只 管 人 生

小田垣雅也

 

 「只管人生」という言葉は、広谷君から教えてもらったことがあるように、五木寛之が作った言葉である。これは禅の「只管打坐」をまねて作った語であるそうだ。只管という言葉は「ひたすら」ということを意味している。だから只管打坐は、「ひたすら坐る」という意味である。しかしこの「ひたすら」という語も、只管打坐の場合、ただ「ひたすら」坐るのではなくて、「ひたすら」という意識そのものをも超えるということだ。わたしたちが座禅する場合、それは悟りを得るためだ。しかしそのような宗教的意図を超え、ただ「ひたすら」座禅するという一見褒められるべき境地をも超えて、「ただひたすら坐る」という意味であるらしい。それが「只管」の意味であろう。このような意味で、つまり座禅をしている自己の目的を忘れてしまうという意味で、「ただひたすら坐る」場合にのみ、無の意味も体得される。そこには座禅によって「無を悟る」という意図もなくなっている。だから「只管人生」も、その生活によって人生の意味を見出したりしようとするのではなく、ここに「ひたすら」生きていることそのものが意味なのである。するとその結果として、無の悟りになる。それが「只管」の意味であろう。
 わたしたちはここで、「信仰を得るために、もっとも邪魔なものは、信仰を求める自分の心そのものだ」ということを言ったエックハルトの信仰理解を引き合いにだすのもよいだろう。ここでは、信仰を求めている自分の心そのものが、否定され、忘れさられるのである。なぜなら、信仰を求める心とはもっとも自己中心的心だからだ。自己中心的心と、自己無化は対極にある。
 エックハルトの頃は、紙は貴重なものであったので蝋板の上に字を書いた。新しく書く場合は、前に書いたものを削り取って、同じ蝋板の上に書いた。蝋板の上に、前に書いたものが残っている場合、その上に書くことは、書いたことが二重三重になって、言いたいことが分からなくなる。その場合、前に書いたものが「信仰を求める」という心であっても、それは自分の心であり、自分の心である以上、それは邪魔になると言うのである。これは「只管打坐」とおなじことであろう。
 わたしはそのことに因んで、「只管作務」という言葉を作ったことがある。これは森田正馬博士の療法から学んだことだが、作務つまり作業をする場合、それはもちろん、それによって神経質が直ることを意図している。作業療法とは、森田療法の根幹であるといってよい。しかしその作業が、神経質が直りたいという意図されたものである以上、自分はその作業そのものにはなっていない。つまり自分を忘れてはいない。自分はそれによって、神経質から直ろうという意図を持っている。しかしそれでは、作業療法の意図にはなっていないというのである。この場合は、「神経質から直りたい」という自己中心的意図そのものは忘れられてはいない。直りたいという心のほうが、先にある。それでは折角の作業も、作業そのものになっていないというのである。作業そのものに没頭し、自己を忘れることによってのみ、神経質から離脱するという作業療法の意図は達せられる。
「只管人生」も、それによって人生の窮境を脱しようと意図しているかぎり、それでは「只管」が「只管」になっていない。問題は、いかにして「只管」を「只管」にするかということだろう。「只管人生」とは、逆境にもかかわらず、それを押し戻して生きていくという、ある意味で勇気を必要なものとするのではない。では「ただひたすら」とはどういうことか。つまり自分の心からの「離脱」を、いかにしてわが現実とするか、ということだ。ここには、信仰とか「悟り」の真実がかかっている。

 曽野綾子氏のアフォリズム集を読んでいたら、次のように書いてあった(「老い」『孤独でも生きられる』イースト・プレス、二〇〇五年)。「老年は孤独と対峙しないといけない。孤独を見つめるということが最大の事業ですね。それをやらないと、多分人生が完成しないんですよ」(一五一頁)。老人が孤独と対峙することが、「人生最大の事業」だというのである。それにくらべれば、普通の具体的な「事業」などは、ことさらに「事業」などとは言えない、というのである。
 また吉本隆明氏の『老いの超え方』(朝日新聞社、二〇〇六年)には、要旨次のように書いてある(拙著『友あり』日本出版制作センター、二〇〇七年より引用)。「世間の幸福な老人論に反して、老人は淋しいものだということ、老人の人生論的寂しさが繰り返し話され、だから老人は長いタイム・スパンの事柄を考えるのではなく、今日とか明日のさいわいを考えていればよいのだ」と(二一二頁)。
 これらの人生の達人たちが言うように、老人がそういうものであるなら、わたしたちも毎日が楽しくないからと言っても、諦めがつく。老年が孤独で淋しいのはわたしだけではないらしい。

 わたしの毎日は孤独である。わたしは毎日、妻以外の人とあまり話をしたことがない。だが淋しいことは事実だが、「人生の真相はこの程度のものさ」と時々思うのである。そして、そのことに、はるかに満足しないでもない。それは毎日の寂しさと孤独さの心の奥深いどこかで、「人生の終焉とはこの程度のものさ」と思っているからである。わたしも定年(一四年前)になる前は学校につとめ、図書館(わたしは図書館長であった)の雑事をし、学生たちの相手をし、それは孤独さとか淋しさを感ずる以前の生活であった。定年からつい最近までは、本を書いていた。著作の過程とは、いろいろ調べものはあるし、意外に騒々しい。それらがこの数年、急になくなった。展覧会へも行かなくなった。
 しかし曽野氏や吉本氏のように、老人は孤独で淋しいので、それを避けてはならないと思っているだけでは、「人生は完成しない」のである。趣味に生きている老人たちに較べれば、余程ましだが。以前から言っているように、人間は自・他の関係性の中にある。自分が自分であるためには他を必要とする。そのことを隣り合い、壁で区切られた二つの部屋という巧みな比喩で言ったこともある(本当は、もっと有名な人の比喩)。そして関係性の「場」、人間の「間性」の「場」とはどういう事情か。
 「只管打坐」や「只管人生」も、無の「場」に関係していよう。人間が淋しく孤独だと、曽野氏や吉本氏のように、言っているだけでは自分は「悟れ」ないし、「信仰ももてない」だろうと思うのである。
 「只管人生」「只管打坐」「只管作務」がなぜ「無の場」に関係しているのか。その「場」はどこにも無いからだ。人生いかに生くべきか、とか坐禅や作務にしても、それは人生の意味を見出し、悟りや信仰を得たいからだ。しかしそれらを意図している限りは、それらは達せられない。エックハルトの「信仰にとってもっとも邪魔になるものは、信仰を求める心そのものである」という事情と同じである。人間が意図している間は、信仰や悟りは得られない。なぜなら信仰や悟りと、それを求める人間の心は、相反している。信と不信、悪智と良智は互いに矛盾しており、両者の間に「場」はない。それがなぜ「無なのか」。

 このことについては、合理論的確認の対象としての「場」は無い、ということではなかろうか。光によって影を、影によって光を暗示するほかはないのであろう。光と影の間には、いかなる「場」もない。それによって、お互いにないものを暗示する。それが全体性であり、「場の哲学」「場」というものだろう。光は必ず影の存在を暗示している。逆も真である。個人は必ず関係を暗示している。逆も真であるようにである。だからこれは合理論的対象の認識としては何処にもない。信仰の対象としての認識はどこにもないのである。武藤一雄先生によると、それは「無きがごとくに有りて生く」ということになる。これは絶対無であり、人格としてしか、表現できないもの、という話は先月にした。

 「祈り」や「お守り札」は「その上でのことだったのか」、とわたしはその説教で言った。わたしはこれまで、祈りのなかにある神の対象性が気に入らず(それは結局自分の思惟だから)、それなしで過ごし、「お守り札」の非現実性についても忌避してきた。わたしは「お守り札」をその後、絶えず身みにつけているが、そしてそのありがたみをわすれているが、二重性とか関係性と「言うだけでも」、また老人の孤独や寂しさに苦しんでいる「だけでも」(曽野や吉本のように)、それはいけないのである。祈りや「お守り札」を無視するというある種の恰好良さを捨てて、信仰における「祈り」や「お守り札」の効用を認め、お守り札を身につけ、祈りをすることも、現代の宗教にとって必要なことではある。いわば二重性を超過した、情緒の境地にでることが大事なのである。

 井上先生は、わたしが「お守り札」を郵便で申し込んだとき、早速送ってくれたが、その中に入っていた便りの末尾に「有難うございます」と書いてあった。わたしが井上の信仰に近づき、この地点に立ったことが、その謝意の意味ではなかろうか、とわたしは考えた。

 

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