お 守 り 札


小田垣雅也

 

 「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯を、わたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことでなく、御心に適うことが行われますように」(マルコ伝一四章の三六節)。これは有名なイエスのゲッセマネの祈りの一部だが、この祈りは、わたしたちの信仰のあり方ではあるまいか。その際「アッバ、父よ」という呼びかけに問題を感ずる人は別として(この問題は、来月とりあげる)、「アッバ」という呼びかけや、「御心に適うことが行われますように」という言い方はわたしたちの信仰そのものであるように見える。今月はそのことを考えてみたい。

 俳優の緒方拳が二〇〇八年一〇月五日に亡くなった。危篤と聞いて、友人の津川雅彦が病院に駆けつけると、七一才の緒方は、ベッドに座り直したという。ひとしきり仕事の話をしたあと、「治ったら鰻を食いに行こうな。白焼きをな」と緒方は言ったという。一〇月一〇日の『朝日新聞』の「天声人語」によると、この誘いが、「津川さんの激励ではなく、緒方さんの言葉というから驚く。淡いユーモアがにじむ、骨太の幕である」。
 自分が肝臓がんであることは、家族以外の周囲には公表していなかったという。「天声人語」によると、「遺作のテレビドラマ『風のガーデン』の撮影では、玄米食で半年の長丁場に耐えた。倉本聡さんの脚本は命を正面から描く。訪問医役の緒方さんには、死を語る台詞(セリフ)も多い。万感を込めたであろう仕事を結び、制作発表の5日後に逝った」。わたしも『風のガーデン』を注目して見ているが、それは自分の目前の死の片鱗も見せない、見事な芝居であった。
 緒方はこうも言ったという(朝日新聞一〇月一七日夕刊「惜別」欄)。「エジプトの砂漠の夕焼けが、思わず正座しちゃうぐらいよかった。俺もいつかこうやって落っこちるんだなあ、と。そんな去りがたい日々を送らせてもらっただけでもありがたい」。ここにあるものも、自己の死を自覚しての、生きることへの孤独さと、その孤独は関係のなかにあるというユーモアであろう。人生への惜別を自覚していながら、乱れたところがない。
 筑紫哲也も、最近がんの転移で死んだ(二〇〇八年十一月七日。七十三才であった。

 本性、個である人間は、関係の中でこそ自然に生きられるということを、わたしはこれまで、何回も言ってきた。緒方も筑紫も「関係の中でこそ、人間は本当に生きられる」ということを、一人は芝居で一人は文筆で、身をもって体現している。緒方の場合、自分のがんを世間に公表せず、最後まで与えられた役割を演じきったということは、それが役者の必然であったとはいえ、役者とは、周囲との関係のあり方、間合いとりかただろうと思われる。そしてそれは、自分で責任をとった、孤独な生きかたでもある。名優とはそういうものだろう。
 そこには、生きていることへのユーモアが含まれていよう。役者はユーモアを解する人間でなければ勤まるまい。それが役になりきるということだ。人間は、神が人間になりきるようには、他人にはなりきることはできない。だから役中の人間になりきることはできないのである。しかしあえて、それを試みようとする。それは本性、自己の責任である孤独な作業であり、ユーモアのなすべき事柄だろう。「楢山節考」で背負われ、山に捨てられる老母を演じた坂本スミ子は「演技でこなさず、役になりきるすごみを感じた。心では今も親子のままです」と語っている(前掲「天声人語」)。役になりきることはできない。それはユーモアの、存在者としての孤独さの出番だ。個人と、その個人は常に関係の中にあるという矛盾が、ユーモアを生む。

 これまでわたしは、「神は絶対無と呼ぶのが相応しい」と言ってきた。神と人間との関係は「光と影」の関係に似ているとか、二重性だとか、さらにはポスト・モダーンとか汎在神論、ノンセイズム(non-theism)などというような言葉をこれまで使ってきたが、それらは、カトリックや近代神学のように、主観―客観構図に基づいた、有神論的立場ではない。人間の主観が神を把握する場合、その神は、人間の主観に基づいたものになる。そのようなとき、人間は本質的に孤独であろう。そのような人為的神理解に、イエスは反対したのではなかろうか。つまりイエスが出会っていたものは、人間の観念の中に捉えられた神ではなくて、神そのものなのである。

 わたしは難聴なので、ここで難聴の孤独について一寸触れておきたい。わたしは神経質で落ち着きがないが(生理的にも)、それは難聴のせいでもあるのである。わたしはよく妻と買い物に行ったりするが、かならず妻の後をついて歩く。それは妻に遠慮しているからではなくて、自分の背面のことが全然分からないからである。耳が健常な人は、自分の背後に何が起こっているか、大体わかっているものだ。わたしは視野の中に妻を捉えていないと不安になる。だから、うしろから突然人が現れると驚く。車などが突然現れると、本当に驚く。
 また待つことができない。これは電話のように、周囲とのコミュニケーションの手段がないのが、そもそもの発端です。緊急の場合の電話はダメなのだ。もともと電話は、わたしにとって無用の長物である。電話というコミュニケーションの手段のないことが、心理的圧迫になっている。家にいても、テレビの音は聞き取れないから、音を消す。するとしんしんと一人であることが気になってくる。そして孤独感に苛まれる。

 しかしこの孤独感は、よく考えてみると、耳が聞こえないという偶発的事情を超えて、近代自我が、本質的に孤独なものであるからではあるまいか。中世やヨーロッパ近代では、人間の背後には常にそれぞれの形で神がいた。いわゆる有神論の神である。これは書いたことがあるが、近代自我が、観念で捉えられた神だけを所有し、現実の神を失い、それにともなって自然をも失って、「自分は自分のみによって自分である」と宣言して以来、近代自我は、本性、孤独になった。近代人は根本的に孤独なのである。
実際、わたしはいろいろな本を書いてきたが、その根本的なテーマは、そのような近代自我に対する反省である。それが主観―客観構図に対する反対ということだ。絶対無だとか、「光と影」だとか、二重性、関係存在、汎在神論、ポスト・モダーン、ノンセイズム云々ということを、それらの本の中で言ったが、これらの表現によってわたしが追求してきたことは、それらから近代自我の孤独さを描きだすことであるといっていい。

 しかしこのことをはっきり言っておきたいが、そのことも、一つの明確な主張、一口で言えば「絶対無」の「主張」でもあったのである。わたしも、わが人生の終焉にあたって、もう書くことは書いたし、年齢から言っても「わたしに分からないことは誰にも分からない」と云いうる年齢になったが(七十九歳)、その「絶対無」を主張する心そのものが、ここにきて融解してしまった感じなのである。「光と影」、汎在神論、ノンセイズム、逆説等などを、以前は力を込めて説いていた。その、本来、近代自我という核そのものを批判するという反自我主義の「主張」そのものが融解してしまって、心に芯がなくなった感じなのである。それが「この杯からわたしをとりのけてください」というイエスの希望なのではなかろうか。まだ悟っていないな、とつくづく思う。生きる主張そのものの融解である。毎日、何もやることがなくて、呆然としている。

 そして「お守り札」や「祈り」の意味が、今にしてわかったような気がしている。すこし長いが、お守り札のことに関して、井上洋治氏の文章を引用してみよう。
 「この頃は私自身が高齢になったせいもあるのでしょうか、殆ど毎日のように、右からも左からも不幸のしらせが届いてまいります。・・・これらの報せをききながら何一つ手助けできない自分に、胸打ちひしがれて『南無アッバ』と祈り続けていたとき、ふっと私の心にうかんできたことがありました。それは病気や高齢からくる身体の不自由さ、またその人たちの介護のために、日曜日にミサ(礼拝)に出席したくてもできない実にたくさんの人々がおられるという事実でした。・・・大手術のあとの極度の虚脱感のなかや、死を前にしての苦しみの極限では、もはや短い『南無アッバ』の祈りでさえ口にのぼらせることはできず、もはや合掌する力もないでしょう。死に直面させられての言い知れぬ不安や、過去のさまざまな思い出からくる精神的苦悩にさいなまれる方々も結構いらっしゃると聞いています。そのようなときでも『お守り札』を枕もとに置いてくださるだけで、パウロが『ローマの信徒への手紙』八章で言っているように、アッバの『おみ風さま』は、わたしたちの弱さを助けてくださり、イエスさまも、御自身の背負われた十字架の苦しみに、その人たちのものをだきよせ、私たちの代わりに祈ってくださると信じます。・・・『お守り札』では病気はなおらないでしょう。でも私は長年の経験から、同じ苦しみであっても、その苦しみは、それを受け入れる人の心の持ち方によってずいぶんと変るものであることを知りました。この『お守り札』は、あくまでもアッバのくださる苦しみ、喜び、哀しみ、そういったすべての魂のやすらぎのうちに受け入れることのできる心をお願いするものです」(『風』七二号 七九〜八一頁)。

 そうだったのか、と思う。それが「この杯からわたしをとりのけてください。しかしわたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」ということだったのだ。それは心の融解後のことだったのだ。
 わたしはこれまで、展覧会にはよく行っていた。一日かけた散歩にもよくでかけていたし、病院にも気軽に行っていた。妻と一緒に自転車で買い物にいったりし、新聞も午前中かけてよく読んでいた。その上での著述や、無の主張であったのである。しかしそれらのことが、次第にできなくなったらどうするか。それはわたしの人格の融解であろう。わたしの近頃の恐怖は、そのことだ。介護の必要な老人のことなどをテレビで見ていると、ツクヅクそう思う。「お守り札」や祈りとは、その上でのことだったのである。
 自分で悟ることができる人には、「お守り札」や祈りなどはいらないのである。わたしが書いてきた数々の本も、自己のこの融解感に対しては、何の役にも立たなかった。たぶんそれらは単なる哲学や神学で、それも、自己の融解に本来、抗した哲学や神学で、つまりそれらは学問であって、ユーモアではなかったからだろう。
 しかし井上氏によると、「お守り札」とか祈りというのは、いわば「その後に」に来るものであるという。心の芯が「融解してしまった」後にも、それはある。祈ることができなくとも、それはある。

 最初にあげた緒方拳のユーモアとは、「その後に」に関わるものであろうかと思われる。その意図では、緒方とイエスは同じだ。「天声人語」子は「淡いユーモアがにじむ、骨太の幕である」といっているが、淡いユーモアと骨太の幕とは、ユーモアとは本来、そういう矛盾したものであるからだろうか、とも思う。声高のユーモアとは、本来ありえない。

 

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