少し投げやり

小田垣雅也

 

 しばらく前、西武線の空(す)いた電車に乗っていたら、保育園の幼児たちの一団が保母たちに囲まれて乗ってきました。そしてあらかじめ訓練されていたのでしょうが、乗った途端に互いに腕を組み、または手を固くつないで、円陣になり、内側を向いて、電車の揺れるのに合わせて、上手に、しかし一生懸命に、揺れていました。それは波間を漂うくらげのようで(例えは悪いが)、揺れながら安定していました。可愛いのでわたしは見ていたのですが、あれが一人々々で立っていたら、忽ち転んで、大変な騒ぎになっていたことでしょう。間もなく、降りる駅に着くと、保母二人が向き合って、ドアとホームの間をまたいで向き合って立ち、一人々々の幼児を抱いて降ろしていました。そういうマニュアルでもあるのかもしれません。

 この場合、腕を組んだり手をつないだりしている幼児たちが、お友達お互いがそこにいることを信頼していなかったら、あのように上手に、電車の揺れに合わせて揺れていることはできなかったでしょう。むしろ、手を固くつないでいる幼児たちにとって、お友達同士が、互いにそこに立って手を結ぶことは意識の前提であり、それを信頼するとかしないとかの意識以前に、お友達が隣にいて、手を結んでいることは当然のことであったのであろうと思われます。しかしそうしてのみ、揺れる電車という彼らにとっての当面の環境に、自然に適応することができたのだろうと思います。つまり「環境に適応する」ということは、人間同士が、お互いの存在を信頼することが前提なのだと思います。

 しかし信頼するとは、本来そういう天然自然なことだとわたしは思うのです。「相手を信頼する」ということを「自覚的に」実行するとしたら、その自覚は、そのように自覚することの裏側の事情として、「相手を信頼していない」という区別が先に立ちます。その区別をした上で、その自覚もありえます。しかしその場合は、環境に、天然自然に、適応していないことになります。適応できたとしても、その環境と自分との間には間隙があるることになります。それがそもそも、自覚ということでしょう。これは近代自我の通弊ではないでしょうか。あの幼児たちには、そのような自我による自覚はありませんでした。だから自然に、安定して、揺れていることができたのです。もともと子供には自我の自覚などはなく、それが子供というものでしょう。しかもその場合にこそ、隣りのお友達を必要としているのです。そのような自覚以前の自然な幼児のあり方を、イエスは「天国はこのような者たちのものである」と言ったのだと思います(マタイ一八の一〜五、一九の一四)。

 

 人間存在を信頼するとはどういうことか、ということを考えることがあります。そしてわたしは、自分が、結局は人間を信頼していないのではないかと、疑う気分が自分に対してあるのです。信頼するとしても、それは「人を信じられないで何を信じるられるのか」という哲学や倫理の問題になり、その、人を信頼するということと自分のその哲学的自覚との間には、間隙がある。あの子供たちが自然であるようには、自然にはゆかない。わたしは自分が人間嫌いではないかと、確信のようなものを持っています。電車の中の人は大概嫌いだし、最も親しい人々に対してすら、その人を軽蔑する気持ちが交じっています。

 このことについて少し自己弁明させていただくと、わたしは少年の頃から耳が遠くて(結核のストレプトマイシンの副作用で)、人が一度言ったことを聞き返したり、疑う癖があるのです。聞き間違っていたときの恥ずかしさが恐ろしい。それは耳が遠いわたしにとって、何回も繰り返された屈辱でした。いまだにそうです。そして周囲はいらいらします。その屈辱が、本性疑り深いわたしの性格に、ますます拍車をかけたところがあります。それだけに、一度友人を信頼できたときの嬉しさは、非常なものです。だからわたしは、「初対面の人は大概嫌いだ。しかしその後しばらくすると、大概その人が好きになる」と時々口にしていたことがあります。

 

 しかし、もともと文化とか技芸、その積み重なりである歴史とは、人間に対する信頼の上に成り立っているものだと思います。人間を最終的に信頼しないで、文化も技芸もありえないでしょう。文化も技芸も、人間に対する根本的な愛と信頼を前提しています。それ故の文化であり、技芸でしょう。今年はモーツァルト生誕二五〇年だそうで、テレビでよくモーツァルトに関する番組をやっています。この間「山本耕史とたどるモーツァルトの旅」という、二時間にわたる特別番組をやっていました。たぶんモーツァルトの音楽が背後に流れていたのでしょうが、それはわたしには聞こえません(耳が悪くて)。

 そしてつくづく、歴史や文化の下地になっているものは、西武線の中の子供たちのような、人間に対する愛と信頼だと思いました。神学者のカール・バルトをはじめとして、モーツァルトの音楽が愛され、ときにはそれが「天上の音楽」だ(バルト)と言われるのも、それはその前提として、人間に対する愛と信頼の背景からではないでしょうか。それは「近代自我的な視点」を超えているのです。たしかにモーツァルトの音楽の自在な美しさは、ベートーヴェンのような自我の苦闘ではないし、バッハのような秩序正しい静謐さでもない。

 わたしは近頃、ヨーロッパというものの意味と偉大さを考えるようになりました。たしかNHKで『世界不思議探検』という番組をやっており、そこでヨーロッパの街並みなどをやっていると、わたしは熱心にそれを見ます。自然の驚異や、いわゆる動物ヒューマニズムはあまり好きではありません。そして、人間に対する愛と信頼がなければ、ヨーロッパという文化はありえないのではないか、と思われるのです。ヨーロッパの都市の石畳の道ひとつを例にとっても、そこには現実にそれを造った人々(職人)がいます。その人々の、その道の上を歩くであろう人間に対する愛と信頼なしには、その石畳の道を造ることそのことがありえません。その石畳の道には、それを作った人々、その上を歩いた人々の歴史が籠められています。道というものが懐かしいのは、とくに石畳の道が懐かしいのは、そのためでしょう。

 ましてそこここの町や村の中心にある大聖堂は、築造に何世紀もかかったものが数多くありますが、そこで表現されているものも、基本的には人々にたいする愛と信頼でしょう。それがなければ、何世代にもわたって、人々が営々として、かの大聖堂を造り続けることはなかったろうと思われます。それはたしかにキリスト教信仰のなさせる業であったでしょうが、その信仰の背後にあるものは、人間への愛と信頼でしょう。それなしで、これらの人間の数世紀にわたる営みを説明することはできません。歴史を読んでいると、わたしは人々に対する愛と信頼が深くなってくるのを感じます。「カセドラル 歴史の中の 夜寒かな」(広谷和文)。もちろん歴史はある意味では悲劇の連続です。殺伐さと権謀術策の場面でもあります。しかしそれらの歴史の具体的な場面を超えて、その奥に、人間に対する愛と信頼が見えてくるように思うのです。その人間に対する愛と信頼の積み重なりが、文化というものではないでしょうか。大聖堂や、または大宮殿の微細にわたった彫刻などを見ていると、わたしはそのこと、人間に対する愛と信頼を、しみじみと感じます。

 しかし文化は亡びます。人間の歴史も、その始原は分からないし、人類の歴史があと一〇〇年もつかどうか、わたしは真剣に心配しています。地球の温暖化現象は、このままいったらどうなるか、と絶えずハラハラしています。エジプト文化も、ギリシア文化も、中国文化も亡びました。だから、視野を広げて言えば、人間の歴史も文化も、その来し方行く末は不明で、その意味で人間は途上性の中にあると言えます。途上性は空しい。歴史や文化に、人間が納得できるような「最終的な」意味はないでしょう。しかしその空しさの背後に、人間に対する愛と信頼がなければ、歴史も文化もありえず、それよりも、哲学的に言えば、歴史の途上性ということも、途上であることの意味を失うでしょう。ヨーロッパの都市の石畳の道や大聖堂は、ヨーロッパという一つの場合として、歴史や文化の最終的な空しさと、その背後にある人間への愛と信頼を表現していると思います。

 山本耕史に関して言えば、その姿は、ヨーロッパの文化の中に置いても見劣りがしないように思いました。わたしは俳優にはあまり興味がありませんが、山本耕史がその番組の中でヨーロッパ文化に見劣りがしないように見えたのは、たぶんわたしが、歴史や文化の背後に、人間に対する愛と信頼を見ていたからだろうと思います。山本耕史という俳優の姿の問題ではなくて、山本耕史自身が、歴史と文化の大きな肯定に裏打ちされているところがあるように思えたのです。

 

 達磨大師(六世紀)は「前を謀らず、後ろを慮らず」と言っています。わたしは「前を謀り」、つまり取り越し苦労ばかりし、「後ろを慮り」、つまり後悔ばかりしているので、このような禅語に出会うとほっとします。これが禅の生き方であると言ってよいでしょう。わたしが西武線の電車の中で保育園の幼児たちの自然さ、それ故の天衣無縫の順応性に感動したのも、幼児たちが、自意識が発生する以前の、取り越し苦労や後悔とは別の次元で生きているように見えたからのようなのです。それは「前を謀らず、後ろを慮らない」生そのものであるように見えました。その意味で、幼児たちは「無自性」の生を体現しているように思えたのです。まことにイエスが言うように、「天の国はこのような者たちのもの」だと思います。そしてそれは、自覚や自意識を超えた、人間への本質的な愛と信頼から生まれることでしょう。それが人間の文化や技芸、歴史や学問を背後で支えているのだと思います。

 

 しかし、わたしは近頃しばしば考えるのですが、達磨大師のこの言葉やイエスの幼児への言葉が、世紀を超えて、日本の、現代の、このわたしにまで伝えられているのは、「前を謀り、後ろを慮る」生きかたが、人間が誰でも陥っている状態だからではないかということでです。イエスの「天国はこのような者たちのものだ」という幼児への言葉の前文では、弟子たちが、天国でいちばん偉いのは誰か、と言い争っています(マタイ伝一八の一)。それが人間の実情でしょう。わたしは政治家という人種が大嫌いなのですが、毎日の新聞の政治面を見ていると、その状況はよく分かります。そのような人間の実情から開放されることが、解脱であり、信ではないかということです。

 しかしそのような人間の実情から解脱する努力を、わたしはこれまで繰り返し、試みてきました。「前を謀り、後ろを慮る」努力から脱しようと、繰り返し努力してきたのです。そして問題は、そういう努力するという形で、「前を謀り、後ろを慮って」いたことです。むしろそのことがあるから、西武線の電車の中の幼児たちの様子にも、わたしは感動したのだと思います。だからわたしは最近、生き方の問題として、そのような努力をやめて、「少し投げやり」にした方がよいのではないか、と思い始めています。あまり几帳面にものごとを考えることを止めるのです。几帳面な性格とは良い面もありますが、気の小ささの裏返しであることが多いです。良いことよりも、悪いことの方が多いようです。そしてそのことは、この説教で話しているような「反省」や「自覚」もまた、無駄なのだ、ということでもあります。「信仰にとって最も邪魔なものは、信仰を求めるその心だ」とエックハルトも言っています。悟りや信の意味は、この「少し投げやり」の消息の近辺にあるのだと――投げてしまってはだめですが、その周辺にあるのだと、わたしは思い始めているところがあります。その周辺とは何処か、ということを見極めることが大事だと思うのです。(06Y04)

 

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