こ  の  頃
小田垣雅也

 

 今日は、「母の日」。アンナ・ジャービスと言う女の子のアイデアだという。100年位の歴史しかもっていない(1908年)、アメリカ発の休日。

 しかし「母の日」は、女性の日と言えるのではないか。そのように考えて、ここでは、女性的信仰と男性的信仰について考えてみる。

 このところ、カトリックの作家、井上洋治、三浦朱門、遠藤周作、井上ひさし、などを続けて読んでいるせいか、こちらの感性までカトリック的になってきた。彼らはルター、カルヴァンに較べると、はるかに存在論的である。
 ルターの「罪人にして、同時に義人」にしても、カルヴァンの聖書論にしても、カトリックに較べると実存的・男性的である。そしてルター・カルヴァンの実存的信仰論は、わたしの信仰論でもある。わたしの「二重性のものの考え方」によれば、人間は「罪にして同時に義」ということはあり得ないから、そこの在り方には論理的矛盾が含まれている。一個の人間が、「罪にして同時に義」であることができないのは、それが対立概念であるからだ。それらは互いに矛盾している。だからこの信仰論は、ありえないという意味での「絶対無」ということに基づくものでもあろうと思い、その事実に関して全面的な信頼を寄せてきた。その緊張の中に信仰の本義はあると考えてきた。だからわたしの宗教哲学は「絶対無」にもとづいた宗教哲学であり、そのことに感動をもってきた。

 わたしはその事実に気づいて以来、「人間はそういうものなのだ」という「緩め<ユルメ>」(つまり、実存的な「決断の連続」に対する)の感情に、どれほど感動を繰り返してきたか分からない。それはわたしの人間論の真実であった。それは「毎回決断の繰り返し」、ということであり、つまり「決断は日々新た」、であって、その意味で、それは極めて実存的・男性的である。実存と時間の概念は切り離せない。上原教会でならったことは、この「緩め」の感情であった。この決断は、何かを規準にした決断ではない。だから、「人間はその決断の主体としての当体である。だからこそ決断として純粋でもある」と思っていた。

  何かを規準にして決断をする場合、その決断よりもその「規準」が時間的に先にある。それは「規準」に先立たれている以上、「それは『規準』であって、決断が先にある」という事情ではない。これが「緩め」の感情であり、それを上原教会で習ったのである。そしてルターの決断論も、その意味を含んだ事情であろうと思っていたわけだ。上原教会は、元をただせば、カルヴァン系の教会(日キ教会系)である。だからそれに対してこそ、わたしは「緩め」られたのだ。この「緩め」という用語は、当時上原教会の用語であった。赤岩先生は、当時から言葉の「天才」みたいなところがあったが、こういう言葉の使い方にしても、その才能が認められる。
 この立場は今にしても、一貫している。一般に、いわゆる宗教改革の二代目になって、実存性が脱けると論理的になって(カルヴァン系の教会のように)、実存のかわりに教会論的になると言われる。ルターのような実存性が脱けてくるのである。だから信仰論として信仰そのものが、つまり教会論的・聖書論的になってくる。

 それに較べて、遠藤その他のキリスト教理解は、存在論的である。ここでは酷薄な決断論よりは、「女性的」である。これは「毎回決断のくりかえし」ということではない。そのことを言い換えれば、これはすべてを受け入れるという意味で存在論的である。酷薄な決断論の決断の連続というようなところがない。「ヨーロッパはキリスト教的である。キリスト教はヨーロッパ的である」と言ったのは、誰だったかは忘れたが、最近ものを読んでいて、そのことの意味を考えることが多い。
 ヨーロッパは普遍的に存在論的である。存在論は普遍的であればあるほど、女性的である。わたしは、井上(洋治)と論争(?)したことがあったが、井上によると、井上は「南無」という言葉が好きだそうで、南無は帰命、帰教、信従だそうで、そういう意味での帰依が「拠り頼むということ」の意味であるという。そして井上は言う。「実に適切でよい言葉だと思い、アッバにすべてをお任せし帰依するという意を『南無アッバ』という言葉にこめたいと思った」という(『南無の心に生きる』2003年、筑摩書房、201頁)。

  拙著『憧憬の神学』(創文社)で以下のことを書いたのは二〇〇三年早春だった。「『まえがき』でも述べたように、憧憬は憧憬の対象を予想している。憧憬の対象を知っていることなしに憧憬はない。だから憧憬には、わたしの直接性の表現(信仰の)という要素も含まれているかもしれない。一方『南無アッバ』にも、自分と『南無アッバ』との断絶が予想されていよう。それ故の『南無アッバ』であるだろう。してみると、憧憬と南無は、それほど遠くに立っているのではないかもしれぬとも思う。たぶん、そのはずだ(同書、185ページ)」。私は、この文章の「断絶」を含む決断論と、『南無』の含む存在論との間には、ここで「たぶん、そのはずだ」と表現した共通の要素が含まれているということを言っているのである。「人間は憧憬なしには生きられない。しかし憧憬以上でもありえない」(同書45ページ)。このことは、カトリックの通念としての存在論と、わたしの憧憬論の間には、ある共通性があるということを表現していたのではなかろうか。

  キリスト教と佛教が、一つの通念で縛られている。私の宗教論はそのことを言っているのである。プロテスタントは決断論的であり、カトリックは存在論的である、と言うだけでは、たぶん視野が行き届いていない。もともと宗教には、ある必然性がある。それをこそわたしは求めてきた。そしてそれは、プロテスタントが「決断論」であり、カトリックが「存在論」というだけでは足りないのではないかという思いである。この「存在」は神秘主義といってよいが、宗教間の対話にも、影響を及ぼすだろう。

 カトリックの作家ベルナノス(1090?~1153年)は、「信仰とは99%の疑いと、1%の希望だ」と言ったそうだが、真を得ている表現だと思う(遠藤周作『神と私』、朝日文庫、178ページ)。これを、「100%の信仰と0%の希望」、そして、それを逆にして、「0%の信仰と100%の疑い」と言えば、わたしと同じになる。先月も書いたことだが、「信仰があるからこそ、そもそも疑いもある」のである。この水準に降りて初めて、キリスト教と佛教の共通の感覚も生まれるのではなかろうか。カトリックが「女性的」であるとは、それがこの水準に生まれ変わらなければならない、ということであるかも知れぬ。認識論を超えた水準で、初めて言えることであるかもしれない。

 

 

<< 説教目次へ戻る

 
inserted by FC2 system