信と不信(06111)

信 と 不 信


小田垣雅也

 信仰ということに関して自分のことを振りかえってみると、青年の頃と較べて基本的には何も進歩していないと思う。信仰に基づいているはずの自分の生き方にしてもそうだ。それはたぶん、自分の信仰なるものが、信と不信の両義性のもので、一義的に進歩したり退歩したり、または解釈することができたりするようなものではないからかもしれない。
 何回か書いたことがあるが、わたしは回心の体験があるか、と問われれば、「ある」と答えざるを得ない。しかしそれは不信を切り捨てて信の生活だけになったというものではないのである。わたしも人並みに、キリスト教の信仰をえて(キリスト教には限らなかったのだが)、イエスが神の子キリストであると信じ、生の安心をえたいと思っていた。わたしがその頃通っていたのは、家の近くのM教会で、そこの牧師は、説教家として海外にも有名な、K牧師であった。だからそこで信じられなければ、他のどこでも信じることはできないと当時わたしは思っていた。たしかにK牧師の説教は迫力があり、わたしも、もう少しで信じられるように思ったが、その最後の一歩が、どうしても踏み出せないでいたのである。今にして思うと、K牧師の聖書解釈は、自由主義的聖書解釈であったと思う。たとえばイエスの山上での変容(マタイ伝一七章一〜一三節、およびその平行記事)は、イエスが、その地方にしばしば出る環状虹と重なったのだとか、イエスが湖の上を歩いたのは(マタイ伝一四章二二〜三二節、およびその平行記事)、ガリラヤ湖は遠浅で、それに葦も生えており、そう見えただけだ、というようなものであった。しかしそのことと、キリスト教信仰は別であろうとわたしは感じていた。それにしても、そういうK牧師の話を聞いたときの感動は忘れ難い。
 その後わたしはM教会を退いてU教会に移り、そこのA牧師の話を聞いているうちに、あるとき(日時も示せるが)ふと、回心を体験した、というのが真相である。しかしその回心とは、イエスガ神の子キリストであり、奇跡も信じられるようになったというのではない。わたしはイエスが神の子キリストであり、数々の奇跡を行ったというようなことは今でも信じられない。だからM教会でのような、自由主義的聖書解釈も、それで万事解決するためには、最後の一歩が踏み出せないでいたのである。わたしの回心というのは、「それでもいいのだ。その信じられないという事実を持っていることが、人間にとって自然なことなのだ。そしてわたしが信じられないことが、イエスの十字架上での死の必然であり、わたしが人間の自然さ――「当たり前」という意味で、この「しぜんさ」を「じねんさ」と言う場合があるが――に立ち返ることが、復活ということの意味なのだ」という大きな肯定に気がついたのである。このようなイエスの死と復活がある限り、無理に信じようとする最後の一歩を、自力で踏み出すことなど、もともと必要なかったのだということに気がついたのである。
 そのような、不信を本性、内に含んだ信、信即不信の両義的な信が、わたしの回心の体験と言えば体験である。それはふとした、しかしそれだけに決定的なことである。決定的なことは、いつもふとした風情を持っている。だから信仰とか回心というものは、信対不信の両極勢力の、一方である不信を切り捨てることではないのではないか、と思うようになった。それがどういう事情であるか、ということを解明することが、その後のわたしの著作活動の根本的動機になっている。小説家の椎名麟三氏も、「信じられないということ」という随筆の中で、自分の中での「信じられないということの復権」を主張している。
 だからわたしは井上洋治神父の「弱い私だからこそ」という次のような詩を読むと、安心するのである。「イエスさま、あなただけいてくだされば、それでじゅうぶん、あとはなんにもいりません/こころからそうお祈りできたらと、思いながら/それができずに、寝たっきりになることを、目が全く見えなくなることを、なにか恐れているわたし/でも、アッバ、そうなったときは、弱い私だからこそ、おみ風さまは、必ず しっかりと、抱きとめてくださるのですよね」。あの篤信の井上神父すら、「それができずに」とこの詩の中に書いているように、自分の将来をイエスに信頼して任せきれず、それに不安をもっているのである(井上神父は目が悪い)。それゆえにこそ、「必ず、しっかりと、抱きとめてくださるのですよね」とイエスに確認を求めている。言い換えれば、井上神父も、自分の中に不信と不安を持っている。それにもかかわらず、井上神父はこの詩のような信仰を、イエスに対して持っていた。つまり篤信の井上神父の信仰も、不信を内に含んだ両義的・二重性的なものなのである。
 ルターは、信仰を「罪人にして同時に義人」と言ったが、これはかならずしも倫理的な意味でのみ解せられる必要はない。認識論的にも言われるべきで、その場合、これは「不信者にして同時に信者」ということになる。しかしこの言い方は、ルターにとって、信仰は倫理的にも認識論的にも、信と不信の両義的・二重性的なものであることを示している。ついでに言えば、宗教改革の第二世代であるカルヴァン、ツウィングリになると、人文主義の影響を受けて、この両義性は後退し、信仰が合理的、倫理的に解されるようになるということがある。しかしこの信仰の両義性・二重性とは、具体的にはどういうことか。

 大学で神学を勉強しはじめて、最も印象に残っていることの一つは、理解には二種類あるということを学んだことである。一つは対象論理的理解(Verstaendnis)であり、もう一つは実存的理解(Verstehen)ある。わたしたちが「理解する」という場合、大概の場合、たとえば1+2=3であるというように、対象論理としてある事柄を納得することである。それは自分にも他人にも通用する論理、つまり一義的論理で、両義的・二重性的であることはない。それは科学的・合理的理解であると言える。宗教の因果応報思想もそうだし、先に触れたM牧師の聖書の自由主義的解釈もそうである。それは論理的に納得できる。聖書の自由主義的解釈というのは教会の権威からの自由ということで、その解釈は、合理的・倫理的に納得できることである。さきに触れたカルヴァンの場合、信仰は倫理的で合理的だとするその主張が過ぎて、その原理によってジュネーブに神政々冶を行おうとし、そのあまりの厳しさのゆえに、一度ジュネーブを追放されたりしている。ちなみに言えば、聖書学に関する限り、この対象論理として聖書を「研究する」聖書学が、現代にいたるまで、続いている。
 しかし、人間に関するかぎり、したがってまた人間の中枢である宗教に関する限り、対象論理的理解だけでは不充分であろう。対象論理的・学問的にではなくて、実存的に物事を理解することが、信仰であると言える。いまここで生きている自分が、自分自身で――つまり知的分別知をこえて――納得すること、言い換えれば「最後の無理な一歩」を踏み出す必要のない理解が、本当の理解ということであろう。それが実存的理解であって、信仰とはそういう本性のものではないかと思う。こういう言葉は使いたくないが、その意味で、それは超論理的である。
 わたしは学生時代、ブルトマンという学者によって、実存論的(existezial)と実存的(existenziell)の区別を学んだ。実存はいまここでの、自分自身の問題であり、確定した対象論理にならないで、その意味でつねに「実存的」である。それならば、それは実存についての論理つまり「実存論的」認識にもならないはずだ、という議論である。学問的に説明された実存とは、いま生きているこの自分を離れているという意味では嘘なのだ。太宰治が志賀直哉をはじめ、学者・文化人一般を攻撃したのも、根本的理由は、この水準での嘘である。

 いま、朝日新聞の夕刊に、北村薫という人の(この作者が男性であるか女性であるか分からないが、たぶん女性)『ひとがた流し』というシャレタ小説が連載されており、わたしは毎夕、面白く読んでいる。主人公(群)は、千波、美々、牧子という四〇才代半ばの、高校時代以来の親友たちで、千波はテレビのアナウンサー、牧子は小説家である。その千波が乳癌になって手術を受ける。そして美々の娘の玲に、こう言うところがある。「今度の手術の時、色々、世話をしてくれた牧子が、病室から帰りがけに、ちらりと振り返った。その目に『生きていて』っていう願いがあったんだ。―――・・・ビックリした。後から来てくれた美々ちゃんにも、そんな感じがあった。意外だったなあ」。それは「胸の内から湧き出る、本当の、ぎりぎりの真情をこめて『生きていて』」という願いであった(朝日新聞、〇六年一月一二日、夕刊)。それを読んで、わたしは、本当の交流とはこういうものであろうかと思った。この交流は、言語や挨拶を超えた、つまり、分別知上でのやり取りを超えた、本当の真実であるらしい。それが聖霊というものの出番かもしれない。「使徒言行録」ニ章一〜四節には次のようにある。「五旬節の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然激しい風が吹いてくるような音が天から聞え、彼らが坐っていた家中に響いた。そして炎のような舌が分かれ分れに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊にみたされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した。」語る言葉は多いが、語ることは一つの理解なのである。千波の職場にも「生きていて」と願う知り合いは大勢いる。その人々も千波に「生きていて」と言うだろうが、しかし千波によると、「―――でもそういうこととは違うんだ」(同夕刊)というのである。何が違うのか。
 千波と牧子ないし美々が、それぞれが個人同士であり、そのことは「職場の人々」でも同じである。個人同士だから行き違いもある。同じ夕刊によると千波は「はた目に強い人間と見えた千波は、自分を実際以上のエゴイストと感じていたようだ。そして、その思いを裏返すように、自分を、一人だと思っていたらしい」という。そこにもすでに行き違いがある。そのような千波とその友人たちの間の、現実の相違にもかかわらず、しかしその相違を超えて、日常の言葉や挨拶では表わせない深い交流はある。実存的理解はあるのである。そのことを作者はここで描写しているのである。
 わたしはこの小文の最初に、信と不信の相違にもかかわらず、その相違を超えてこそ、本当の信はあるということ、それは超論理的なことだと言ったが、それも同じ事情であろう。もともと宗教とは宗、すなわち「おおもと」についての教えである。「おおもと」とは、人間が作った論理や言葉を超えたものである。「おおもと」がすべての「おおもと」である以上、千波やその友人たちの真実の交流に、それが関わらぬはずはない。宗教とは元来、そういうものに関わることではあるまいか。それならば、わたしたちが毎日の日常の中で、不信、絶望、いさかい等があったからといって、つまり現実の相違があったからといって、とくに慌てる必要はないのかもしれない。(06114)

 << 説教目次へ戻る

inserted by FC2 system