自 然 と 個 人

小田垣雅也

 

 「自然と個人」と言っても、聖書にはこの二つの概念、自然も個人もない。聖書事典の中でも有意な解説はないようだ。これはたぶん、パレスティナ地方が砂漠地帯であり、その中をベドヴィンの人々を率いていくのには、男性的・族長的資質が必要だったからであろう。自然や個人の問題ではないのである。キリスト教史上でもっとも自然に近い位置に立っていたとされる、アッシジの聖フランチェスコも、その詩の中で「わが兄弟なる太陽」「姉妹なる死」と歌っていても、これは自然そのものの讃歌ではないのである。それで、もっとも自然讃美に近いものとして、マタイ伝六章二六節をえらぶことにする。(「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」)

 先日、NHKのスペシャル番組で「桂離宮」というのを見た。印象に残っているのは、よく言われていることだが、桂離宮に代表されるような日本の宮廷文化が、自然とマッチしていること、というよりも、自然の中にあって、自然を取り込んでいるということである。
 建物が萱葺きであることは知られていようが、それはいかにも、周囲の庭園と一体になっている。あれが瓦葺か板屋根であったら、周囲と調和がとれないだろう。桂離宮そのものは、ものの本によると、智仁親王によって一六二〇年から数年間工事が進められ、それが智忠親王の代になって、寛永(一六二四年〜四四年)の末年から新書院などの増築があり、後水尾天皇を迎えるために整備されたそうである。増築される前の建物を古書院と呼ぶそうだ。あとは中書院、新書院。
 庭は前面の池をめぐって、回遊式庭園になっているが、西洋の名だたる宮殿にも、山紫水明を模した、回遊式庭園はないのではないか。ヴェルサイユ宮殿の庭は、人間の恣意的幾何学模様で、自然そのものの理に反している。桂離宮の場合、障子によって隔てられていた庭の木々が、その障子が開け放たれると、その季節々々によって、新緑や紅葉を室内にあふれさせる。室内と庭が、一体になっているのである。外界を室内から隔てるガラス戸やステンド・グラスの類は無い。
 また庭や建物は観月を愛ずるために設計されているそうで、そのための竹のすのこの露台まである。フランスのドゴール内閣の情報・文化大臣アンドレ・マルローが来日し、桂離宮を参観して、いたく感動したそうだが、それは日本文化の、この面に関してであろうと思われる。

 わたしはヨーロッパ文明が大好きだ。エジプト文明、ギリシア文明、アジア文明ではなく、ヨーロッパ文明である。それを紹介するテレビ番組が時々あるが、それを新聞で探して、飽かず見ている。アメリカ文明も、あれはジュラルミンの箱のようで、あまり好きになれない。そしてヨーロッパ文明が好きである理由は何かと、ときどき考えることがある。たとえば街並みを形づくっている家々の窓などを見ていると、そこに住んでいる人々のたつきが感じられて、飽きることがない。そしてそれらが懐かしいのは、結局、人間の自我が懐かしいのであろうと思った。
 これはヨーロッパというものの概念規定になるが、ヨーロッパは近代になって成立したものだ。それは、それまで無自覚であった人間が、自覚的になった時代である。そしてその背後には個人主義の確立ということがあるだろう。その個人主義が、この懐かしさの源泉かと思えてくる。しかし、中世にも贅をつくした寺院や宮殿があるが、それらを眺めていると、それは個人主義の「美的暴力」であるような、矛盾した気分になってくる。もともと美と暴力は対極のものだ。キリストにしても聖母マリアにしても、またはミケランジェロにしても、あまりにも写実的で、写実主義は結局、大人の芸ではなくて児戯ではないかと思えてくる。日本文化には、そういう写実性はない。ヨーロッパ文化には、日本の宮廷文化のような、捨てるものは捨てるという人間の心情にまで立ち入った計算はない。省略もない。
 写実は、写実の対称がそこにあり、それを写す。そうでなければ、あの微にいり、細にわたった表現はありえないだろう。そこには、ある種の精神の弱さはないか。少なくともここには、日本文化のような抽象はない。ヨーロッパの寺院を見ていると、つくづくヨーロッパは自我主義・食肉文化だと思えてくる。あの精力は、東洋文化には見られないものだ。桂離宮に、自我の暴力的・美的主張はない。よく言われていることだが、ヨーロッパ文明は自我の主張である。そこには自然と自我との関わりあいの中に、自分の美的感動を見出すということがない。

 自然と自我の、どちらも必要なのだと思う。そしてわたしは思うのだが、わたしはこれまで、そのことを、強調してきたと思う。自然と自我との止揚、その関係性が大事であると言ってきた。「自然の必然と歴史の尊厳」と、自著のどこかに書いたことがある。しかしそう言いながら――わたしは反省するのだが――、その関係性の中にあって、あらゆるものの相関性を主張しながら、その実、自分の個人性ばかり主張していた気がするのである。関係性といいながら、死はやはり、個人の消滅として怖いのだ。とてもフランチェスコのように、「わが姉妹なる死」とは言えない。死は、近代自我の終焉である。それは自我にとって、絶対的な孤独である。そのことがヨーロッパ文明に対するわたしの心情的共感の理由ではないのか。毎日の夕方になると感ずるこの寂しさは何だろう、と思う。もちろん七十九才という自分の年齢のこともあるだろうが、その根本的理由は、関係性ということを言いながら、自分が自分の個人性の消滅にのみ捉われているからではないのだろうか。自我の痕跡である西洋美術にわたしが共感するのも、この自我としての寂しさが、その理由ではないかと思えてくる。すくなくともその寂しさの、消極的理由ではないかと思っている。

 佛教の悟りとか、キリスト教の信とは、非常に個人主義的なもの、むしろ個人主義または主体性が、信や悟りの本質であるようなところがある。集団的回心とか悟りというものはない。むしろ集団的論理、つまりイデオロギーになることを拒否するところが、信や悟りにはある。
 しかし関係の中に生きるということは、自我の消滅ではないのである。その自我を離れることである。自我を離れても、自我はなくなりはしない。自我はかえって、そこに生き返る。夕方が淋しいうちは、まだ近代自我的で駄目なのだ。大体、淋しいというのは、自我的情念である。少なくとも、それは主情的である。信とか悟りと言っても、それらは、その自我を生かすことのはずだろう。

 もともと人間とは、自己を離れて見ると、大概おかしい風情を漂わしいてくる。それをユーモアというのではないか。友人の掛井五郎という彫刻家(非常に有名)から、個展の案内状が来た。そこにこうある。「何故、人間は問題を抱えながら生きているのか。答えは無い。『彫刻』とは何か。長年仕事を続けてきた理由を自分に問うたが、答えは無い。だが、今日もアトリエに入って制作をする。2008年、冬」。これはこの著名な彫刻家の、存在としてのユーモアではないのか。 
 ユーモアとは、その本人は大真面目なものだ。それでなければユーモアにはならない。それがおかしいのだ。しかしそれがユーモアの本性なのである。一二月の広谷氏の説教と、それに触発されたわたしの一月の説教で、五木寛之の「只管人生」ということを言った。只管人生には人生の無意味さ、無意味な生という自覚が前提されている。その自覚にもかかわらず生きていくということが、只管人生だ。しかしその状況は、ユーモアを生むだろう。

 振返ってみると、わたしの毎日は安定している。夢も無く、希望も無く、毎日不安で睡眠剤を飲まないと眠れないが、ふと人生のこの時期、「わたしの毎日は安定しているな」と思うことがあるのだ。今朝も朝七時すぎに起きて、ヨーグルトと果物、お茶とパンを主体にした朝食をとり、それから新聞を細かく読む。昼ごろ昼食。午後は一時間から一時間半の散歩、帰って夕刊を見ながらテレビ(今は一時間ぐらい相撲を見る)を見る。夜は大概テレビを見ていている。その後入浴、間もなく布団に入り、読書をしながら、睡眠剤を飲んで眠る。そしてこれはこれで、安定しているかもしれないな、と時々思う。人生の末期に、自分の一生を振返ってみて、この時期は、棲家も手に入れたし、収入も食うだけならあるし、案外安定しているかもしれないなと思う。そして、この時期、高齢の男が、こんな生活をしていたと思うことで、気分が落ち着くのである。

 わたしは論理的には、関係性の中に個人を位置づけているが、しかし関係性そのものは、個の存在を前提しているものだ。自然と自我は同格なのである。この自我の確認が、ヨーロッパが懐かしい理由だと思われる。しかしそのことは、日本文化の肯定にも連なっている。人の生はユーモアが本義であるのかもしれない。

 

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