが)。これを読んだに当たっては、三浦の友人の受洗にあたり、「それをキッカケにして、わたしも洗礼を受けることにした」、とむかし書いてあったからである。本当は、友人の受洗という事実などはどうでもよいので、洗礼や信仰はキッカケの問題であり、思い切りや、修行の涯の問題ではないのである。神の問題、人生の終わりの問題は、決して現実が変るとか、リアリティーがそこで変るとかの問題ではない。それはキッカケの問題だ。
 つまり信やさとりは「論理的な、完結した問題ではない」ということだ。結局、神、死、全体、世界の問題などは、他の人々に答えを求めていてもダメだということが分かった。それが実存的(実存哲学的ではない)ということの意味であろう。それは自分の「今、そして此処」の問題なのである。そのことをこの本から読み取ったのは、幸運であった。

 わたしの友人の河野(故人)が東京高校(旧制)で作文を宿題に出されたと言っていた。「題は何か」と聞くと、『この頃』だ、という話であった。さすがに、高校(旧制)ともなると、作文の題の出し方も違うね、とそのとき思った。「遠足について」、とか「運動会について」などという具体的なテーマではない。これは哲学的、反省的である。わたしは、今の時点では、二重性的、ということを書くだろうと思う。「この頃」は、わたしにとって肯定的ではない。しかし否定的でもない。肯定―否定という対立を超えて、肯定的なのある。それは人生の肯定に連なっている。
 その意味で使ったら、むかしわたしの学生が、「小田垣先生は、花吹雪の感想を見ても、肯定主義者だ」と言った。それはいくらか違うのである。

 

<< 説教目次へ戻る

 

 
inserted by FC2 system