マ ッ タ ー ホ ル ン と 富 士

小田垣雅也

 

 この間テレビをみていたら、「グレート・サミッツ」というシリーズをやっていて、その番組は『マッターホルン』(Matterhorn)というものであった。それを見ていて、深い感動を受けた。

 マッターホルンには、わたしも行ったことがある(眺めただけ)。マッターホルンはその麓の町、ツェルマットから登る。ツェルマットに泊まったとき、雲の切れ目に、かの四四七七メートルの山が見えた。「感動したナ」とわたしは言ったが、それを聞きつけた案内人が(案内人つきの団体旅行)ニヤニヤ笑った。町の様子は、いまのわたしが覚えているものと違っていたが(またはそれとは違ったシーン)、それは仕方がない。
ツェルマットには、ガソリン・エンジンつきの自動車は、乗り入れられないのだそうだ。その翌日は、登山電車でマッターホルンのすぐ近くまで行く予定になっていたが、その日は曇りで、何も見えなかった。それがその旅行の売り物の一つであったが。
 その「グレート・サミッツ」そのものは(槙有恒が世界で初登頂をしたという『アイガー北壁』が、何回か後に放映される予定なので、楽しみにしている)、わたしはその少し前(か後)に読んだ、エドワード・ウィンパー(Edward Whymper)  (Scrammbles among the Alps)の古典的名著アルプス登頂記(『アルプス登攀記』、講談社学術文庫、一九八〇年)があって、それを再読しなければならないと思っている。
 その番組は、男性の若いガイド自身が自転車に乗ってツェルマットの街角に現れるという洒落たもので、それと女子アナウンサーが出るだけの(実際は登山家か)二人組みである。実際はそれにカメラ、その他の人々が近くにいるであろう。カメラについてはいつもそう思うが、いちいち姿勢が大変であろうかと思われる。
 ウィンパーの書物によると、マッターホルンは正面からはとても登れないのだそうで、裏道から登る。その裏道も、ウィンパーの最初の観察によると岩だらけで、マターホルンは、それまで「魔の山」と呼ばれていたそうだ。魔物が夜現われて、小石を落とすのだという(初登頂は一八三六年)。とにかく、有史以来、難攻不落の山であった。
 その裏道も、テレビによると、まだ残雪が残った、垂直な岩場などがしきりに出てきて、麓のほうには、ツェルマットの街並みが小さく見えたりした。元来、女の人には無理なのであろう。そのルートを辿るので、二人は苦労を共にしていた。ガイドは、予め備えてあった鎖を伝って身軽に登ったり、女の人に指示を出したりしていた。握力か何かを計って、事務所で握力検査をしたとき、そのガイドが「これなら貴女はマッターホルンに登れる」と言ったときは、こちらは人ごとながら安心した。
 だから、二人でマッターホルンの山頂に立ったときは感激一入で、ごく自然に彼らが頂上で抱き合ったとしても、それは自然の中での普通の振る舞いで、少なくとも醜くはなかった。

 富士山はどうか。富士はマッターホルンに較べて観念的である。富士は三七二五メートルであるよし。観念的であるという理由を以下に説明してみよう。

 * 玲朗聳ゆる東海の、芙蓉の峰を仰ぎては・・・
 * 太平洋の波の上、昇る朝日に照りはえて、天そそり立つ富士が峰の、永遠に揺るがぬ大やしま・・・
 * 芙蓉の雪の精をとり、吉野の花の華を奪い・・・
 * 希望は照れり東海の、み富士のすその山桜・・・

 以上、四つの引例のうち、どれも「富士が・・・」という主題に導かれているが、ではどれがどの学校に属しているのだろうか(わたしは暗記している)。
 第一は海軍兵学校の歌の二番、第二は陸軍士官学校の冒頭、第三は「嗚呼玉杯に花享けて」の二番、第四は三高「逍遥の歌」の十番である。なぜ遠く京都の学校まで、と思うかもしれないが、つまり学校の違いを超えて、「富士が・・富士が・・」という主題で統一されている。そういう自分からの視点の唄を、わたしは観念論的と呼ぶのである。たとえば唯物弁証法は、神などいない、ということが前提になっていて、そこから議論を起こしている。だからその前提を受け入れない人にとっては、議論は初めからないに等しく、それはわたしたちがいわゆる左翼の人々と議論しているとき、日常に経験することであろう。
 この場合、観念というのは、「富士が・・、富士が・・」ということである。人間は「富士が・・」ということが、何かを証明するものとして、つまり前提とする以外に、議論できない。それは丁度、左翼の人々の唯物論と同じである。そういう観念をイデオロギーというのである。本当は、高校で教えた自由というが、自由は分かりがたい。しかしその自由が分からなければ、高校で教えた自由なるものは、絵に書いた餅であるだろう。
 この場合は、富士がいかに、自分がそこから発想しているものとして、日本を象徴するものとして扱かわれているかということである。これらの「富士」は単に人間の「観念」ではないのか。ついでに言えば、それを愛国心に結びついたものとして、議論されている。海軍兵学校とか、陸軍士官学校は愛国心が商売だからいいとして、自由を謳歌した旧制の高等学校まで以上の調子である。本当は脱・観念論とは、そういうイデオロギーから自由になることが大事ではないのか。それが本当の自由であろう。自由であることなしには、高等学校(旧制)の値打ちはない。
 この発想が生まれたのは、つねづね愛国心は観念的ではないかと思っていたせいもあるが(右翼の思想を見ていると、たしかにそうだと、思うことがある)わたしにはこういう経験がある。妻とわたしが何かの都合で、「葦の湖」の遊覧船に乗っていたとき、わたしはその「葦の湖」のはてに、雲の切れ目から現われた富士山を見たのである。わたしが雲の切れ目の、マッターホルンが感動したときと同じように、である。それは感動的であった。
 一緒に乗り合わせていた外国人が、「フージ。フージ」と大きな声をだした。わたしは何回かその遊覧船に乗ったことがあるが、富士を見たのは、それが初めての経験であった。その外国人の声を聞いたとき、なんとなく、これは観念か、の思いをした。「これは、少なくとも、観念ではないか」と思ったのだ。少なくともその外国人は、箱根の様子も聞き、葦の湖のはてに富士が見えるかもしれぬ、と聞いてきたのであろう。それが悪いことだとは言わないが、少なくともそれは独創的であるとは言えない。「自然に富士山が見えたら、どんなに素晴らしかったかもしれないのに・・・」とわたしは、その外国人を同情する気分すら湧いた。自然はいつも感動的であるのだ。

 巍然としたマッターホルンも、玲瓏とした富士山も、自然の中にあるからこそ美しい。マッターホルンも富士も美しいのは、一方はその巍然とした様子で、他方はその玲瓏とした山容で美しいのではないか。人間にも巍然としたところ、玲瓏としたところ、その正負を逆にした二面性が必要なのである。美とは、そのどちらにもあるのであるまいか。

 

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