自 力 と 他 力
小田垣雅也

 

 コリント人への第一の手紙、一三の一三、「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」をテキストにするが、今日はその中で、信仰とはいかなる本性のものかということを考えてみたい。
 自力信仰、他力信仰の違いは、入信を自己に備わった能力によるものとする考えを「自力」、仏陀、菩薩、キリストなどの働きによって信仰を得るという立場を「他力」と言う。だから禅宗は自力信仰であり、浄土教、キリスト教などは他力信仰である。しかし岩波の『佛教辞典』「自力・他力」の項によると「根源はすべて他力と考えられる。これは行に関する区別というよりは、行に対する心構えの別で、同じ念仏行にしても、称える功徳をわが功績と見なすのが自力念仏、我の上に現れた仏の働きかけと見るのが他力念仏といえる」とある。
 また最近、五木寛之の『人間の覚悟』という本を読み、面白かったが(新潮新書、二〇〇八年)、その中に、親鸞の有名な文が引用されている。引いてみよう。「念仏はまことに浄土に生まれるたねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん、総じてもつて存知せざるなり。たとひ法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候。その故は自余の行もはげみて仏に成りべかりける身が、念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ、いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」。これは最初に読んだときは、本当にショックでした。
 五木自身が自力か他力かと聞かれれば、「わたしは他力を大切にしたいと思っているわけです。・・・・結局、どうしたところで自力には限界があるような気がします」という(同書一三一頁)。五木は他力信者だといってもよいだろう。しかし、その例として五木が他力としてとりあげているものは、寿命だとか、社会主義の幽霊であり、資本主義の断末魔であって、それらは外在的なものであり、親鸞が言うような、いわば実存的なものではないような気がするが。
 そして五木によれば、「信じるとは 裏切られても後悔しないということです。何かを信じたなら、裏切られることがあっても、絶対に後悔もせず、責めもしない、それも覚悟なのです」という(同書、一二五頁)。覚悟とはそういうものだろう。

 しかし、以上の区別は、少し違うのではないか。信仰に関して、自力と他力という選択肢があって、その一方、つまり他力を選ぶという場合、そのように選択する主体が自分である以上、それはやはり自力の一種ではないか。他力を選ぶという選択の主体は、やはり自己として残っている。これは親鸞が「とても地獄は一定すみかぞかし」と言ってみても、五木が「覚悟」と言かえてみても、自分がそう決めているかぎり、言いうることである。覚悟とは、それが「覚悟」である以上、自分が自分の迷いを、乗り越える事情をさしていよう。それは高度に主観的なことである。わたしなどは、その覚悟ができないで、これまで悩んできところがある。この悩みはどうしても脱けらない。どうしても、そう決めているのは自分(自力だ)だ、という反省が抜けきれない。易々としてその「覚悟」ができることには、むしろ「本願ぼこり」が胚胎している。「念仏すれば、後は何をやってもよい」というのが「本願ぼこり」である。

 一九三四年に、カール・バルトとエミール・ブルンナーの間に行われた「自然神学」論争というのがあった。この論争は他力と自力の関わりかたに関係がある。バルトは後年( Die kirchliche Dogmatik I/2 1948, S.372)『教会教義学』の註の中で、親鸞に多大な肯定的興味をよせている。これはブルンナーが『自然と恩寵――カール・バルトとの対話に向けて』という小冊子を刊行したのに対して、バルトが『否!――エミール・ブルンナーへの答え』を書いたことから始まった論争である。
 ブルンナーの主張は、要するに人間の救いの可能性は、聖書に書いてあるとおり、イエス・キリストによる「神の言葉」によるという弁証法的神学の主張に同意しながら(つまり哲学や思想の問題ではないということ)、その神の言葉を人間が受け入れるためには、それを受け入れる素地として、人間の側に神との「結合点」(Anknuefungspunkt)、言い換えれば、人間の「責任応答性」がなければならぬということ、その意味で人間の中には少なくとも、形式的には「神の像」(imago dei)が、アダムの堕罪にも関わらず、残っていなければならぬ、その意味での自然性は認めねばならぬ、という主張である。それに対してバルトは「否!」と言い、人間は徹頭徹尾罪人であって、形式的に残っている「神の像」など意味がないという主張した。要するに、この論争でブルンナーが主張するのは、バルト的、キリスト中心主義の他力的信仰に対して、人間の主体性と人間には知力が存在するという「神の像」の、すなわち、人間の自力的信仰の主張である。

 しかしその自力も、人間が他力か自力かのどちらかをとるという単純なものではない。他力信仰のエッセンスである『歎異抄』第十段に、念仏は無義の義であるということが述べられている。「念仏には無義をもて義とす、不可称、不可説、不可思議のゆえにとおほせさふらいき」と書いてある。義とは、浄信への親鸞の手紙に、「義と申すことは、行者のをのをのはからふことを義ともうすなり」とあるから、人間のはからい、念仏の理由づけ、佛知の教義的認識をいうことであろう。ここでエックハルトの自己無化的信仰論を思い出すこともよい。そのような人為性が一切ないことこそが、念仏の義である。つまり、他力信仰の動機が生かされている。
 しかしこの「無義の義」は、禅宗が、達磨以来の伝統として特に強調する不立文字・教外別伝・直指人心・見性成仏と相通じる。もちろん、教外別伝という言い方で意味されていること、仏知は「教内の法」を超えたものだということは、キリスト教もそうであるし、聖道・浄土、つまり自力・他力の区別をこえたものである。これはおよそ「宗教」が「宗に関する教え」になる以前の、「宗」教のあり方でもあり、宗教が哲学と区別されるそもそもの所以でもある(これは書いたことがある)。そしてここで強調しておきたいことは、不可称・不可説・不可思議なるものは、このようなあり方の故にこそ、それは他力信仰となるが――親鸞が言うとおり――、同じ理由から、それはすべての義を、言い換えれば、すべての認識や知を、自力によって脱けだすことによって悟得されるということでもあるということだ。それを親鸞は「無義の義」と言ったのである。
 そのどちらを人間が、たとえば近代自我が、主体的に選択するかなどという水準では、他力も自力もその本意が失われてしまう。言い換えれば、自力信仰と言い、他力信仰と言っても、それはそのどちらが必然的か、などという単純なものではない。実際、念仏が不可思議なものである場合、それを阿弥陀佛の名に限ることは矛盾していよう。不可思議な対象は、本来、人間のあらゆる知をこえているからである。
 親鸞が繰り返し他力信心を言うとき、その他力は通りいっぺんの他力ではない。それは弥陀の誓願を当てにしての浄土への転入といったことではない。われわれの場合で言えば、キリストの贖いを当てにしての、天国への転入ということではない。つまり「本願ぼこり」ではない。他力はむしろ、自力―他力(主観―客観)を超えたところで問題になりうるような他力である。他力が不信なる自己を自力的に捨てた上での専修念仏ということだったら、それはその出発点において、他力を裏切っている。極楽往生を求めるのは、「自分」の決断である。つまり自力である。浄土宗の鎮西派は、この世での念仏は自力であって、この自力の念仏によって、浄土に迎えられるのが他力であると考えた。真宗は、自力の念仏は他力の中の自力であり、弥陀の本願を信ずることは他力の中の他力であると考えているのは、右の消息を物語っている。同様の議論は「先行の恵」をめぐって、キリスト教の中にも、アウグスティーヌス以来一貫してある。
 また自力ということも、単純に自分の力をより頼むことではない。自分の力によりたのむことは「野狐禅」として、嫌われた。逆に「自己をはこびて万法を修証するを迷いとす」と道元は言う。これは自力信仰であるように見えるが、本意は逆に「万法すすみて自己を修証するはさとりなり」(『現成公按』)という。自力信仰とは方向が逆であり、ここでは単純な自力はむしろ厳しく斥けられている。
 元来「即」とか「即非」、まして「逆対応」の世界に、いわゆる自力を起動させる主体たる自己などはない。自力の目的は自力の必然性が失われることであると言える。『現成公按』の中の有名な一節「仏道をならふというは自己をならふ也」は自力などではない。「自己をならふといふは自己をわするるなり」と道元は続けている。そして「自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり」と。万法のほうが先にあるのである。
 このことは本来、悟りというものは、さとりの自覚そのものが消え去ることだ、ということだということに連なっている。すなわち「無相の自己である。」このように言うことは、エックハルトの、神の前に心貧しいということは、神に対する捉われを捨てることだという理解に通じていよう。

 自力と他力、両方必要なのだと思われる。自力・他力の当体としての浄土ないし「神の国」は、それに気づくとも(自力)、気づかされる(他力)ともいえる。その中間性、両面性が「絶対無」のあり方だ。その二重性が信仰ということではあるまいか。自力と他力は事柄としては同じものではない。しかし自力がある以上は他力が必要であり、他力がありうる限りは、自力も必要である。それがたぶん、法然、親鸞、また道元によって打ち立てられた鎌倉仏教だ。それまでは、鎮護国家の佛教、祈祷儀礼の佛教、上流貴族の佛教であった。この自力と他力の二重性とはどういうものか、ということが、わたしたちがこれまで、追求してきたことであった。
 自力と他力を互いに矛盾するままにしておくことは、たぶん哲学的認識ではあっても信仰ではない。紙の表と裏の「間」は、そこにありながら、指定され、対象とされる意味ではどこにもない。その「間」は、紙の表にも裏にも属している。紙をどんなに薄くしても同じである。それがなければ、一枚の紙はない。しかしその「間」を表現するためには表と裏との間の「無いことにおいて有る」二重性しかない。「間」という独立した概念はない。これは「不立文字」(禅)「無義の義」(浄土真宗)といわれる消息であろう。浄土系の信仰も、そのことを言っているのだと思う。

 そしてわたしはつくづく、この期におよんで、情緒ということの必然性を考える。いつか言った「お守り札」も、お札というものそのものが、情緒の問題であるからではないのか。情緒は、この論理をこえた「間」を示唆しているものではないか、と思う。南無阿弥陀仏という念仏も同じである。キリスト教の祈りも同じだ。宗教とこの超論理性、つまり情緒が近いのは、このせいではあるまいかと思う。

 

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