海 軍 と 陸 軍

小田垣雅也

 

 このところ、阿川弘之ばかり読んでいる。『南蛮阿呆列車』から始まって、『軍艦長門の生涯』、『雲の墓標』『暗い波頭』などなど。いま読んでいるのは『春の城』である。このあいだ本屋で、文庫本の『山本五十六』『米内光政』『井上成美』を買ってきて、机の上に積んである。読むのを楽しみにしている。ついでに言えば、阿川は東大国文科出身の海軍予備学生の経歴があり、戦時中は支那語の暗号解読をやっていたそうだ。海軍贔屓である。作品には固有名詞がたくさん出てくるが、それらの提督とか大臣の名前をわたしは憶えている。阿川の文才(調べることも含めて)は非常なもので、わたしなどとても及ばない。
 阿川の時代に平行したわたしの一四、五歳頃の記憶は、その人の人生に深く残っていよう。わたしにも、五月の空襲で家が焼けてしまったこととか、そのまえ都下の昭和町にあった(現、昭島市)飛行機工場に動員になっていたこととか、父の故郷である栃木県の壬生町に疎開したとか、いろいろある。その飛行機工場へは後年、学校の勤め帰りに行ってみたことがある。森の形など大分変っていた。

 阿川の本によると、海軍の教育は陸軍に較べて成功したとされているが、それは「具体性」を尊んだ教育ということであろう。士官になるための第一の資格は、尽忠報国などという「哲学」ではなくて、「スマートネスを第一と心がけよ」というものであったよし。ズボンの折り目はきちんとついていなければならないし、靴はピカピカに磨いておかなければならなかった。敏速にやわらかく、軽くしかも粗暴にならぬように静かに、ということである。ある偽兵が、一度海軍士官の軍服を着てみたいと思って、その服装をしたところ、靴が汚れていたので、それが見破られたということがあるぐらいである。スマートネスが士官になるための、第一の心得であったそうだ。
 戦争になっても、相変わらず、盥はオシタッブであり、バケツがチン・ケース、雑巾が内舷マッチで、風呂はバス、階段はラッタルであった。これらは海軍英語である。敵性言語は使用不可などという当時流行した「精神主義」は通用しなかった。さすがにわたしの中学校(旧制。都立十中)では、英語は敵性言語だという理由で禁止されるようなことはなかったが。

 わたしは哲学が嫌いだ。それは「そう考える自分はどこにいるのか」という意味での「具体性」の次元とは別のところ、つまり思念の世界で思考されているからである。それはズボンの折り目はついていなければならぬとか、靴はピカピカでなければならぬ、といった身の回り性・具体性の欠如である。哲学性はデカルトによる近代的主観―客観構図の発見以来のことだと思う。カントで啓蒙主義は乗り越えられたとされているが、その意味は、カントが主観―客観構図の二元論を乗り越えたのはいいとして、その乗り越え方が不徹底で、カントの場合、それが倫理的実践であることだ。それを裏づけるものとして人間には生得的に定言命令があり、「それは天空の星空のように確実なもの」(有名なカントの墓碑銘。これは『純粋理性批判』の中にでてくる)によって裏打ちされているという。しかしこの「天空の星空のように確実なもの」とは、自分の外にある対象であろう。それは「そう考える自分はどこにいるのか」という自分の次元の話ではない。
 ヘーゲルは「絶対精神」で有名だが、その絶対精神が人間の精神によって実現していく「対象」になっている。「そう考える自分はどこにいるのか。そう考える自分もまた、精神(自分)の一部ではないか」という次元はここにはない。ヘーゲルとその「絶対精神」が、それぞれに対向した両者になっている。そしてこの「そう考える自分はどこにいるのか」という次元をとりいれたことが、近代主義に対する現代思想の特徴である。現代思想の特徴は「そう考える自分も、その思考の対象の一部なのだ」という発想である。  
 そのようにして、近代思想と現代思想の間には、思考の根本的異質性がある。だから現代以前の哲学は、自分とその対象という二元論的構図をどうしても持っている。現代思想にはそれに対する反省がある。この主観―客観構図は、古代のギリシア哲学以来そうだった。ギリシア哲学では、人間と区別された第一原理が、水や火などになっていた。
 そして宗教とは、このデカルト的二元論を乗り越えるものだとわたしは考えている。またそれが――これまで度々言ってきたように――ネオ・ロマンティシズムである。ギリシア時代の第一原理は水や火であり、カントやヘーゲルにとっても、第一原理は定言命令や絶対精神のような「対象」であった。これらはネオ・ロマンティシズムではない。

 陸軍が狂信的になったのは次のような事情だ。少し引用してみよう。「日本陸軍ほど、一種徹底した精神主義を持して、科学技術や、機械化、近代化を軽んじた軍隊は他にあまり例が無く、仙台で道路の舗装に陸軍が反対し、反対の理由は『馬の蹄がいたみやすい』というのであった話がのこっているが、云々」(阿川弘之『山本五十六』、新潮文庫・上、二九〇頁)。このような結果を引き出す精神主義は、物事を客観的に考えることの――主体的にではなく――、そしてそれを極端にまで考えることの、結果である。それは世界の第一原理を水や火としたギリシア哲学と、構造としては同じである。
 このバカバカしさの原因は結局、「そう考える自分はどこにいるのか」という姿勢がなかったからだと思われる。陸軍の、海軍に匹敵する教訓は、海軍の「スマートネス」のかわりに、「滅私奉公」とか、「尽忠報国」とかの「哲学」だった。要するにそれらは、イデオロギーであったのである。海軍には、スマートネスを重んじる「具体性」「身の周り性」があった。純粋な滅私奉公や尽忠報国などは、もともとないと考えるのである。
 イデオロギーはかならず悪魔化する。その根本的理由は、「そう考える自分はどこにいるのか。そう考えるのは自分の精神の一部ではないのか」という、思考の具体性がないからである。陸軍の「抽象性」、「哲学性」、イデオロギー性に対して、海軍はオシャレを第一とし、「具体性」「身のまわりのこと」を強調する。それは戦争中も海軍英語を変えなかった雰囲気でもある。そこには道学者流の「哲学」はない。道学者流の哲学は、必ず極端化する。それが道学者の道学者たる所以である。そして宗教が具体性を失って、抽象的イデオロギーになるとき、つまり道学者流になるとき、宗教運動は必ず堕落し、悪魔化する。
 イデオロギーになった精神主義は、海軍のような身綺麗さに気をつけるなどということは軟弱であると見られる。しかしその軟弱さが具体性、個的であるということだ。万古不動のイデオロギーはない。米内光政、山本五十六、井上成美などの提督たちは、開戦前、「アメリカと戦ったら必ず負ける」と主張して、陸軍や右翼から軟弱の徒と非難されたのであった。イデオロギーは自己の立場を絶対化する。それが極右主義だ。それはイデオロギーが、自分に根を持っていないからである。

 都立(府立)の中学(男女別学)には「教練」という時間があって、大概各校に一人か二人ずつ、そのための教師(退役将校)がいた。配属将校というのがこれとは別にあって、十中の配属将校は三森中尉であった。これはたぶん、その土地の連隊区から派遣されてきた現役の将校である。
 この「教練」の教師の中に、Fという男がいた。ノモンハン事件で怪我したとかの、退役の陸軍中尉であった。身体的機能はどこも悪くない。Fは無論、軍国主義者である。わたしは一度この男から、号令の声が小さいといって、その男の気に入るまで、何回も号令をかけつづけたことがある。しまいには、体を折り曲げて号令の声をだした。つまり、わたしもこの男の被害者であった。このFは、戦争中は、稀代の軍国主義者で、挙手の敬礼の仕方からして、普通の教師とは違っていた。それに比べれば、中学校の普通の課目の教師たちは、まだ「文官」であった。わたしたち生徒は、この男の前に出ると、皆ピリピリしていた。この男の終戦時のみっともなさは、語るに値しよう。
 敗戦後、一ヶ月もたつと学校も再開され(あるいはその前か、その後か)、わたしも東京にもどって来たが、よく授業そのものが、いまで云う休講になることがあった。たぶん担当の教師が買いだしか何かに行っていたのであろう。その時間は自習になった。わたしはそのことで、よく教員室とクラスの間を駆け回った(わたしは組長であった)。するとそのFが、その折角の自習のクラスに現れて(自習はやっぱりありがたい)、「わしの専門は国漢じゃが・・・」と言って、戦時中の古い参考書を開いて、講義を始めるのである。わたしは何のことか分からず、「アレレ・・・」と最初は思った。そのとき、山本という生徒(わたしの小学校同級)が「そんなのありません。先生は戦時中は軍国主義者でした。われわれをよく殴りました。今ごろになって、そんなことを言われても困ります」とハッキリいったのである。
 「分かった」と言ってFは教室を出て行った。そう言えば、職員室でも教頭にFがよく話しかけていた。これはわたしを意識した芝居であったであろう。わたしは「ハハア」と思ったのであった。その前に、丸山という剣道の教師が十中を辞めて帰農した。たぶん、職員室でも、Fは困り者であったのであろう。
 こういうみっともなさ、あるいは往生際の悪さは、そのFが、時の哲学に迎合していたからである。戦時中のイデオロギーは軍国主義であった。イデオロギーは必ずそうなる。Fは敗戦という時流にあわせて急に極右主義から民主主義者になったのであり、あわよくば、十中の教師になろうとしていたのであろう。ルターやニーチェを、利用したのがヒットラーであった。むしろ、そうなった哲学をイデオロギーと呼ぶのである。
 この構図は「哲学」と深い次元で繋がっている。どちらも対象と自己という、主観―客観構図になっていて、「自分は何処にいるのか」と自分自身に問う姿勢がない。「自分は何処にいるのか」という問題を離れ、自分も「そう考える一部」だと考えないと、「哲学」は必ず観念的になる。言い換えれば、イデオロギー的になる。

 だから、毎日の身の処しかたは、「軟弱で」「具体的」でなければならないと思う。自分自身のことから出発しなければならない。つまり実存的でなければならない。よく政治青年と実存青年と言ってわたしの頃は対比された。実存青年は革命を目指さないから軟弱だといって批判されたのである。それは信仰も同じである。海軍のように「具体的」で、オシャレでなければならぬということだ。それが「粋」というものではないか。イデオロギーを振り回す人は、必ずオシャレでも粋でもない。陸軍のように、精神主義者になる。文化はそこでは育たないだろう。

 わたしはこれまで「具体性」というものを軽んじてきた。そしてその次元でのデカルト的二元論の止揚ということばかり言ってきた。それがネオ・ロマンティシズムだ、と言ってきたのである。信即不信である。しかし、それは少し違うのではなかろうかと思う。それもまた、オシャレに裏打ちされないと観念になるのではないか。
 人間にありうるのは「具体性のみ、個別性のみ」ではなかろうか。それが「人間が相対的だ」ということの意味かもしれぬ。陸軍にくらべて海軍が個別性や具体性のみを尊重し、つまりスマートネスを士官の基準にして、大哲学や大思想に殉ずることのないほうが、健全であるかもしれぬと思うのである。

 

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