イ エ ス の 復 活

小田垣雅也

 

 イエスの復活を文字通り信じている人は、現代では少ないだろう。ルードルフ・ブルトマンという現代の神学者は新約聖書の非神話化論を唱えたことで有名だが、イエスの復活は神話であると言う。新約聖書にはイエスの復活をはじめ、その他にもいろいろな神話がある。神話の中にある不思議な話は、当時の世界観にもとづいたことであり、その当時には不思議な話とは思われなかった。当時の宇宙観によれば、宇宙は天・地・陰府の三階層からなっており、天から天使が、陰府の国からは悪魔がこの地上に出てきて、不思議な業を行っても、それは不思議なこととは思われなかった。だから古代とは別の現代的世界観をもっているわたしたちが、神話を文字通り信じる必要はなく、むしろそれは有害で、問題はそれぞれの神話がその不思議な話で表現しているその「意味」を、わが身のこととして、受け取ることが大事であると言う。それが神話の「実存的」解釈である。そしてその手続きが非神話化論である。

 イエスの復活に関して言えば、イエスの人々に対する、とくに虐げられている人々に対する根源的な同情のゆえに、多くの人々がその身辺に集まる結果になった。それが新しい宗教勢力になって、当時のユダヤ教の特権階級に自分たちの保身の危険を感じさせ、自分たちの特権を守るためにイエスを捉え、十字架に架けて死刑にした。それが史実だとブルトマンはいう。そしてその史実の「意味」が復活だというのである。十字架刑にいたるほどに神に忠実であったイエスに感動した弟子たちが、当時の世界観では珍しくなかった復活をイエスに適用し、イエスが復活したと唱えはじめ、それが原始教団のはじまりになった、という。イエスの復活を信じた弟子たちがあつまっていると、使徒言行録二章一〜四節にあるような聖霊臨降の出来事があり、それによって、それまで神の国を宣教していたイエスが、宣教される者となって、それによってキリスト教会が始まった、とされるのである。そこには次のように書いてある。「五旬節の日が来て一同が一つになって集まっていると、突然、烈しい風が吹いてくるような音が天から聞え、彼らが座っていた家中に響いた。そして炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した。」これも神話的表現だが、これがいわゆる原始教団の復活節信仰の始まりである。ブルトマンに代わって言えば、この復活節信仰の発生までは史実であった神の国を宣教していたイエスの刑死が、この聖霊臨降によって、その「意味」が分かり、宣教される者となって、キリスト教会が成立した、というのである。

 このブルトマンの復活の非神話化論は説得的だが、根本的な難点があるとわたしには思える。それはこの聖霊臨降、つまり復活節信仰の発生が、弟子たちの上に一斉に起こった史実として理解されている点である。実際、わたしが学生のころも、「この時点で教会が始まった」と講義された記憶がある。しかしイエスの復活はもちろんだが、それを信じた弟子たちへの聖霊臨降とは、そのような、時間や場所が特定されるような、対象的史実だろうか。

 

 養老孟司という人の『死の壁』という本を読んでいたら、一人称の死、二人称の死、三人称の死、ということが書いてあった。そして一人称の死の場合、その死体は、屁理屈のように聞えるかもしれないが、「実はこれは存在しません」という。それというのは、科学の前提は、観察の主体があることであり、一人称の死の場合、その観察の主体は死んでいるので、観察の主体は消えている。だから一人称の死体もないのだ、という。死体が死体として存在するためには、それを観察している主体がなければならない。観察している場合、その主体は死んではいない。死体を観察している者として現存している。しかし自分が死んだ時点で、そのような観察の主体は消滅してしまうので、したがって「自分の死体」も死体としては存在することをやめるのだと言う。その死体は「したがって『一人称の死体』ではなくなってしまうことになります」と養老氏は言う(新潮新書、七七頁以下)。養老氏の諸説を離れても、もともと一人称の知識とは、それを確認したり、観察したり、比較したりすることのできないようなものである。つまり、対象的知識にはならないものであろう。一人称の知識というものはない。もし一人称の知識がありうるとしたら、それは三人称の、つまり公共の知識に依存して、それを論拠にした知識である。学校でわれわれが習うのは、この公共の知識である。「自分はこう思う」と説明する場合、その説明の論拠は三人称的事実である。そうでなければ説明することはできない。自分の感動や美意識は三人称的「対象」ではないから、それが美や感動を論証したり、証拠を挙げて説明したりすることができない理由であろう。もしそれをするとしたら、それはすでに美でも感動でもなくなって、単なる説明になっている。

 二人称の知識というものもあるが、二人称の知識とは一人称の知識の分節体である。ブーバーの「われと汝」は有名で、神は「永遠の汝」だと言われているが、「はじめに関係あり」と云われるように、「われ―なんじ」の関係という動的事態から、言い換えれば、対象的知識からではなしに、「われ」と「なんじ」は分節するのである。「なんじ」つまり二人称の知識が一人称の知識と分かれて、独立して存在することはない。もし分かれて存在する場合、それはすでに三人称の知識、つまり「それ」になっている。だから養老氏は「つまり『二人称の死体』というのは、いわゆる抽象的な『死体』とは別のものなのです」と言っている。たとえば二人称の死体は死体には見えずに、それは「『死体ではない死体』ということです」と言う。たとえば猿は、自分の子が死んでも、それが納得できずに、ミイラになるまでずっとそれを背負っていることが観察されることがあるそうだ(同書、七九〜八一頁)。

 比較するとか観察する、また説明することなどができるのは、三人称的対象に対してである。そしてイエスの復活ということも、比較・観察・説明などできないような種類の事実、いわば一人称の事実であって、客観的・対象的な、弟子たちに一斉に起こった史的事実ではないのではなかろうかとわたしは思う。イエスの復活とは、ブルトマンが言うように、イエスの刑死の「意味」として、原始教団のはじまりとして、聖霊臨降が一斉に起こりうるような、またその時点で宣教者が宣教される者になったような、客観的「史実」ではないのではなかろうか、ということだ。ブルトマンの復活理解には、この一人称と三人称の知識の区別について、危ないところがある。ではその一人称の知識とは、復活に関していえば、どういうことか。

 

 聖書にはエマオへの道で、復活のイエスが二人の弟子たちに会われたと言う話が書いてある(ルカによる福音書二四章一節以下)。これはもちろん復活節信仰の発生以後、イエスが刑死した当時の状況を、そう回想して、史実として書かれたものだが(因みに言えば、各福音書が書かれたのは、紀元後九〇年頃から一〇〇年頃にかけて、つまりイエスの死後六〇年から七〇年位たってからである)、それによると、二人の弟子たちがエルサレムからエマオへの道を辿っていたとき、復活したイエスが近づいてきて一緒に歩き始めた。しかしその二人は、それが復活したイエスだとは気がつかなかった。そして夕暮れがせまり、彼らが泊まるためにある家に入り、一緒に食事の席についていたとき、イエスがパンを取り、讃美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちに渡した。その時「二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」というのである。その後、その弟子たちがエルサレムに戻り、自分たちのその経験を話していたとき、イエスが再びその座の真中に立ち、イエスの復活をまだ信じられないでいる弟子たちに自分の手足を見せ、焼いた魚を食べてみせたりした。そしてベタニアの近くに弟子たちを導き、その地で「彼らから離れ、天に上げられた」というのである。当然、弟子たちにはイエスの姿は見えなくなった。

 このような描写で言われていることは、イエスの復活は客観的確認の出来事、いわゆる三人称の出来事ではなく、復活であると分かれば復活したイエスが見えなくなるような、しかしそれが復活ということであるような、二重性的現実なのではないかということだ。それは高度に一人称的、言い換えれば主体的出来事だということである。復活のイエスであると弟子たちが分からない間は、復活のイエスは弟子たちの隣に居られた。しかしそれが復活したイエスだと分かったとき、復活のイエスは消える。もし消えなければ、それは完全な神話になる。もしわたしたちが、復活のイエスを「目で見てそれと確認できた」ということがあるとしたら、それはこのような復活の二重性的現実を、全く理解していないということ、つまり復活が全くの神話であることを意味していよう。すこし強引な解釈になるかもしれないが、復活のイエスとは、この限りでは、一人称の死のようなものではあるまいか。一人称の死、言い換えれば自分の死はたしかにある。自分は必ず死ぬ。しかし、わたしの、一人称の死が現実になるとき、その死は消滅するのである。わたしが自分で、自分の死を確認することはできない。そのひそみに倣って言えば、イエスはたしかに復活した。しかしそれが事実になるとき、復活のイエスは消滅するのである。

 イエスが復活し、自分が神の独り子であることを証明した、というキリスト教信仰の根本的信仰告白も、少なくともわたしにとって、それはこのような、それが分かった時はそれが本性、分からないものであるような、二重性的なものとして、であるのだ。それが復活ということであるのだ。むしろ、そのような、目に見えなくなった「不在の体験」から、復活の真実性が信じられるようなことである。その意味で、それは主体的、一人称的ことがらなのだ。目から鱗が落ちたという回心の体験はわたしにもあるが、それは、復活などは目には見えぬ、だから信じられないという、その不在の体験と表裏の関係にある体験としてである。そのことの承認が目から鱗が落ちた、ということである。これは復活の二重性的理解であると言えるだろう。

 わたしはイエスの肉体的復活などということは信じられない。肉体的に復活したのなら、イエスはまた死なねばならぬ。わたしには復活したイエスなどは、対象としては見えない。しかしそのことを了解したとき、それはその単純な事実に対して自分の「目が開けた」ということでもある。しかし目が開けたということは、見えない、または見えなくて当然であることが、見えないままでありながら、承認されたということでもある。それは論理や論証を超えた、大きな肯定である。それは主体的ことがらであると言ってもよい。だからそれは当然、依然として、確認するという意味では見えない。もともと本当の真実とは、人間の確認などを超えたものだ。だからそれは、弟子たちに一斉に聖霊臨降のような、教会の起点としての、史的出来事ではないのではないかと思う。

 

 しかしわたしが今日の説教で言いたいことは、この復活の在と不在の二重性のことだけではない。二重性ということの厳粛さは、それが本当に二重性であるかぎり、二重性という事実の発見ですましていることはできない、ということである。二重性が本当に二重性である限り、それは二重性という単なる論理で済ましていることはできない。論理はつねに一重的・排他的である。わたしの日々の現実は、依然として、イエスの復活を信じる・信じられないということの間で苦しんでいる。

 しかしこれはイエスの復活に限ったことではない。復活を離れても、わたしたちは当・不当、善・悪、恐怖と喜び、生と死等々の間で揺れ動いている。わたしたちは二重性の現実の中で生きているのである。クリア・カットな、明確な回答などはない。不当・悪・恐怖・死は現実にある。しかしそれと同時に、当・善・喜び・生も現実にある。そのような事態に触れているからこそ、イエスの復活は復活として、在と不在の二重性として、二千年にわたって維持されてきたのではなかろうかと思う。エマオへの道での弟子たちの経験は、そのことを言っているのではなかろうか。(06323)

 

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