リ ア リ ズ ム

小田垣雅也


 わたしたちの教会のホーム・ページのブログにも一寸書いたが、先日、吉祥寺美術館でやっていた『土門拳写真展』というのに行ってきた。土門拳の写真は、そのリアリズムで有名であるが、そのリアリズムとはどんなものか、観たかったのである。
 吉祥寺美術館というのは、吉祥寺伊勢丹別館の六階にある、中型の落ち着いた感じの美術ギャラリーである。中央線の次の駅である三鷹には、他に三鷹美術館もあって、両方とも下の階は雑駁な繁華街だが、三鷹美術館も同じ中型の、静かな好い美術館である。こちらでは数ヶ月前、ユトリロ展やクールベ展をやっていた。近頃は当方の体力の問題があって、上野その他、都心へはなかなか行かなくなった。見たい美術展はいろいろあるのだが。わたしは国立新美術館へも行ったことがない。いつだったか曽野綾子氏が、年をとるということは、いままで、なに気なしにできていたことが、一つずつできなくなることだ、という意味のことを言っていたが、身に迫って同感である。

 土門拳写真展を観ながら、リアリズムとは何か、リアルとは何か、ということを考えた。土門拳は、どの写真にも、その作家として、写真の背後に強力に存在していた。ある写真では、土門拳その人が、撮影中、三脚の前で、写真に撮られていた。土門拳は、その風貌を知っている人はご存知だと思うが、眉の太い精悍な表情をしている。有名な、『筑豊の子供たち』のシリーズもあった。子供たちが生き々々と、竹の棒でチャンバラをしている。しかしそれらのリアリズムは、濃厚に土門拳の写真であって、それ以外の、他の誰のものでもないのであった。
 展示室の出口に近くロビーがあって、そこに土門拳の大型の写真集が数冊あった。空いていたせいもあって、そこのソファーに坐って、そのなかの『肖像』という写真集をつくづく眺めてきた。いろいろな有名人の肖像集である。志賀直哉、梅原龍三郎、仁科芳雄、滋賀潔、川端康成・・・いろいろある。それらの肖像は、遠慮会釈もなくリアルで、彼らが生きた昭和年代という時代的背景すら写し取っている。赤痢菌の発見者である志賀潔などは、自分で修理した眼鏡をかけていた。仁科芳雄は思っていたよりも、ずっと小男であった。そしてリアリズム、とくに本来リアリズムを特技とする写真のリアリズムとは何だろうか、とわたしは考えたのである。

 ヨハネ伝の終わりにはこうある。「そこでピラトが(イエスにむかって)『それではやはり王なのか』と言うと、イエスはお答えになった。『わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証をするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。』ピラトは言った。『真理とは何か』」(ヨハネ伝一八章三六〜八節)。
 ここでいう「真理」には、ギリシア語原本では、アレテイアという言葉が使ってあるが、字引によるとアレテイアとは「表現の基礎に横たわっている現実」とか、「開示された事象の客観的に検証可能な精髄」と書いてある。つまり真理とは、いわゆる客観的事実として実体的に、そこに存在するものではないことが読み取れるのである。ではこの真理、「リアルなもの」とは何だろうか。

 わたしは思うのだが、土門の真理認識、リアリズムは、写されている対象と、土門自身の感性との両者によって、複合的に成立しているものではあるまいか、とその時わたしは思ったのだ。リアリズムとはこの対象と作家自身という、両方によって、本性オープンなものとして、成立しているものではあるまいか。人間は相対的なのだから、その知見はその中で、たとえいかように事実や実体や、または対象である人物が主張されていようとも、その人間の知見、すなわち表現そのものは、相対的であること以外ではありえない。
 このことは、井の頭公園の奥にある北村西望彫刻館のいろいろな彫刻を観てもよくわかる。北村西望(長崎の平和記念像を造形した彫刻家)も、リアリアズムの作家である。しかしその彫刻館を何回か観ながら、その現実の彫刻の「基礎に横たわっており」、「開示された精髄」としてあるものは何かと考えた。数々の彫刻の背後に横たわっているものは北村西望の感性であって、他の何者かのものではない。そこには北村によってそのように把握された、「事象」や「現実」がまぎれもなく横たわっている。それと対象の事実そのものの複合がリアリズムではあるまいか。彫刻や写真のリアリズムを鑑賞するとは、このように、対象そのものと、作家自身の感性の「複合」によってなりたつものではあるまいかと思う。

 先月も書いたが、掛井五郎という彫刻家がいる。掛井の彫刻は土門や北村のような意味でのリアリズムではない。いわゆる、半抽象的彫刻である。しかしその掛井が対象を観る視線、掛井の感性は確実にある。対象がなかったら、掛井の彫刻もない。掛井の彫刻でも、その彫刻はアレテイアの背後に横たわっている「精髄」や「現実」と、作家である掛井との複合によって、なりたっている。その意味で、それは本性オープンなものだ。その意味では土門や北村のリアリズムと同じである。土門や北村と、掛井と別々の芸術があるわけではない。芸術とはもともと、そういうものだろう。
掛井の彫刻の特徴は、土門や北村と較べて、未完成ということだろうと思う。掛井の彫刻はジャコメッティに似ているところがある。しかし彫刻が「完成」してしまったら、つまり完結体として閉鎖されてしまったら、それは複合ではなく、したがって芸術のリアリズムでもなくなる。「完成」したと考えるのは、もともと作家の主観からのものである。それは作家の感性を離れた、天然自然な事象の背後に横たわっている現実ではない。その意味からすれば、作家の主観による一方的完成とは虚構なのである。掛井はその虚構に耐えられない。だから人間の主観の立場から言えば、作品を未完成のままにしておく。つまり未完成が、掛井の場合、完成なのである。
 繰り返すが、芸術と言っても人間は相対的なのだから、事柄の背後の事実そのものを完結的に示しているのではないのである。これは写真のような、写実的芸術にしてもそうだろう。人間の学問的・科学的認識もそうだと思う。だから自分の作品や学問に関して、自己否定の要素のない真理、そういう意味での現実主義とは、実情は、自分という相対を、これが絶対で完結体だとして主張していることであり、それは真理論的横暴を犯しているばかりか、かならず悪魔化する。本当の真理とは、作家と対象の「複合」なのである。その意味でのみ、それは主観的ではなくて、リアリズムのものだ。これは芸術上の流派には関係がない。新約聖書学も同じだろうと思う。

 話は変わるが、現今のこの国のキリスト教の特徴として、敬虔主義的な「聖書学的聖書主義」があると思う。それに対してバルト、ブルトマンから受け継いだ、福音主義的な「神学的聖書主義」が、現代神学の一つの底流としてある。それに対して、敬虔主義的雰囲気をもった学問的な「聖書学的聖書主義」もあるのである。もともと敬虔主義とは、一七世紀から一八世紀にかけて、宗教的活力を失ったルター派正統主義に対抗して起こった神学運動である。いわゆる(ルター派)正統主義の抽象的・主知主義的傾向に対抗するよすがとして、聖書を強調したもので、聖書学と敬虔主義は、相反したものではない。そして、この敬虔主義的聖書主義に、当時急速に発展した資料批判的史学、いわゆる聖書の高等批評が結びついたものが現今の「聖書学的聖書主義」である。現在でも、著名な聖書学者は敬虔主義的心性の人が多い。

しかし、現代聖書学、とくに新約学に関するかぎり、「イエスの実像」つまり「ナザレのイエス」は知られていないはずである。そのことをわたしは学生時代、叩きこまれた。イエスに関して「史実的」にたしかめうるものは、イエスの「譬え話」を中心にした語録と、わずかな事跡にすぎず、それらは、とてもイエスの生涯を再建するに足るものではない。
いわゆる復活節信仰の発生によって、それまで神の国を「宣教していた者」イエスが、今度は「宣教される者」になった。この転換が原始キリスト教団の発生であり、普通、教会の発生は、この転換点を画して、とされている。それはイエスの死後、起こったことである。福音書は、その後六〇年近くたって書かれた。だから福音書はイエスの生涯記という意味でのイエス伝ではなくて、復活節信仰を通して見た、神の子キリストの物語である。この復活節信仰の発生を、ブルトマンはケーリュグマと名づけた。このケーリュグマ以前に遡ることはできないし、たとえ遡りえたとしても、それはイエスという宗教的天才の事跡であって、そのことは神の子キリストを信ずることではない、とブルトマンは言う。

しかし遠藤周作や井上洋治に代表されるような現代の「イエス伝」をあれこれ読んでいて、わたしがどうも釈然としなかったのは、このイエス、高等批評の対象としてのイエスと、信仰の対象としてのキリストとの、質的転換、いわゆるケーリュグマの発生が、それらのイエス伝では、曖昧なまま残されているのではないかということであった。わたしは長年そう懸念していた。しかしこれはどうもそうではないらしいのである。
わたしはヨーロッパの寺院をあれこれ見物していて、ナザレのイエスと神の子キリストとの質的転換の故に、これらのヨーロッパ中世の寺院文化に代表されるキリスト教の伝統を、「これはナザレのイエスのものではない」として、無視してしまうのは現実的ではないと思い、無視するにしては「それらはあまりに巨大すぎる」と自問自答していた。そう書いたこともある。
事柄は違うのではないか、とわたしは今にして思うのである。さまざまな「イエス伝」に現れているものは、その著者のいわゆる「リアリズム」としての真理であって、その著者自身の高等批評的見解と、キリストのリアリティーの「複合」ではないかと思い当たったのである。その意味でなら、それらの「イエス伝」は、言葉の勝義の意味で、いわば芸術作品であって、それは「史実のイエス」とは違うだろう、と思うようになったのである。それらの「イエス伝」は、中世のキリスト教寺院文化と、いわば同質のものではあるまいか。それは史的イエスと「イエス伝」著者との、「複合的作品」であって、それはこの小文での「リアリズム」的なものではないか、と思うにいたっている。これは「史的イエス」を否定することではない。複合的ではない、事実としての「史的イエス」などは、もともとないのである。
しかしそう考えてのみ、つまりリアリズム的視点でのみ、教義のキリストも史的イエスも、言い換えれば、ヨーロッパのかの大寺院文化も、数々のすぐれたイエス伝も、その所を得るのではないかという気がしている。

 

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