Kさんから贈られたイースター・エッグ
小田垣雅也

 

 ここに掛井五郎さんが彫刻された「イースター・エッグ」という彫刻(たぶん鉄製)がある。実物大の大きさで、上方三分の一ぐらいのこところで卵がぎざぎざに割れ、上にロバが載っている。そのロバを持って卵を開けると、中にはなにもなく、掛井さんの手紙によると「中に私の空気が入っています」という。
 わたしは最近『友あり――二重性の神学をめぐって』という説教集を出したが、その中に「腕のない人物彫刻――掛井五郎展」という文章が収録してあり、この「イースター・エッグ」は、それに対する挨拶だろうと思う。掛井さんは、普段は手紙などは書かない人だが、かなり長い手紙がついている。それによると、若いときは仕事に充実していたが、「今は内容的にも質の高い、量的にも多くの仕事を」しているよしだが、こう続いている。「ムナシサだけが残り、さびしいです。こんなはずないと思うのですが、本当の話、『存在』するということはこういうことかと、考えるようにさせられます」。卵の中の中空からは、生きることの「ムナシサ、さびしさ」が立ち昇ってくるようである。

 掛井さんの手紙は、わたしにはよく分かるのである。老いを生きているのはムナシク、さびしい。昨日もぼんやりテレビ(相撲一月場所)、を見ていたが、人生がムナシイという感から逃れられなかった。昨今の食品偽装から始まって、こんどは再生紙のエコ偽装だそうだ。掛井さんは芸術家の勘で、そのことに耐えられないのだろう。道徳的に耐えられないのではなくて、「ほんとうのもの」を求める感覚から耐えられないのである。掛井さんの手紙にもどってみよう。「このそうぞうしい日本。流れ入ってくる世界のニュース、『人間』の香りが、しません。美しい香りは、どこをただよっているのだろうかと、追い求めていますが、犬のようにクンクンしながら、歩いている自分にあわれを覚えます。本当の自分が少しずつ見えてきた。『私』がオカシクなります」。

 わたしは午後十時前後に、入浴をすませて床に入り、それから一時間ぐらい、昔の自著を読むのが最近の習慣になった。自著は、次に何が書いてあるのか大体憶えているので、適当な興奮もあって気分が休まり、眠れるのである。それに、寝る前(これは「うつ」の特徴らしいが)、夕方になると「うつ」の気分から脱けでるようだ。だから本を読むこともできる。朝はダメである。
 この朝はダメで夕方から恢復することを、朝刊シンドロームと言うのだそうである。床の中に入ると、一日のムナシサや淋しさとも、一時休戦である。わたしの祖父が、よく「寝るより楽はなかりけり」と言っていたことを以前書いたことがあるが(『友あり』二〇〇七年、二四三頁)、この祖父の繰り言は、この朝刊シンドロームと実質的に同じものであったかもしれない。昔の人も、この朝刊シンドロームと呼ばれていることを知っていたのではないか。床に入って寝るのが楽だということだけだったら、祖父が昔の、田舎町の人のこととはいえ、単純すぎる。

 しかし老いは(つまり人間の生は)、それだけなのだろうか。毎朝の、朝刊もロクに読めないムナシサ、淋しさはその通りでありながら、それは――繰り返すが――その通りでありながら、しかしそれだけなのだろうか。いかにもそれはそれだけだと思う。掛井さんの「イースター・エッグ」を見ていると、そのムナシサが一〇〇パーセントのものであることがよく分かる。しかし「ほんとうに」、それだけなのだろうか。

 掛井さんも、その手紙の最後に、決して論理的一貫性によってではなく、「『友あり』、心躍ります」と書いてあった。掛井さんはわたしの本をキッカケにして、そのとき「心躍って」いるのである。また、すでに書いたように「今は、もっと、内容的には質の高い、量的にも多い一日ですが・・・」とも書いている。
 つまりこの手紙全体が、老いの衰微への抵抗であると言えるかもしれない。それはこの「イースター・エッグ」を制作するということ、そのことについても言えるだろう。ムナシサだけでは、心がすぐ萎えてしまって、それを彫刻に刻むことなどはできない。老いの衰微への抵抗には、老いのムナシサ、淋しさに対抗する力の凝集が必要だ。それはムナシサ、淋しさとは正負を逆にした、一〇〇パーセントの心の凝集ではないか。
 ムナシサ、淋しさも一〇〇パーセントだ。しかし同時に、そのムナシサ、淋しさがありうるためには、それを自覚し、それに対する心の凝集として、正負を逆にして、同じ一〇〇パーセントの心の凝集も必要だ。わたしたちは影の一〇〇パーセントにだけ心を奪われ、それに脅かされて、その裏の、光の一〇〇パーセントを自覚しない傾向があるのではなかろうか。
 つまり煩悩に悩んでいるのである。または不信に苦しんでいる。繰り返すが、老いのムナシサ、寂しさは一〇〇パーセントだ。それは間違いない。しかし影にのみ捉われていてはいけないのである。影は光なしには存在しない。同様にムナシサも、表現を逆にすれば、自分が存在していることの証拠ではなかろうか。ムナシサだけが存在することはない。

 わたしは以前から、二重性ということを言ってきた。わたしたちの心が、一〇〇パーセントあい対立する勢力によって、同時・同場的に占領されるとは、観念論的認識の世界ではありえないが、しかしその二重性によって、わたしたちの心は成り立っているのではなかろうかと思う。光がなければ影はない。しかし影がある以上は光もある。そして、その光と影は矛盾している。光だけの世界はない。同様に影だけの世界もないのである。
 そもそも存在者、すなわち具体的に存在している者は、その自己が消滅することを知っているからこそ存在者でありうる。それを知っているのが、現存在としての人間だ。その意味からすれば、生は死ぬからこそ生なのだ。生は死の与件であると言いうる。影は光の与件であり、逆も真であるように、である。その死を虚しいと感じ、淋しむとは、生の与件である死の否定になる。それはひいては、生そのものの否定にすらなるだろう。その矛盾した心の場を、死も含めて、「あるがまま」に認めることが、たぶん、「信」とか「悟り」ということではないかとわたしは思う。それが人間にとって「ほんとうの」ことではあるまいか。

 こういうこともある。バッハ学者の磯山雅さんが、最近わたしの『友あり――二重性の神学をめぐって』を読んで「バッハのやわらかな信仰」という表現で言いよどんでいたことを、射当てられた感じがする、と言ってきた。バッハは普通、ドイツ敬虔主義の立場にたって、その意味でいわば一重的信仰によって、つまり「固い信仰」によって、作曲したと考えられているが、実情は、バッハは「むしろ、懐疑や揺れ動きも十分あったひとではないか、と思うようになっていました」と言っている。彼はカンタータを書くことによって、自分の信仰をたえず捉えなおし、信仰を新たにしていたと思うと。それが「やわらかな信仰」である。そのことが、磯山さんにとって、信即不信の二重性と重なって理解されている。信仰は不信仰を含んでこそ信仰であり、その共存のダイナミズムが欠かせないと。
 磯山さんの手紙にわたしが感動したのは、これが単に哲学論義や神学的議論ではなくて、バッハそのものを聴き込んだ上での感想であったからだ。「そうだったのか」とわたしは感じた。そして人間の状況、とくに信仰のありかたは、いつの時代にも――たぶんイエス自身にとっても――同じなのではないかとの思いを深くするのである。「固い信仰」ではなくて、「やわらかな信仰」だ。クリア・カットな信仰などは、どこにもないのである。

 科学と思想の違いは、後者が知的迷い、つまり認識論的迷いの中にあることだと、長谷川三千子氏も言っている。科学は迷いのない真理から出発するが、思想や信仰は迷うこと、神や存在について、迷うことから出発するのだと。長谷川氏はこうも書いている。「神の存在にせよ、死後の霊魂にせよ、それについて迷いがあったなら思想たりえないどころではない。それについて何の迷いもなかったら、そんなところに思想はありえない」(『長谷川三千子の思想相談室』、幻冬社二〇〇七年)。
 科学的二元論で人間のことは測れまい。それは分別知だ。分別知と無分別知を混同してはいけない。そして分別知をこえたところにこそ、信や悟りはある。いつかも書いたことがあるように、科学的現実すら、本当は、二元論を超えたところに成立している。老年を迎え、生きていてムナシク、淋しいのは、存在者として当然のこと、むしろ人間であることの証拠であるかもしれぬのである。

 
 (すこし早いですが、イースター用の説教をお届けします。掛井さんからイースター・エッグの彫刻を頂きましたので。その感動を忘れないうちに書いておきます。)

 

 

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