友 あ り

小田垣雅也

 

 「友、遠方より来たるあり。また楽しからずや」という文章は『論語』の冒頭にあります。中学生のとき、初めてそれを習って、「何を当たり前なことを言っているのか」と思った記憶があります。大学に入って、一般教育で諸橋轍次博士の『論語』の講義を聞いたときも、諸橋博士が一代の碩学であることを知りませんで、朗々としたその講義を聞いても、とくに有難いとは思いませんでした。

 

 これは、この文章にとっては余談になりますが、諸橋轍次博士は、大修館刊行の『大漢和辞典』の著作者です。同辞典は全一四巻、親文字五万字、熟語五〇万語であるよし。第一巻の序文で博士は、この辞典のため戦前、長年にわたって集めた資料を、戦争で失ったこと、戦後、心を立て直してまた始めたこと、一時はほぼ失明されたこと、大修館の鈴木社長が、大学生と旧制高校の生徒であった二人の子息を中退させて、この辞典の編纂に当たらせたこと、それはこの辞典が、今後数百年にわたって、この国の漢字の基準になるべき辞典であるからであったこと、などを淡々と述べられています。

 

 わたしは今にして考えるのですが、この「友、遠方より来たるあり。また楽しからずや」という格言の本意を、当時中学生だったわたしが、思い到らなかったとしても、それは仕方がないことだと思うのです。「楽しい」ということの内容は、青春時代のそれと、老人のそれとは違うでしょう。いま、青春時代と老年とに言及して、中年を意図的にカットしましたが、カットした理由は、青年と中年は、まだ前途に時間がある、つまり余裕があるという意味では、同じだからです。自分の生の前に開けている情景への期待を、わたしは働き盛りの中年の頃も、夏休みなどになって、大学が休みになるたびに感じていました。何か前途に楽しいことがあるような気がして、心が弾んだのです。そのようなことは、実際にもありました。夏休みで、一家で伊豆に行くとき、汽車の「踊り子」号で、弁当を買って、思わず口から歌が出ました。家内にそう言われて、「楽しさ」を意識したことがあります。そのことは、老人の「楽しさ」とはやはり違うと思います。前途に時間がまだある場合と、その時間がほとんどない、だから前途への殊更の意図もない、という老年の場合の「楽しさ」は、同じ「楽しさ」でも、やはり質が違うと思われます。

 そして友が遠くから会い来てくれることの楽しさとは、老年特有のもの、つまり人生の終末近くなって、存在論的寂寥感があって初めて味わえることではあるまいかと思うのです。寂寥感といっても、若い頃や中年の頃にも、よく寂しさを感ずることがあります。その意味での寂寥感・孤独感は青年の特権であるとすら言ってもよいですが、その場合の寂寥感は、自分が寂しさに取り囲まれているのでして、その寂しさに取り囲まれている自分は、その孤独な境遇に反抗して、むしろ熱く燃えているでしょう。それ故の青年の寂寥です。しかし老人の寂寥感は、間近かに迫った自分の終末を反映していまして、その寂しさは自分の中に取り込まれて、いわば人生論的・存在論的な寂寥感、身に迫った寂寥感になっていると思います。串田孫一氏が「年をとって、何か一つぐらい良いことはないかと思って、いろいろ探してみましたが、ありませんでした」と言ったときの心境は、このような寂寥感ではないでしょうか。それは寂寥感として純粋です。そして真実とは、常に純粋なものでしょう。

 「友、遠方より来たるあり。また楽しからずや」と言ったときの孔子は、少なくとも若い時代の孔子ではないでしょう(『論語』は孔子とその弟子たちの言行録ですが)。そしてその友も、自分のこれまでの人生で、多くの喜びや悲しみ経験してきました。それは自分も同じなのです。その意味では、それぞれが、自分の寂寥感の只中にいるのです。その友が、遠くから、単純に会いにくる。その際、人生への励ましや同意などの冗言は不要です。本来、言葉も不要なのです。言葉は、それによって引き出される現実が問題です。ヘブル語の、ダーバールです。言葉は単に概念を持ちはこぶ道具、科学的言葉だけではありません。これはギリシア語のロゴスです。そしてこの場合の「楽しさ」とは、言葉を超えたところでこそ分かち合える楽しさであろうと思われます。このダーバールによるもの、それがコミュニケーションというものでしょう。だからこの格言が、春秋に富んだ中学生に分からなかったとしても、それは当たり前だと思います。

 しかしわたしは思うのですが、人生の真実とは、老齢の人の寂寥感の中にこそあるのであって、青春時代の幸福感の中にある問題ではないのではないでしょうか。負け惜しみのように聞こえるかもしれませんが、そう思います。幸福感、期待感は、またはわたしたちが海や山の背後にある自分の生に対して感ずる憧れは、老いの寂寥感にくらべて、何か独善的なところがあります。自分と、事実そのものとの間に、その幸福感や期待感が、介在している気配があります。まただからこそ、それは幸福や期待でありうるのです。その間隙がなくなって、自分の現実そのものが幸福や期待になってしまったら、それは幸福や期待ではなくなり、人生は退屈なものになるでしょう。幸福や期待は、前方にあるものです。しかし老齢の寂寥感はそうではない。自分の真実そのものが寂寥なのです。したがって老人の「楽しさ」は前方にあるものではない。それは現在にあるものです。

 

 北海道の釧路市から、広谷和文君が訪ねてきてくれました。広谷君はわたしが昔、アメリカ留学から帰国直後、青山学院神学科で教えた学生です。当時、わたしの講義がインパクトを与えていたそうなのです。わたしは広谷君が、よいペーパーを書いてわたしのところに提出した記憶があります。わたしの本の熱心な読者でもあるそうです。釧路と厚岸の聖公会の牧師、保育園長をしています。その広谷君が、わたしたちのこの教会(というより家庭集会)のホーム・ページを偶然見て、大いに驚き、かつ喜んで、連絡してくれたのです。わたしも喜び、新著を送ったところ、丁度、旬(しゅん)であった釧路の秋刀魚を氷詰めにして送ってくれたりしました。非常に美味な秋刀魚で、今年の秋は、わたしは秋刀魚ばかり目をつけて食べていました。そして秋刀魚を見直し、人生を見直した感じでした。家内もそうだったと思います。そしてその度に「楽しい」思いをし、地図を引っ張り出して、釧路の近辺を確かめたりしました。広谷君は当年五十六歳になるそうです。昔の面影はありますが、道で会ったら、わたしは分からないで行き過ぎてしまったでしょう。

 俳句を詠みます。俳誌『秋』の同人だそうで、その作品の中から、二、三ひろってみましょう。

 反戦歌雨にちぎれし六月よ

 カセドラル(大聖堂)歴史の中の夜寒かな

 孤児院へつづく白夜の小径かな

 山眠る記紀万葉の空の下

 海見ゆる径の薄暑や乳母車

 アッシジの霙も神を讃えけり

 この他にも、もらった印刷物には全部で七五句あるのですが、これらの俳句が、人生の基底的寂寥感を詠んでいることは明らかだと思われます。それが俳句の「侘び」というものかもしれません。掲出した最初の句は寺山修司を彷彿させますが、寺山修司は寂寥感の詩人です。寺山修司の「マッチ擦る 束の間海に霧深し 身捨つるほどの 祖国はありや」は有名ですし、また『われに五月を』の序詩のはじめの「きらめく季節に/たれがあの帆を歌ったか/束の間の僕に/過ぎていく時よ」も有名でしょう。乳母車の句は、人生の平穏さそのもののように見えますが、よく考えてみると、その平穏さの背後にも、寂寥が見えてくるようです。寂寥は、死ぬべき存在者である人間が、その上で、自分の生を生きていく、通奏低音のようなものでしょう。そしてその通奏低音に気づくためには、人生の積み重なりが必要なのです。老人になって、それがよく見えるようになりました。だからこれらの句は、人生の経験を積んでいない中学生には、詠めない句です。

 

 友とは、この通奏低音に触れていてのみ友であると思うのです。旧制高校文化の特徴である近代自我の謳歌と、友情は別のものです。しかし聖書には、友情への言及は少ないようです。それはおそらく、聖書の基本的なテーマが、神と人間との縦の関係、つまり人間の信仰だからだろうと思います。それに比べて友は、いわば人間同士の横の関係です。よく引く例で言えば、横の関係とは、壁によって区切られた、隣りあった二つの部屋のようなものでしょう。自分が独立した部屋としてあるためには、壁によって区切られた隣の部屋が必要です。つまり自分が自分であるためには、お互い同士が、隣の部屋の存在を必要としています。しかしその壁は、どちらにも属していません。またはどちらの部屋にも属しています。このように、横の関係とは、そもそも個が個であるための構造的必要です。それが愛という関係でしょう。だから、コリントの信徒への第一の手紙、一三章の終わりは、終末のときまで続く最も大事なものは「信仰と、希望と、愛、この三つはいつまでも残る」と言い、その中で「最も大いなるものは愛である」とされています。信仰よりも愛のほうが「大いなるものである」とされているのです。言い換えれば、信仰よりも人間同士の友情のほうが信用できる、とされているとも読めるのであります。人間の愛がしばしば独りよがりであるのは、それが隣の部屋を原理的に必要としない近代自我と離れられないからであろうと思われます。

 わたしがこれまで繰り返し注意してきましたように、神と縦の関係をもつと言う場合、つまり信仰をもつと言う場合、神は絶対他者として、人間からは無限に隔たっているのですから、その神と、人間が、たとえ縦の関係と言われる場合であっても、直接、関係をもつことはできません。その場合は、神は絶対他者ではなくて、必ず人間の視野の中に捉えられ、「神であると人間が考える神」、いいかえれば、神の観念になっています。そしてそのように考える場合、その自分は、自我として、旧態依然として、もとのままです。縦の関係によって自分が変わることなどは、もともとないのです。だから人間がこの人の世でもちうるのは、決して神との縦の関係ではなくて、つまり、そういう意味での信仰ではなくて、横の関係だけです。神と人間との縦の関係がもしあるとしたら、それは人間同士の横の関係と二重性的に、それを触知するほかないでしょう。影は光がなければ、決して影ではありえないように、です。その意味でなら、神は人間の認識の対象としては存在しません。神は絶対無です。それが、信仰よりも愛の方が「最も大いなるものである」とされている理由かもしれません。

 

 小説家の安岡章太郎氏がカトリックの洗礼を受けたとき、自分では神が分からないまま、洗礼を受けたということです。たとえば安岡と井上洋治神父との共著『我等なぜキリスト教徒となし乎』(光文社、一九九九年)の中に、こういうくだりがあります。「入信に当って、私(安岡)は遠藤(遠藤周作)に電話を掛けて相談した。『おれは神というものがわからないのだが、それでも信者になっていいのかね』。遠藤のこたえは明快だった。即座に彼は言った。『いいとも、それは。赤ん坊は何も知らずに、洗礼を受けとるだろう。大人だって、老人だって、それは同じさ・・・』」(同書、二九頁)。安岡はアパートの畳敷きの井上神父の教会でパンと葡萄酒をいただいたとき、自分が戦国時代の高山右近にでもなったような気がしたのだそうです。そして続けてこう言います。自分は「カトリックを信じたというより」、遠藤とか井上とかの「人の縁を信じたのかもしれません。」

 わたしたちは信仰を、神との縦の関係をもったなどと、思わないほうがよいのです。有限なる人間が、無限なる神と、縦の関係をもつなどということが、どうしてできるでしょうか。信仰は人との縁なのです。縁起です。つまりわたしたちが知りうるのは、横の関係、友情だけだ、ということになるでしょう。そのことを、安岡は小説家の勘で、見抜いていると思います。

 

 「友、遠方より来たるあり、また楽しからずや」という『論語』の文章が真実であるのも、信仰を持つと言う場合に紛れ込みやすい嘘の要素を取り去ると、そこには友情だけが残るからではないでしょうか。この友情が、近代自我的な、独りよがりの友情でないことはもちろんです。(06Z10)

 

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