弱 い 時 に 強 い

小田垣雅也

 イエスの言説を知るためには、幾重もの資料批判が必要である。つまり、福音書写本の比較とか、使われている史料や口伝の検討、さらには福音書記者の意図までを勘案し、それらを遡って、辛うじてイエスとう人間のリアリティーに辿り着くのである。それらの伝承の過程ではいろいろな取捨選択が行われていたはずで、たとえば福音書にはイエスが笑ったとか、冗談を言ったという記事はない。しかしそんな人間はいないので、これはその取捨選択の結果だろうとわたしは思っている。わたしのような素人(新約学についての素人)が、イエスについて、もう一歩親しめないのは、この資料問題のせいだろうと思う。それに較べてパウロは直接の肉声が聞える。「ローマの信徒への手紙」、第一・第二の「コリントの信徒への手紙」、また「ガラテアの信徒への手紙」などはパウロが実際に書いた手紙である。これらの手紙(パウロ書簡はこの他にもあるが)を読むと、聖書などという、祭り上げた思考枠を離れて、怒ったり、あせったり、絶望したり、ときには威張ったりしている人間パウロを感じ取ることができる。そのパウロが、今日のテキストである「コリントの信徒への第二の手紙」一二章一〇節では「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」と言っている。しかし弱いときに強いとは、どういうことだろうか。

 

 コリントという町は、わたしも昔、アメリカ留学の帰途行ったことがあるが、アテネからバスで行ける。いまでこそ寂びれた町だが、パウロの時代はコリント地峡の向こうのアカヤ半島の根元にある港町で、交通の中心地、国際都市であった。いわば虚栄の町である。当時「コリント人のように」とは遊蕩児に対する形容であったと、ものの本にある。コリントの町にはユダヤ人、ギリシア人も多く、教会にもパウロの行き方に反対の人たちも多かった。そのことに心痛したパウロが書いたのが「コリントの信徒への手紙」である。とくにその第二の手紙には「わたしは悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました(二章四節)とあるように、内容はかなり過激で人間的である。たとえば第三の天にまで引き上げられた人のことを自分は知っているが、その昇天が精神的なものなのか、または実際の肉体によるものかは、自分は「知りません。神のみがご存じです」という言葉が繰り返されている(一二章一~三節)。しかし神のみがご存知ですという言い方は、議論を半分投げてしまっているということだろう。これはパウロの弱さだと思う。

 

 パウロは「わたしは弱いときにこそ強い」と言うが、普通わたしたちは自分の弱さをすぐには認められないものだ。だから自分は「弱いときにこそ強い」という言い方も、差し当たり言い訳じみていて見苦しい。または自分の弱さを認めない強弁に聞える。わたしなども、家人にわたしの弱さや欠陥を指摘されると、それを素直に受け入れることができず、後になっていつも、そのような自分に対して不愉快な気分をもつ。しかしまた、自分が自分の弱さや欠陥を認めても、それが自分のその不愉快さを避けるためとか、または「艱難なんじを璧にす」的な感覚で、弱さを認めることが自分の成長に必要なのだ、というような気持でなされる場合、それは一種の打算で、本当に自分の弱さを認めたことになっていない。少なくとも、弱さとか強さにとらわれている。それは自然ではない。

 

 自分の弱さを、率直に、本当に、弱さとして認めることが大事なのだと思う。しかしこういうことが言えるだろう。自分の弱さを本当に認める場合、それを認める心そのものは、弱くはないということである。少なくともその時、自分は弱さの中にはいない。弱さは、自分の弱さを承認できないはずだろうから。それがそもそも心の弱さというものだ。自分の弱さを認めるためには、弱さとは別の心が必要である。「弱いときに強い」とパウロが言うのは、このような現実のことではないのだろうか。これは弱さがなくなることではない。弱さはある。それはパウロのいろいろな手紙を読んでみても分かる。パウロはある意味では弱い人間だ。だからわたしはパウロに親しみを持つ。先ほどわたしがイエスに、もう一歩親しみが持てない、と言ったのは、イエスには少なくともこの種の弱さがないように見えるからである。それはイエスが剛毅な人間だという意味ではなく、イエスには迷いがないように見えるということである。そのように福音書はイエスについて語っている。それがイエスがキリストであると言われる理由であるかもしれぬ。

 

 しかし現実には弱くありながら、その弱さを認める心をも持つということ、その意味で弱さとは別の心も持っているという二重性が、わたしたち人間の実情ではないのか。迷いのない人間はわたしには人間離れしているように見える。この、迷いのある人間が、自分の弱さを認めるという心の自然さが、パウロが言う「弱いときに強い」ということではないだろうか。素直さが強さなのだと思う。素直な心の場合、自分の弱さは弱さでありながら、もはやそれにとらわれる必要がなくなっている。すると、弱さで苦しむ必然性もなくなるだろう。

 

 この一年ほど、わたしは老人性耳鳴りに苦しめられている。この耳鳴りは、ものの本によると(わたしはいろいろな本を読む)、聴神経の問題ではなく、いわば脳の問題なのだそうである。その証拠に、聴神経をブロックしても、この耳鳴りは止まないのだそうだ。だから治療といったら、それに馴れること、耳鳴りがありながら、それが気にならなくなるようにすること、そういう意味で心が強くなり、耳鳴りが「消滅する」ことが治療である。耳鳴りが現実の問題として無くなることが治癒したということではない。言い換えれば、「弱いときにこそ強い」ということ、弱いままで強くなるという心の二重性に自分を導くことが治療であるらしい。しかしそのことならば、わたしはかなり熟練している。一般に、森田正馬や倉田百三による強迫観念からの脱出の工夫とは、強迫観念を消し去ることではない。消し去ろうとする場合、この場合は耳鳴りを気にならなくしようと努力する場合、その努力の対象として、耳鳴りはますます増殖し、ひどくなる。しかしこのような心の工夫のなさは、根本的に心が弱いといことではあるまいか。耳鳴りを認めること、自分の心の弱さを認めることは、弱さとは別の、その意味で少なくとも弱くはない「強い心」が必要ではないかと思う。これは剛直な心になるということではない。剛直な心は強くはない。それはすぐ崩壊する。本当の強さとは、「弱いときに強い」心である。

 

 これはこれまでに何回も書いたことがあるが、わたしは春になると「鬱」になる。そして「鬱」に苦しんでいる人への禁忌事項は、周囲の人がその人を、「元気をだせ」と励ますことだという。これは自分の経験を振り返ってもそうであった。励まされると、自責の念と空しさがかえってつのるだけであった。その理由は、人の励ましということは、その人がわたしの弱さを認めないというであり、それを否定することだからである。その場合自分はあせり、「鬱」はその否定の対象としてますます増殖する。わたしはこれまで、何人かの精神科の医者に診てもらったことがあるが、精神科の医者の特徴は人柄が温かいということだと思う。そういう訓練を受けているのかもしれないが、まずこちらに同意的な態度をもっている。しかしそれがすでに治療なのである。よく言われる名医の資質である「鬼手仏心」は、外科の医者にはいいかもしれないが、精神科の医者には向いていない。まず患者の弱さに同意し、その人を安心させることが大事と思う。弱くなっている心を認めることが、精神科の医者の資質であろう。そしてそれが本当の強さということではないか。

 

 こういう話を読んだことがある。ある神経を病んだ人が、狂騒状態になり、刃物をもって建物に立てこもった。人々の説得に応じなかったが、ある精神科の医者がその患者に平静に近づき、刃物を受け取って安全に外に連れ出したというのである。後でその医者が語ったところによると、その医者は自分が傷つけられるかもしれぬという警戒心をまず解いて、その患者に近づいたということである。警戒しているかぎり、その患者はますます狂騒状態になるはずだ。これは小説の中の話だけかもしれないが、人間に対して、先ず差し出すのは「同意」であるということの必然を示していよう。それが本当の強さであるかもしれぬ。強さとは、腕力のような単純なものではあるまい。腕力は、強さというより暴力だ。

 

 

 わたしたちは自分も含めて、人々を批判ばかりしがちだ。しかし批判する心は弱いのである。それは自分の一次的心理のみに依存している。それも人間として当たり前だが――パウロのように――、しかし最終的には、「わたしは弱いときにこそ強い」と言えるような、心の二重性が大事と思うのである。(04516)


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