「 こ こ が ロ ー ド ス 」

小田垣雅也

 

 むかしわたしが学生であったとき、赤岩栄先生に「ここがロードス。ここで踊れ」(hic Rhodus, hic salta) という諺を教えてもらったことがある。自室の障子にそれを落書きしていた。そして「いま、そして、ここ」(hic et nunc)という言葉とともに、「ここが(この自分の勉強部屋が)ロードスだ、ここで踊れ」と連発していた記憶がある。われわれの同人誌、というより、定年老人四人の作文集『ザ・サード・ミレニアム』三二号に大橋弘君の「紙屋川だより」というエッセイが載っており、そこに、大橋君が家に遊びに来て、障子に落書きしてあったその言葉を見たことが、回想とともに書いてあった(八、九頁)。わたしは「そう言われてみれば、そういうこともあったな」程度にしか覚えていないが。

 その時この諺の意味を尋ねられて、わたしは「ロードスにいくまでもない。ここがロードスだってことだよ」と答えたと、その同人誌に書いてあるが、そのように大橋君に答えたときの気分は、周囲の状況は忘れてしまったにもかかわらず、明瞭に覚えている。それというのは、salta というラテン語は「跳べ」という意味だと字引にはあり、「踊れ」ではないので、わたしはそれ以前からその訳に少し困っており、大橋君との問答のときも、そのことをごまかしたからである。それについて、同君のつぎの文章を読んで氷解した。そこにはこうある。「salta は跳ぶ、踊ると言葉のルーツは同じである。むしろ、踊るという用法の方が多い。hicはここで、の意である。『ここがロードスだよ、ここでやってごらん』である。ロードスへ行くまでもない。ここがロードスなのだ。ここをロードスとして跳んだらいい。それが『踊る』ということの内容であろう。ロードス探しはしなくていい。」

 いまこの文章を書くにあたって、平凡社の『国民百科事典』で「ロードス」の項を引いてみたが、ロードスは小アジアに近いドデカネス諸島の最大の島で、人口六五二〇〇(一九五一年)、西部がアタイロ山。典型的な地中海の気候で、ぶどう、穀物、オリーブ、柑橘類を産する等々、地誌的なことが書いてある。「ここがロードス、ここで踊れ」という諺の意味には触れられていない。そして大橋君の解説によると、オリンピックの五種競技、つまり跳躍、徒競走、円盤投げ、槍投げ、レスリングの選手の男の一人が、自分はロードス島で大きな跳躍をした、ロードス島へ出かけることがあれば、そこにいる人が証人になってくれるだろうと語ったのに対して、もしそうなら「ここがロードスだ、さあ、ここで跳んでみろ」と周囲の人から言われたという逸話である。

 わたしが赤岩先生から教えてもらったその諺の中に当時感じ取っていたことは、「ここがロードス」という言葉の中に響いている「決断」の促しに、わたしが共鳴したのであろう。決断は「いま、そして、ここ」でしかない。 いつか、どこかで踊れるのだったら、いま、ここでも踊れるはずだ。 いつか、どこかで踊れるのだったら、「いま、ここ」でも踊れるはずだ。決断の中でこそ、道は拓ける、と。わたしたち当時の青年たちは、決断を称揚し、ただ待つことに、ニヒリズムの臭いを嗅ぎ取っていたのである。「それならここで跳んでみろ」という言い方は、ロードスへ行くことを「待って」ばかりいる人々に対する警告と、その生き方への疑い、その裏側にある「決断」への促しがあると思った。当時、キルケゴールやブルトマンの影響で、信仰は決断であるという言い方が流行していたのである。

 わたしはと言えば、「決断」は実存的意味にとらえるべきであって、観念論的にとらえるべきではないこと、自分の現実が変わることが決断であって、それは「決意」、つまり自分は「もとのまま」で、ただ決意するだけというのとは違うのだ、ということを主張していた。そういう論文も書いたことがある。しかしこの諺の背後にある信仰は決断であるという決断信仰論的解釈は、少し違うのではないか、と最近思い始めている。

 

 わたしは学生のとき、一度だけ芝居をやったことがある。演目はカフカ原作の『掟の門』という短い二人芝居で、代々木上原教会発行の雑誌『指』に載っていた。東神大の学生と二人で、一人はその「掟の門」の番人(それがわたしの役)、もう一人が、その門を入れてもらおうとして、待ちつづけながら、ついに死んでしまう男の話である。細かいことは忘れてしまったが、(誰か教えてください)要するにその男が、門を入れてくれるよう手を変え、品をかえて、何回も門番に頼む。しかし入れてもらえない。最後にその男が、待ち続けて倒れ、死にそうになって、門番が「もうこの門は閉めるぞ」と言う。するとその男は、薄れつつある意識の中で、門番が門を閉めながら、こう言うのを聞くのである。「もともとこの門は、お前のための門だったのだ。門はいつも開いていたのだ。ただお前が立って、入ればよかったのだ」。そして門番は門を閉めてしまう、という芝居である。
その芝居は青年会みたいなところでやったのだが、みな、よく分からなそうな顔をしていた。しかしやる方にとっては、ただ待っていることの空しさが、痛いほど分かった。待っているだけでは、信仰の門は開かない。だから主体的に、自分で立って、門を入ればいいのだと思った。そうすれば、門番も敢えて邪魔はしなかったろうに、と。そしてロードス島の「いま、ここで跳べ」の話は、そのことを言っているのではないかと思ったのである。ロードス島に行くことを待っているだけでは、永久に跳んだことを証明できない。生きるということは、待っているだけではなくて、踊ることであるのだ、と。

 

 こういう話もある。わたしがアメリカに留学したのは一九六四の秋だが、学校に着いて二、三日後、講義が始まる前に、ニュー・ヨークのオフ・ブロードウエイ、つまり実験劇場に、一同で芝居を観に行ったことがある。そのころはベケットの『ゴドー(神)を待ちながら』が流行しており、その芝居も、このベケットの戯曲の翻案であるということであった。新しく神学を始める若者たちに、それを見せてやろうという、学校側の親心であったかもしれない。

 とにかく、劇場(というより粗末な芝居小屋)に入ると、あたりは真っ暗で、真ん中に粗末なベンチが一つ置いてある。そしてそこだけ光がスポットになって当たっている。われわれは周りにすわって見物するのである。間もなく俳優とおぼしきみすぼらしい男が出てきて、真ん中のベンチにすわる。いよいよ芝居の始まりかと思って観ていても、なかなか芝居は始まらない。その俳優も、落ち着かず、首を伸ばして、自分が出てきたほうを透かし見たりしはじめる。その俳優自身が、相棒がでてきて、芝居が始まるのを待っているようなのである。そういう状態がしばらく続き、その俳優もあきらめて、ベンチに座りこんでしまう。そのうち、ベンチと俳優にスポットを当てていた光が、次第に暗くなり、ついにフェード・アウトして部屋は真っ暗になり、芝居は終わるのである。

 その暗闇に直面したときの、わたしたちの、裏切られたという感覚と空しさは、今でも覚えているぐらいだから、かなり強烈であったのであろう。その芝居は寸劇ながら、待つことの空しさに、観客の学生たちを巻き込んでいた。わたしたちは、普通の芝居が展開されるのだろうと期待していたのである。そして神は「待って」いるだけでは来ないのだということ、「ここで跳んでみること、踊ってみることが大事」であることが、あの芝居にはたしかに表現されていたと思う。そのようにして、「主体的決断」という種類のことを、この芝居見物を企画した人々は、新しい学生たちに教え込もうとしていたのかもしれない。

 

 しかし、現代の信仰論は、「これとは少し違うね」とわたしは思うのである。決断と言い、主体性と言うが、「主体的決断」と言う場合、考え切れていないある種の安易さが、この決断信仰論にはないか。主体性という場合、その主体とはそもそも何なのか。それは近代自我の一変種ではないのか。主体性ということを主張するためには、その主張をするためにその主張の背後にある主体として、もう一つの主体性がなければならぬ。そしてその主体を主張するその奥にも、再度、主体性があるし、またその奥にも主体性がある。それは結局、自我を離れられず、決断ではなくて決意になる。ここにある状況は、主体性の無限の後退である。決断信仰論的な単なる主体性の主張には、このような反省がないのではないか。これはいわゆる唯物論的主体性論、観念論の特徴であろう。プロレタリアート意識のところで、主体性の後退を中断してしまう。そしてこのような反省は、現代の脱構築論や仏教との対話を通過する中で、わたしたちが鍛えられたからこそ持ちうる視点だろうと思う。

 最近、一人称の知、二人称の知、三人称の知ということが言われるようになった。信仰や悟り、美や実存は、一人称的現実であるにもかかわらず、それを説明し表現したときは、それは三人称的知識、つまり対象論理になっている。だからそこでは、一人称的現実は消えている、というのである。信仰や悟り、また美的感動や決断は一人称的現実でありながら、それを対象論理的に説明しようとする点に、宗教的言語の難しさがある。説明とは三人称のものだからである。自分の、つまり一人称の、死体は、認識の主体が死んでいるのだから、ないのだという使われ方をする(養老孟司)。

 先ほどから説明してきた「待つこと」の空しさも、そのことにかかわりがあるのではないか。三人称の知を、いくらそれに期待し、それを待っていたとしても、その説明に一人称の現実そのものが到着することはない。説明は常に三人称の、対象論理だからである。「ここがロードス。ここで踊れ」という言い方も、単に主体性の強調と言うことに留まらないで、それは一人称の率直さ、現実性のみが真実だということを言っているのではないか、とわたしは思うのだ。それが「ここで踊れ」の意味であろうと思う。この諺が主体性の強調であるのは、「一寸違うね」と言ったことの意味は、そういう次元でのことである。『掟の門』や『ゴドーを待ちつつ』の待つこと、単に待っているニヒリズムも、単純に主体性の主張ということにのみかかわったことではないのではなかろうか。それは三人称的説明が、一人称的現実をいつも取り逃がしてしまうことからのニヒリズムではないのか。もしその場合、それは構造として、唯物弁証法の論理と同じである。そのことを、「ここがロードス。ここで踊れ」の諺は言っているのではなかろうか。

 達磨大師の言葉に「前を謀らず、後ろを慮らず」というのがある。そこで語られているのは率直さということであり、それこそが、「ここがロードス。ここで踊れ」の本意ではないかと思われる。イエスも「だから明日のことまで思い悩むな、明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」という言い方で、同じことを言っているのである(マタイ六の三四)。

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