ケノーシス説――盛夏所感

小田垣雅也

 

 ケノーシス説というのは、キリスト論に関する中心的見解で、わたしたちの教会でも何回か採りあげたことがある。というよりも、キリスト教信仰という場合、ケノーシスはその中核であり、したがって(と言うべきか)、佛教とキリスト教の関係を考える場合にも、その橋渡しのような役割を担っていると、わたしは思う。佛教とキリスト教はそれぞれ独立した宗教だが、宗教が宗教であるかぎり、両者を橋渡しする次元は、やはりある。ケノーシスの聖書の出典は、フィリピ書二章六節以下の、「キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして僕の身分になり、人間と同じ者になられました」の箇所の、「自分を無にする」(ケノーオー)に由来している。

 普通ケノーシスは、受肉した神の子が、十字架の死にいたるまで神に従順であり、その自己無化によって、かえって自分が神の子であることを示した、というように、教義学的に理解されてきた。わたしが少年のころも、神の子キリストが人間の罪を救いうるのは、キリスト自身が人間の水準にまで降り、そうして人間の罪を、人間に代わって、担うことによってなされるのだ、と教会の牧師さんに教わった記憶がある。もっとも、その後、教会の趨勢は教義学的というよりも聖書学的、つまりイエス伝中心になり、愛に満ちたイエスの生に倣うことがキリスト教信仰の中心であるというふうに、教義学的信仰から倫理的信仰に変貌して、わたしの尊敬する友人たちも含めて、これは今でも続いていると思う。

 しかしわたしは、当時から、その牧師さんの教義学的説明に理論的には同意しながら、その説明に何か自分の現状にそぐわないもの、嘘の要素が混じっていることを嗅ぎ取っていたと思う。問題はこうだ。「自分を無にする」という場合、その無にするという努力は、そう考える自分の努力であり、決して本当に、自分が無になってはいないのではないかと考えたのである。エックハルトは、人間が信仰を得ようとする場合、最も邪魔なものは、信仰を求めるその自分だと言ったことがあるのを思い出す。イエスが神の前で自分を無にしたように、自分も自分を神の前で無にしようと「努力する」ことは、そう努力している自分の確認であり、それは自分を無にすることではなくて、逆に自分の主張にはならないか。エックハルトはそう言ったのだと思う。エックハルトの時代には、現代のように紙などは容易に手に入らなかったから、文字は蝋板の上に書いた。その蝋板の上にすでに何かが、たとえば「自己を無にしてイエスに倣う」という文字が書かれている場合、その上にさらに「自己を無にしよう」と書いても、事態は混乱するだけで、それは決して自分の現実が無になってはいない。だからケノーシスの「自分を無にする」とは、「自分を無にしよう」とするその自分も含めて、本当に、自分を無にすることではないか。それは結局、自分を無にしようという自分の努力をも放棄することに通じている。しかしそうしてのみ、本当に、自分は無になっている。パウル・ティリッヒが「十字架が透明になり、十字架の必要がなくなったときにこそ、十字架は十字架である」という意味のことを言っているが、それも同様の事情を言っているのであろう。

 佛教には「殺仏殺祖」といいう言い方がある。仏や師祖が、倣うべき対象であり、わたしたちがそれに倣おうと修行し、努力している限り、その仏や師祖は倣うべき対象として、自分の前面にあり、自分とは常に距離があって、自分そのものは仏や師祖の現実にはなっていない。むしろ仏を殺し、師祖を殺し、言い換えれば、それらを倣おうしていた自分を放棄して、その意図する自分を無にするときに、仏や師祖の現実は、自分の現実になる、という意である。ここには、ケノーシスの「自分を無にする」という言い方と共通の次元があると言ってよいだろう。わたしが先に、本当のケノーシスは、キリスト教と佛教との橋渡しの役割を果たしうると言ったのも、このような事情のことである。もともと、教義学的に完結したキリスト論には、佛教との対話の可能性はない。聖書学的イエス伝を唯一の神の啓示だとすることも、第一、史的イエス像を確定することなどできないし、いろいろな意味で、他の宗教との対話の可能性を不可能にしている。

 

 今年の夏は暑くて、毎日の習慣になっている散歩にも気ままに出られず、在宅していることが多い。それでも学校に勤めていたころは、子供も小さかったし、夏にはいろいろ旅行の計画や勉強の予定などもあって、暑熱の夏休みをエンジョイしていたものだが、定年後十年にもなると、学生が遊びにきたり、頼まれる原稿や講演なども少なくなって、孤独が身に染みるようになる。わたしは右に書いてきたように、「自分を無にする」という言い方、言い換えれば信仰の根幹について、何も知らないことはないと思う。しかし「自分を無にする」とは、本当は、どういうことかと、盛夏の暑熱の中に身をおきながら考えることがある。そしてケノーシスや殺仏殺祖を語りながら、「自分を無にしようと努力するその自分は無にしてはいないのではないか」ということに気がつき、自分のこれまでの生の真贋が試されているような気持ちになることがある。自分が抉り出され、夏のニヒリズムはこれか、と合点することがあったのである。暑熱の孤独の中では、視線は否応なく自分に、「自分を無にすることが大事」と自覚している自分に、向いてしまう。夏は宗教の季節ではないか、と思う。世界の大宗教はどれも暑熱の国に生まれた。

 しかしケノーシスや殺仏殺祖を、深遠な宗教的真理であると考えるのは、やはり間違いではないかと思うのだ。そのように考えるのは自己であって、その自己は無になっていない。わたしは職人(マエストロ)という人種が好きである。家の近くの井の頭公園には、長崎の『平和祈念像』の作者である北村西望の彫刻館があり、わたしはときどきそこへ行って時間を潰すが、展示品の中に西望の自彫像がある。それは世に言うインテリ面ではなく、つまり教養とか品位という、ある意味では人間にとって大切な外皮を取り去った、これぞこれ職人という顔立ちであった。それは「自分を無にすることが大事」などということを主張している自分などには、無縁な人間であった。いつか見たことのあるミケランジェロの自彫像も、西望の自彫像と似ていて、相互に似た顔をしており、強い印象をもったことがある。それらはインテリ面ではない。インテリ面というのは、近代的自我を確実にもって、その上に教養や品位を付け加えたものだ。だから近代人には、日本のインテリも含めて、ケノーシスや殺仏殺祖の「自分を無にする」ということの本意は、伝えにくいのではないか。「自分を無にする」と意図するその自分も無にするという消息が、である。「自分を無にする」という自分を棄てきれない。それがインテリというものだ。そして盛夏の昼下がり、ニヒリズムに陥ったりしている。そんな「自分」とは、マエストロたちは無縁の世界で生きているのである。

 昨夜テレビで『イタリア縦断一二〇〇キロ』という番組を見ていて、つくづくローマ時代以降のヨーロッパの歴史の重みに打たれたが、その中にアルル(アルルはイタリアではないが)の、とある職人の多く住む横丁のことが紹介されていた。その中で、アルル地方の特産品の一種である刺繍の職人(女)のことが放映されていたが、その女性が、作品は「頭で考えて、手で作るのではなくて、手で考えるのよ」と言っていた。普通、刺繍の柄を考えたり、手順を考えたりするのは頭である。手ではない。しかしその女職人は「手で考えるのよ」と言う。これはその職人の実感であるだろう。自我とか反省、技法などにとらわれていては、その反省がどんなに精密なものであっても、むしろ精密なものであればあるほど、職人芸は成り立たないのである。片々たるインテリの書く本などは、大概の場合、本物ではない。ヨーロッパの伝統的建築物や彫刻、絵画などを見ていると、つくづくそう思う。だからこそ、かのヨーロッパの歴史の重みも積み重なったのだ。

 わたしが尊敬する法隆寺の宮大工、西岡常一棟梁も、大工の仕事は、頭でいくら憶えてもだめで、手で憶えなければならない、という意味のことを言っていたが(一度、書いたことがある)、これも同じことを言っているのであろう。わたしの妻は、編物は楽しいという。わたしはといえば、たとえば編物のような同じことの繰り返しは、すぐにニヒリズムに陥る。実際、同じことの繰り返しを省くことが、近代自我による機械文明を発展させた。そして、その機械文明の行く先はもう見えているのではないか。わたしが繰り返しが嫌いなのは、わたしにはまだ自分への捉われがあり、自分中心主義的に周囲を見るからであろう。自分が無になってはいない。そしてそれは、ニヒリズムへの道でもある。神の子キリストが説くケノーシスの道ではない。

 

 朝起きて、また始まる暑熱の一日のことを考えるとウンザリする。「これが人生か。よろしい。もう一度」(ニーチェ)、とはとても言えない。そういう時は、ケノーシスの本意を考えたりするのである。本当は、身の回りの日常生活を、率直に、具体的に、始めるのが大事なのだと思うのだが。(05824)

 

 

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