忘 れ る と い う こ と

小田垣雅也

 

 テレビで何かのコマーシャルを見ていたら、庭に一面の花が咲いていて、その背景の木造の白い建物と一緒になって、何か既視感があった。よく考えてみると、去年の秋、夢中になって見た緒方拳の生前最後の仕事、『風のガーデン』(倉本聡演出)の中に出てくる花畑であることが分かった。もちろんこれは、『風のガーデン』を収録中に撮ったなどというヤッツケ仕事ではないだろうし、これはこれとして、このコマーシャルをわざわざ撮ったものであることは明瞭だが、既視感はまぎれもなくあった。

 新聞(当時の)によると、北海道の富良野は、同じ花でも、関東にくらべて、花の色が鮮やかであるよし。それはすぐには気がつかないが、専門家はすぐそれを見分けるそうだ。『風のガーデン』はロケーションが富良野である。

 緒方は、その第一回が(全体で六回)放映された五日後に、癌で死んだ。新聞には、たしか「万感の思いを込めて・・・」というような言葉が使ってあった。わざわざ富良野までロケで行かなくともいいではないか、と思う人がいるかもしれないが、そういうものではないらしい。花の色からして、東京と富良野では違うのだ。これは何事につけて言えるだろう。『風のガーデン』は人生論の色彩の濃いテレビドラマであったが、それならばなお更、そういう舞台装置が必要なのかもしれない。まして、倉本聡という感受性の鋭い男が監督しているのである。リアリティを出すために、そのような舞台で、一つずつ作っていかなければならないのであろう。

 話の筋は、富良野の町医者である白髪の男に(緒方拳。ドラマの中の緒方の名前は忘れてしまった)、東京の大学の著名な医者になっている息子(中井貴一)がある。その息子の女癖によって、緒方は息子を勘当する。「もう富良野には帰ってくるな」と息子に言う。しかしその息子も、医者として、自分が重症の癌であることを知っている。それは緒方にも後日見破られる。それで緒方は、自分が頑固であったことを、その息子および周りの一同に(ほぼ成人した娘と弟もある)謝る。その間には、いろいろな話の出入りがあるが、その人生の華やかさと哀歓を出すために、倉本監督は、わざわざ富良野の住宅の花を選んだのであろう。その白い住宅は、芝居の中では、富良野郊外の、緒方の別荘である。

 

 緒方拳は自分が死ぬ直前まで、自分が癌であることを周囲の人に漏らさなかったそうだ。俳優は舞台の上での勝負、ということを知っていたのであろう。新聞の第一報にも、「緒方は病気で死んだ」とだけあって、病気が何であったかは、最初は報道されていなかった。はじめて一〇月一〇の「天声人語」(死去は一〇月五日)に、つぎのように書いてあった。「肝臓がんのことは、家族限りとしていた。遺作のテレビドラマ『風のガーデン』の撮影では、玄米食で半年の長丁場を耐えた。倉本聡さんの脚本は命を正面から描く。訪問医役の緒方さんには死を語る台詞(せりふ)も多い。万感を込めたであろう仕事を結び、制作発表の5日後に逝った。・・・演じた役のすべてが、本物の緒方拳である。最後はあの白髪で、優しげな背中で、秋の夕景の一部になりきった」。役割になりきることが、名優というものだ。そしてそのことの中に、その俳優の個性もあらわれる。演技とはそういうものではあるまいか。

 

 「忘れる」ということを、最近ときどき考えることがある。むかし、 K 氏が作ったラジオ番組に(テレビ番組はない)、『君の名は』というのがあった。その冒頭でいつも繰り返されるアナウンスに「忘却とは忘れ去ることなり・・・云々」という、意味のない言葉が放送されていた。しかし「忘れる」と「忘却」はちがうのではなかろうか。

 「忘れる」ということは、現実には忘れていながら、そのリアリティは意識の深層に生きているということではないか。それが教養というものであろうし、具体的な事実を忘れることなしに、教養はない。

 それに対して「忘却」には、どこかに意思的な、少なくとも論理的な、気分がある。事柄そのものとその「忘却」を、忘却が忘却であるかぎり、同時にもつことは論理的に相反する。その二つが二重性的に有るというような事情は「忘却」にはない。「忘れる」ことには、それが可能である。その人間の機微を表現することが、名優というものだろう。

 しかしそのような人間の実情を理解し、「忘れる」ことの「有りながら無い」事情を抉り出すことが、名演出、名監督の所以ではないかと思う。それが人間の現実だからだ。ただそれがそこにあった、ということを際立たせるだけでは、名監督の名に値いしない。駄洒落や下品なだけのタレントの芸なるものは、演出や監督以前の問題だ。

 またその監督の意図に沿って、「忘れて有りながら現実である」という人間の真実を演じてみせるのが、名優の(少なくとも緒方の名優ぶりの)資格ではないだろうか。たしかにこれは、論理的なことではない。しかし論理的に、監督のいうことをきいているだけになってしまっては、それは監督の意図に追従することであり、その俳優は監督の意図に唯々諾々として従うだけの俳優になってしまう。若い俳優には、よくそういうのがある。ある俳優の「渋み」とはそういうものではないのか。

 この超論理性が芝居というものであり、芝居はロマンティシズムの次元でのことだ。監督の意図に追従するだけの「お芝居」は、合理的次元の問題・論理の問題であって、芝居はそこにはない。

 

 それに忘却の場合、忘却の対象として忘却を意思すると、その対象は明確に自己を主張して存在しはじめるということがある。これはわたしたちが、骨身に徹して知っていることではないか。それが意思的・論理的ということの本性だ。これは柱に結び付けられた山羊が、自由になろうとしてその柱の回りを廻れば廻るほど、柱に結び付けられた綱は短くなって柱に縛りつけられるという、禅で有名な譬えにある通りである(たしかこの譬えはケロケツといった)(話したことが何回かある)。わたしは毎晩眠れないが、眠ろう々々と努力すればするほど、目は冴えてしまってねむれないのである。これは誰にでもあることだろう。

 緒方拳の芝居は、この水準の「お芝居」ではない。先に引用した「天声人語」で、「演じた役のすべてが本物の緒方拳である。最後はあの白髪で、優しげな背仲で、秋の夕景の一部になりきった」とあるが、正しい指摘であろう。役は「本物の緒方」自身なのである。それにもかかわらず、役は役だ。その役と本物の緒方自身との、二重性が、ある俳優が役を演ずるということである。

 

 別の話になるが、松浪信三郎氏の本で(『死の思索』岩波新書、一九八三年)、サルトルの『存在と無』の解説を読んでいたら、主題に関して、要旨次のように書いてあった。

 存在は「即自存在」である。しかし人間は、ハイデッガーがダー・ザイン(現存在)と言ったように、存在の「現」であり、そのことは存在の中にあり、自分の存在を「意識」しているということである。つまり「対自存在」である。しかしそのように「意識」した存在は、人間は自分の存在を対象とした、いわゆる「対自存在」になり、存在そのものになる可能性も、自己の存在そのものに対する価値も見失って、意識と存在は、決して一致することはない。そして松浪はこう書いている「死とは、私にとって、この可能性がまったく存在しなくなることである」(同書、一八五頁)。

 死とは人間の存在可能性によって、人間のあらゆること、人生の中で成し遂げるべき可能性はもとより、存在の意味すら失うことだ、と言っているのである。これがサルトルのいう死であり、無神論である。ここでは、死はそういうものとして、サルトルによって、対象的に扱われているとの感は否めない。

 それに対して西田幾多郎は、絶対無は、存在と意識、有と無の二重性であり、そこにいたるのは、即非つまり絶対矛盾的自己同一の問題であり、逆対応のことであって、それは美的直感の問題だ、といったのであった。ここには死の「概念」の入り込む余地はない。そのことをわたしも繰り返してきた。サルトルは、死を対象論的に考えている。一方、この二重性的思考は宗教的思考の特徴である。宗教的直感はみなそういうものであろう。

 聖書でも、「すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」とあるし(ルカ伝二四章三一節、その他無数)森田正馬博士はその事情を「煩悶即解脱」といった。武藤一雄教授は「無いことにおいて有る」といった。西田博士の絶対矛盾的自己同一の立場から表現すれば、「即自存在即対自存在」ということになろう。

 

 緒方拳のドラマに関して言えば、彼は自分の膵臓癌を、このドラマに出演中、「忘れていた」と思う。忘却ではない。論理的にとらわれていたわけではない。癌は厳然として体内に、そして意識の底に有りながら、緒方はそれを「忘れて」いたのである。わたしはそれをこそ、瞳を定めて見ていたのである。彼は自分の癌を無理に飲み込んで、それを無視していたのではない。それでは役になりきるような、ああいう芝居はできないだろう。また軽佻浮薄に「忘却」し、芝居後「それを思い出す」ことをしていたのでもない。緒方の演技はあくまでも自然であった。それゆえ、迫真的であった。

 わたしはそのドラマの中のひとつひとつの場面に、緒方の身の処しかたを思い出している。

 

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